新之介文庫だより

2015年4月23日
日本古代史ー3

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 ■九州への渡来人

タイに過去四回渡航し、山岳民族と発掘調査の件で接触してきました。

その中の苗(ミャオ)族はラオスやミャンマーとの国境に住む少数民族で、モン族ともいわれています。驚くことに王族の写真の中に私の知人と瓜二つの女性がいました。

今、日本古代史を訪ねていますが、弥生時代に渡来した熊襲の源流は、中国大陸の少数民族の黎(レイ、リー)族、瑤(ヨウ)族、佘+田(シェ、シャー)族という説があります。黎族は漢族と同化した苗族のことです。

中国では貴州省に最も多く、他に湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省などに住むほか、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどにも住んでいます。歴史上移住を繰り返した流浪の民です。

雲南省の人たちの生活風習は日本に似るといわれますが、九州に移住してきた黎(ミャオ)族が縄文人と同化してそれが今日まで続いていると考えると、納得の行くことが多くあります。

現在は、九州倭国の拠点が北九州の現大宰府周辺にあったとする説の検証をしています。

 

■三嶋大社の祭神

大山祇命(オオヤマツミノミコト)、事代主神(コトシロヌシノミコト)の二柱の神を総じて三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称している。

事代主は出雲族の大国主命の子とされます。大山祇は飛騨天孫族の直系の邇邇芸命(ニニギノミコト)子で、娘が富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)とされるため、世界文化遺産になった富士山により脚光を浴びることになり、現在では事代主より上位にされているようです。

 

事代主は『古事記』にあって幾つもの神社に祀られているが、『出雲風土記』にその名はありません。調べて行くうちに思わぬ謎に遭遇しています。

阿遅志貴高日子根=事代主=建御名方=五十猛は同一神ではないかということです。

(『古事記』が大御神というのは、伊邪那岐(イザナギ)大御神、天照(アマテラス)大御神、そして迦毛(カモノ)大御神(阿遅志貴高日子根・アヂスキタカヒコネ)の三神)

阿遅志貴高日子根についてはまた書きます。

 

■飛騨の口碑

紀元300年頃まで海抜が現在より20mほど高かったといいます。松江や出雲、米子も海の中でした。現出雲大社は海抜16mほど。海の中に造ったことになります。創建時は今の場所ではなかった可能性もあります。

飛騨の口碑には、海抜のことも伝えられています。海面や地形から古代史が見えています。

                                                                            

写真: 三嶋大社の初詣

TP: 木花咲耶姫が鎮まるという富士山

                                                                            

 

 

 


2015年4月23日