日本のすがた・かたち

2017年2月25日
命がけだよ。

111.jpgのサムネイル画像最近、著名な陶磁鑑定家の中島誠之助氏が、TVで国宝級の曜変天目茶碗を発見したと鑑定し、専門の陶芸家が、それは中国で数千円で売られている駄物であると否定し話題となりました。どうやら我が国最高の鑑定家も権威失墜のようです。

鑑定の怖い所は、鑑定によって名声や地位が一瞬にして瓦解することです。重みが違いますが過去に〈永仁の壺事件〉というのがありました。

 

17年前、我が国で権威とされていた陶磁研究者二名の訪問を受けました。

私が所持する焼物を見るために東京から出向かれました。

 

ひと方は東京丸の内にある美術館のH氏で、八畳間に並べた十数点を一通り眺め、暫し無言でした。それから焼物の前に座り、ひとつずつ手に取り、舐めるように見ていました。「ウーン…、ウーン…」というばかりでした。

 

もうひと方は南青山にある美術館のN氏で、氏は部屋に入るなり、「おお気持ちが悪い」といって、一瞥し、H氏が見終わる三十分ほど「気持ちが悪い」といって物に触ることはありませんでした。

 

帰る際にH氏は「また拝見の機会があれば宜しくお願いします。」といい、N氏は何か悪いものでもみたような目付きで、挨拶もロクにせずに戻りました。

 

ひとりは物を手に取り、重さや経年による変化や技法、そして土や釉薬などを見分し、自身の見識に照らし合せていました。

もうひとりは、何も見ることなく、先入観からか、何か自分にとって都合の悪いことでもあるのか、それこそ子供のように無視する振る舞いでした。

 

私はその時、人間の見識は幾つかの方向に向かう、ということを知りました。物を観ることのできる人と、物を眺めるだけの人もいると。

 

この結果は、私が〈東南アジアに渡った『元・明のやきもの』(里文出版2003年刊〉という本を上梓したことで一区切りつきました。

出版社から陶磁研究家でもなく、学識経験者でもなく、学閥や門閥外の建築家は無視されるといわれていましたが、その通りとなりました。

殆どの人は「ある訳がない」という観点から一歩も出ず、冷笑でした。

 

222.jpgタイの山岳民族が掘った穴から、10世紀から18世紀にかけての陶磁器が出てくること自体、信じろといっても無理だったようです。

でも、「ある訳がない」といっても目の前に物は在り、それを見分せずにいる姿勢は、ものの真実を探求できる眼がないか、自らの判断を放棄せざるを得ない立場にいるか、何かしらの事情があるのだと思いました。

 

その様なことがあってから、やがてH氏を除き交流していた美術館関係者がひとり、ひとりと私から距離を置くようになりました。怪しい人物との交流を避けたかったようです。

 

当時、現物を何点も観て、発掘の様子を撮ったビデオや写真などから、「時代も間違いないでしょう。素晴らしいものだ。」と判断し、全面的に支持してくれた人物がいました。

文人小野田雪堂氏でした。

その後、氏周辺の美術関係者も距離を置くようになったとのことですが、「自分の眼で観ようとしないし、観ることができない人たちだ。支持することは命がけだよ。」といって大笑していました。氏は自身で陶芸をされていて、慧眼は陶芸家として養われたものと拝察しました。

私はその時、〈もの〉を観る見識と、判断し支持する覚悟を持てる人間になりたいと思いました。

 

最近、タイ出土の一連の陶磁器が「三島御寮」造営計画に役立ってくれる可能性が出てきました。

雪堂氏に報告ができればいいな、と思っています。

 

写真:「青花釉裏紅菊花文貼花龍耳瓢形大瓶」13世紀 景徳鎮 

   高さ51 胴径36.4 口径11.2 底径18

 

 


2017年2月25日