日本のすがた・かたち

2016年12月5日
目を閉じて

hp20161205.JPGのサムネイル画像「辺境の島国。海は宝。潤いある美しい山野と海岸線。

気候風土に磨かれた審美眼。外来のものに対する崇敬の念。

憧れと好奇心の強さ。神仏習合。宗教ではない道徳の古神道。

日本化された仏教。皇室は思想、精神の支柱、よりどころ。

多元的価値観。無思想という思想。

室町時代から始まる日本文化の源流(禅、茶の湯)。

働き者で何時も勉強している。常に公に生きる。

鎌倉時代から始まる「名こそ惜けれ」の精神。

江戸末期の人たちは芸術品。日本人は400種の色彩を使う。

労働ではなく事に仕える仕事。ものづくりは人のため。

木による高度な技術の創造と継承。モノには魂が宿る。

縄文期より三万年の間、単一民族、単一言語のため高度な情報共有度。

豊かな自然の中で育まれてきた美的審美眼。

植民地支配されずにきた民族の力と誇り。

縄文期に芽生えた「和する」精神が今日まで続く。

平等ではなく公平の考え方。伝統に生きる人々。」等々。

 

目を閉じて、思いつくまま、現在考えている日本文化とその特質を挙げてみました。

(果して私はこの文化の中で生きているだろうか。あるとすれば「労働ではなく事に仕える仕事。ものづくりは人のため。木による高度な技術の創造と継承。モノには魂が宿る。」辺りだろうか…)

先週、突然の高熱に襲われ入院を余儀なくされ、ベッドの上で薄暗い天井を見ながら想いを巡らせていました。

 

また、子供の頃の思い出に浸り、多くの故人や人の縁を回顧し、多用に過ぎたこの一年を振り返りました。そして入院となっても落胆や落ち込むことのない自分を観ていて改めて思いました。

「今ここがピークで絶好調」ということでした。

去年より今年、半年前より昨日、昨日より今日、そして今に因があり今という果があります。その果こそかけがえのない私のピークというものです。

 

入院二日目は盟友の追善の茶事に正客として出席する予定の日でした。

横臥したまま心経一巻を暗唱し、改めて故人の冥福を祈りました。追善に参加された十数名の客は、日本人が営々と培ってきた和の寄合エネルギーに浸り、明日を生きる一助とされたのではないかと思います。4日前に無事退院しました。

 

紅葉が風に舞っています。葉が散るのは自らが枯れて枝から離れるのではなく、新芽が膨らみ葉を押し出すからです。新旧の循環は自然の理です。

 

盟友に贈る

 また芽吹く 夢をのこして 散る紅葉

 

 写真:庭前の紅葉

 

 

 

 

 


2016年12月5日