新之介文庫だより

2013年10月31日
『水晶殿改修記』-38 コンクリート打設

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新之介文庫の佐々木です。

鉄骨が組上がり、鉄筋を柱、梁など順に組み立て、並行して型枠を造って行きます。

秋の終わりから年初にかけては、日照時間が少なく、夜間照明をしながらの工事となりました。それは、仕上げ工事の期間が逼迫してきているからです。

建物の面積から推し量ると、それほどとも言えない・・・。そんな考えでは済まされないことを、建築家は承知していたからです。

通常の工事では、コンクリートは何回かに分けて打設しますが、そこには打ち継ぎの個所が発生します。このことが問題となる場合があり、従前の建物ではここが起因となり劣化が進んだと考えられ、今回は地上部分の全体を一気に打設する工法で進めることとなり、型枠の精度など細かい配慮が必要とされました。

工事関係者が集まり、それぞれの立場から打設計画が検討され組まれました。建築家の「打継をしない工法で」、が目標となりました。つまりサイロを造るやり方をするようにとの指示でした。

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2012年1月、朝7時よりコンクリート打設開始、現場関係者総勢約40名、担当者チームの有志の方も参加し、最終は翌朝8時までの計25時間。突貫工事態勢の激闘というほどのものでした。

この間、放射線量の測定のため生コン車から採取、独自に測定を行うなど、打設は丸一日がかりで無事終了しました。

 

この頃、太田は幾つかのデザインが決まらないことに直面していた。

主に、内部「控之間」の意匠と象徴的な照明器具、またそれにともなう中央エッチングガラスの文様、両サイドの扉のハンドルや仕上げの緞子などでした。また、隧道からつながる付属棟の使い方をどうするのか、が問題でした。

これは建設委員会の中で意見が分かれ、幾つかの提案も統一見解が出ないためのものです。

時間は過ぎてゆき、工期とのこともあり、施工者からの催促もあり、太田は追い込まれていました。

ここで建築家太田新之介はある思いを胸に思わぬ行動にでました。

60年前の造営主が構想されたデザインを基に提案をしたのです。

これについての詳細は次回に。

(写真 上 型枠工事  下 深夜のコンクリート打設工事)

 

 


2013年10月31日