日本のすがた・かたち
古里の海に向かいて手を挙げる あの時の貌あの時の聲
18の春まで過ごした古里は、熱海を臨む漁師町でした。
父は巾着網漁で生計を立てていた大船頭で、貧しくともそれなりの格式を持った生活をしていたように思います。
身体が弱かったせいで漁師にされなかった私は、建築の道に進み50年余となります。
人と群れて物事を成すことが苦手な性質は生来のものですが、今にして思えば父の影響も大きかったようです。
父は人との交わりに不器用で、よくいえば孤高の漁師でした。魚を獲り、米や野菜を作り、黙々と10人の家族を養っている姿が印象に残りますが、後年、私は父の後ろ姿から、人間は何処でどのように生きても、日々の暮らしを丹念に積み重ねて行くことができ、それが生存して行く上で最も大切なことだと思うようになりました。
何よりも重要に思えた建築家としての使命感や志は、日々の営みの中にあることで、志や使命感のなかに暮らしが在るものではないということです。
独りであれば1人で、家族があれば家族で、子や孫があればあることで、生涯を懸けて日々の営みを続けて行く。そこには優劣も差別もない訳です。
しかし、そうであっても人は苦しみ悩みから逃れられません。
悩みの種は自己を肯定することから生じる人間関係が主です。
人間の喜怒哀楽は何人も制止することはできず、むしろその感情をコントロールすることが求められます。中でも激しいのは人との関係から生じる悩みであり、苦しみです。そしてその根源にある「生老病死」・・・。
この苦しみから逃れる術は、今から2500年前に釈尊が説き示していますが、現代に至ってもこの術を求めている者が多いということは、人間には未来永劫、苦しみから解脱するのは難しそうです。
自分を幸せにするために人を殺めるような生きものが人間です。 どのような教えもそれにより救われることはなく、教えを元に日々工夫し、苦の種を除き、悩める自分をコントロールして行くほかはないようです。
明るい未来を暗示するような予言めいた言葉も仕草も、私には響きません。生活の中から滲み出た歌や行動に出会った時、心が潤うのを覚えます。その様な時、一心に信仰の道を歩まれる者が生みだす力、「信は力」を実感します。
信仰は力で、それを顕すものは美しさのようです。美しさは人の品格を高めます。品格は文化です。
日本文化の巨大な塊のひとつである「皇室」。
天皇陛下のご譲位がニュースになっていますが、譲位は約2500年前から続く我が国の重要な事柄だと思います。
日本人で最も美しい品格の方は天皇陛下だと思っています。
故郷の海を眺めながら、しばし感慨に耽りました。
写真: 相模の海
TP 天皇陛下のお姿