日本のすがた・かたち

2016年3月31日
心に従う

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満開の桜の下で、若者たちの歓声が聞こえます。

進学や就職して社会に出て行く時期で、希望と不安が交差している声に聴こえます。

人生の出発を思うと、私にもこのような時があったなと回想します。

 

子曰わく、吾十有五にして学に志す、

三十にして立つ、四十にして惑わず、

五十にして天命を知る、六十にして耳順がう、

七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

 

儒教の経典のひとつ、『論語』に孔子の言行録が収められています。

15歳を「志学(しがく)」、30歳を「而立(じりつ)」、40歳を「不惑(ふわく)」、50歳を「知命(ちめい)」、 60歳を「耳順(じじゅん)」、70歳を「従心(じゅうしん)」と呼ぶのはこの文章からです。

 

これになぞらえて私の人生と思える歳毎の感想はというと。

 

吾二十にして建築家を志し、三十にして独立する、四十にして多惑となり、

五十にして天命を知らず、六十にして聞く耳を持てず、七十にして何だか益々面白くなる。

 

私は二十の頃、高圧感電事故に遭遇して、その時死んでいたと考えると、七十歳まで生存し、孔子の云う6区切りの最後の「従心」に立ち会えていることは感慨深いものがあります。

しかしながら私の場合は、「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」、という心境には至らず、心の欲するままではなく、分裂気味の精神は益々先鋭的となって、周囲に迷惑をかけている毎日といえます。

 

また、七十にして日々が何だか益々面白いというのも事実で、これを内観してみると、ひとつのことに専念してきた結果ように思えます。

二十歳の頃に建築家を志し、今日までの50年間をその志し半ばという心境で過ごしてきたため、今日に至っても、毎日が興味津々で面白く感じられるのだと思います。

 

現在複数のプロジェクトに手を染めています。

いずれも三百年先を見越した計画です。

 

建築は森羅万象を探求する上で、格好の教材となります。

また縄文時代まで遡り、先人の優れた記憶と出会える架け橋ともなります。

 

「建築は人間の生活環境と文化をかたちづくる基本的要件である」。

この要件造りに勤しんできたからこそ、面白さが継続していると思います。

 

三百年先の知己を求め、今夜も鉛筆を走らせながら、いつものことですが、「人生に意味なし」と、つぶやいています。

                                                                        

写真: 天然記念物「三春の瀧桜」 2015年4月の満開風景

   (福島県田村郡三春町大字滝字桜久保) 

    

 TP 2016年3月30日 撮影 髙田祥平

 

                                                                   

 

 


2016年3月31日