日本のすがた・かたち

2015年10月4日
絶景の中で

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先月の末に熱海市に在る「水晶殿」で講演に臨みました。

実は私は、大勢の方の前で話しをするのが苦手で、何時も初舞台のような緊張感の中にいます。設計をするは得意ですが、話はどうも、というところです。

そういいながら長い間講師をしてきたわけですから、言い訳になりますので、まあ上手くない話を聴いて下さる方がいる間は続けてもいいかと、先回の京都から続いての熱海となりました。

 

熱海市内でこれほどの絶景を一望できる場所は、この水晶殿しかないようです。多分、この眺望は世界に誇れる美しさだと思います。水晶殿は、現在はMOA美術館の姉妹館となっていますが、美術の鑑賞とはまったく違う、絶景の鑑賞は、見るものに圧倒的な影響を与えます。

私も訪れる度に爽快感に包まれ、全身が心地良さに包まれます。

いつも、なぜだろうかと思います。

この建築とは私が9歳の時からですから、60年ほどの付き合いとなります。その年数もさることながら、なぜここに入ると気持ちが良いのか、なぜまた行ってみたくなるのか。それが私の中の謎として何時も残ってきたものです。

 

先日、講演をした後にあることに思い致しました。多分、この感慨は私ひとりのものではないだろうと思いましたが、現在の私の中ではある確信としてそのすがたを現しています。私の中では、水晶殿に関する建築的解明はほとんど済んでいると思っていたのに、建築的解明では済まないものがあったのでした。

ある確信とは、建築が人間に作用するある種の波動のことですが、水晶殿には陽の波動が充ちていて、絶景を観ているだけで心身が再生をするということです。これは以前から感じていたことですが、今回は一層その感を強くしました。

一言でいえば、自分が強く優しくなる、ということです。多分、漠とした不安が圧倒的な眺望と良質な波動の中で霧散するのだと思います。漠とした不安とは万人がもつ潜在的な死への恐怖です。

 

現実の世界に生息する私としては、いささか非現実的見地に立った感もありますが、その確信が、建築が存在することによって起こされているなら、徒や疎かに建築の設計はするものではないと、今更のように思ったものでした。

やはり私の思う建築は、物体だけではなく、その存在が人間に与えるエネルギーを秘めるものだ。それが正か負かは別として…。

次回の講演には、この確信のところは出てこないかも知れませんが、講演会に臨むことによって私に新たな発見があったことは有難いことでした。

永らえ、多くの方のお役に立つ建築を造ることが、私の仕事なのだと改めて思ったものでした。

 

  思いはひとつのひらめきから。実現は多くの力から。歴史は始まっています。

                                                                                   

写真: 水晶殿より南を望む 


2015年10月4日