日本のすがた・かたち

2016年3月17日
熱海「東山荘」

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 「東山荘(とうざんそう)」は、JR熱海駅近くの相模湾を一望する旧温泉別荘地に在ります。

昭和8年造営から始まった建築群が、この3月11日に国の登録文化財となりました。

門、本館、別館、茶室、蔵など7棟で、重要文化財となっている「旧日向邸」に隣接しています。

 

私は昨年、文化財申請のために東山荘の調査をし、各建造物の所見を書きました。

登録文化財の申請業務はこれで30棟ほどになりますが、50年以上経った建造物を調査し、図面を作成し、所見を書くことは大変勉強にもなり、往時の人たちとの対話ができる貴重な作業となります。

 

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東山荘は80年ほど経った建物が主で、その後昭和15年に増棟され、昭和21年に増棟されていています。

所有者は元第一銀行三代頭取石井健吾、山下汽船社長の山下亀三郎、世界救世教教祖岡田茂吉と代わり、現所有者は世界救世教です。

 

建築は、時代の様式や特色があり質の高いものは、後の世に遺されます。

建築に限らず、人間は優れたものを遺そうとします。これは、自分が生きた証として次代に伝え継承して欲しいとする文化保存本能ではないかと思います。

 

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そして時代を経た建築は歴史をはらみます。

昭和14~5年頃から東山荘は隠れた政治の舞台となったといわれます。

山下亀三郎は時の政財界人との交流が深く、客には、時の総理大臣近衛文麿、陸軍大将宇垣一成、米内光政、豊田貞次郎など錚々たる顔ぶれがいて、しげく東山荘に出入りし、折々国の行く末を決定付ける歴史的会談が行われたといわれています。特に近衛首相は東山荘を大層気に入り、料理人同伴で一週間も宿泊したことがあったといいます。

 

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岡田茂吉は昭和19年10月に箱根から居を移し、この施設を「東山荘」と名付け、後のMOA美術館となる施設を始め、理想郷・地上天国の雛形として、「瑞雲郷」の建設に着手することになります。

またこよなく熱海を愛した岡田茂吉は、熱海を国際文化都市とする自らの構想をもとに、世界に知らしめる拠点として東山荘を用い、敗戦後、日本の疲弊した姿を憂い、日本の優れた文化である芸術を始め、茶の湯を国内外に示すことにより、失った日本人の誇りや自信を取り戻そうと努めています。

海外の要人を地元の有力者等と共に招き、茶室でもてなすなどして、東山荘を、日本文化を軸とする民間の国際交流の舞台としてきたといいます。

 東山荘は、現存する昭和初期の別荘建築として希少であること。また戦前戦後の歴史の裏舞台として、また岡田茂吉が戦後の混乱期に日本文化の粋をもって人心を励まし、熱海の名を国際的に高める拠点となった建造物として希少といえるものです。

 

国の文化財となった東山荘を、今からどのようにして生かし、継承して行くのか。

建築の持っているパワーがそれを物語るのではないかと思います。

登録申請業務は、まさに相模湾を一望する絶景と岡田茂吉の美意識を堪能する日々でした。

 

今、茂吉翁の「美しいものに触れることによって人間の品性は磨かれる」、という言を反芻しているところです。

                                                                  

写真: 上 東山荘表数寄屋門

   中上 本館前庭  中下 離れ(応接室)  下 別館 (提供 MOA商事)

 

 

                             

                                                                    

                                                                                                                                  

    


2016年3月17日