日本のすがた・かたち
このところの二カ月は仕事を含めた用事が重なり、休日のないハードな毎日が続いています。当分はこの状態が続くと思います。
仕事場も手狭となり、一部を別の場所に移すべく引越しました。
多分、今までの人生になかったと思えるほどの濃密な時間を過ごしています。
仕事では完成が迫る現場があり、職人たちと現場でやり取りをすることが多くなっています。この様な時、何時も思うのが日本の職人の優秀さです。
日本の建築は職人によって造られます。
中でも本格的な木の建築は、大工を始め熟達した職人たちが活躍します。
これは飛鳥時代から変わらないことだと思います。
その職種にして二十数種類の職方とやり取りをして来た私は、今年で50年余の歳月を数えます。外国にある木の建築も見てきていますが、今にしていえることは日本の職人の素晴らしさです。
「職人は働き者で何時も勉強している」
「仕事師さんとは良くいったもので、労働者ではなく、事に仕える者」
「モノには魂が宿ると考え、神仏を崇める」
「寝食を忘れてモノを作る」
「生涯かけて技を磨き、後人を育て、伝える」
直ぐにこのような日本の職人イメージが浮かんできます。
縄文の昔から木と共に暮らし、木の建築を造り学んできた先祖たちは職人という優れた職能を生み出してきました。
江戸時代には職人技の爛熟期を迎え、書院造りの二条城や日光東照宮を代表とする寺社、茶室など、世界に類を見ない多種多様な建築を造りました。
読み書きソロバンを奨励した江戸期は識字率世界一だったとのことも頷けます。
また短期間で明治維新を成し遂げ、国をまとめた日本人には「常に公に生きる」精神と「勤勉で事に仕える」気質があったといえます。
私は自分の手でモノを作り上げる職人を敬愛しています。モノを造る人には嘘はなく、巧拙はともかく成果は偽りのない事実として存在するからです。
でも、今の大工の姿を見ると、ゲンノウやノミ、カンナなどの道具がピストルの釘打ち機に交わり、ホチキスや糊(接着剤)で仕事ではなく作業をしているのが現状です。
この先本物の仕事がどうなるのか憂いています。
写真: ブータンの木造建築物
TP: その屋根庇の先端の彫刻意匠