日本のすがた・かたち

2014年12月16日
年の瀬が近くなると

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      またひとり往くものと知る年の瀬は 川の流れの果てを識るかな

 

年末になると喪中挨拶の葉書が届きます。

これで身罷った人の消息を知ることが多くなりました。

この風習は何時頃から始まったのか分かりませんが、現在では喪に服しているというより、親族が亡くなったお知らせのようです。

また今年も数人の知己が亡くなり、年末の慌しさと共に時の移ろいの速さ感じさせます。

「生まれ、食べ、寝て、そして死ぬ」

これが人間の摂理と納得しているつもりですが、喪中葉書を手にすると人の命のはかなさを改めて思います。

 

高齢者が増え、老々介護や老若介護などの言葉を聞かない日はありません。少子・高齢化は現在もそうですが、これからの世代にはとても重要な問題としてのしかかってきます。

長生きは誰しもが望むことですが、長生きは後の者たちに過大な負担をかけることにもなります。また長生きの高齢者は、非生産者であるがための悲哀を長く味わうことになります。

元気で働くだけ働いて、ある日ポクっと逝く。

どうもこれが人生の最高の幕引きのようです、が、先のことは誰にも分からず、なるようになる「ケセラ・セラ」というところです。

まあ、先の心配で気を患うより、この今を精一杯生きてゆくことが肝要で、老いも若きも時の流れに沿って生き抜くよう努めるほかはないようです。縄文時代より先祖代々、皆このように生きてきたのだろうと思います。

 

私には大きな望みがあって、それは年々先鋭化しながら膨らんで、何時しかエネルギーの源泉となっています。今まで恵まれ学んできた「木の建築」に関わる精神や技法をまとめて、若者たちに継承してもらいたいという野望です。

私が携わった年月は僅か40年ですが、それは1万数千年という時が育んできた先人の叡智といえます。凡そ750代に亘って伝えられてきた優れた美しい記憶といっても良いと思います。今年の夏にその記憶の一部をまとめたものを『伊勢神宮』として上梓しましたが、これからは手から手に伝えるアクションです。

 

茶の湯のステージ「三島御寮」造営計画は、日本人の優れた記憶の継承計画です。

三百年、五百年という歳月を目指した先人に倣い、一椀の水を一滴も残さず新しい椀に移しかえる運動でもあります。

私は、日本人の基層文化は森林による「木」にあることを、後々の人たちに手をもって手に伝えることをミッションとし、仲間と共に活動しています。

  「美しいものによって人間の品格は磨かれ、高まる」

先人の名言に添って、活動に気合を入れている昨今です。

写真  今年もお世話になりましたのお礼ご挨拶葉書です。

TP 「冬の不二」

 


2014年12月16日