日本のすがた・かたち

2014年3月14日
天を恨まず

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3月11日は涙の一日でした。

当日にこの文を起こしたのですが、なぜか書き終りませんでした。

 

この時代に生を受け、生きている間に遭った大災害に未だ慄然とするばかりです。

TVの映像を見るのが辛く、正視していられなくなってチャンネルを変えたのですが、この日は災害特集が多く、スイッチを切りました。

今でも、あの海を見て「お母さん、お母さん」と叫んでいた女の子の姿を思い出し、涙が出てきます。そして私は何をしてやれたのだろうかと思った11日でした。

 

先日、問われることがありました。災害復興と原発の再稼働についてでした。

重い問いでしたが、次のように話しました。

復興のスピードや規模については、今できる限りのことはしていると思う、と。

原発再稼働につては反対の立場であり、すべてを廃炉にすることを望むが、それに至るための代替えエネルギーをどのように調達できるのか、その具体的で確実な方法と工程表ができなければ即刻廃止とはできないと話し、今現在起きている、化石燃料にたよることの経済性の問題や、環境に負荷をかけていること、また核のゴミが処理できずにまた新たなゴミを出すのは矛盾していますが、技術の革新がこの問題を解決するだろうとの希望的観測に頼らざるを得ないことを話しました。

私たちは原発を感覚的には拒否しても、車や電車やロケットを無くすことや電気によるものづくりを止めることはできません。地球に巨大な隕石が衝突するとかの天変地異でもない限り、電気エネルギーの無かった江戸時代や産業革命以前には戻れないのです。

再稼働はやむなし、と答えなければならないほど、我々現代人は、電気エネルギーを過剰に必要とする時代を作ってしまったのです。

 

自然が造ったものを人間は壊してきました。人間が作ったものは人間が壊しています。作っては壊し、作っては壊すのが人間です。どのようなものでも人間が作った形あるものは必ずなくなるから心配しなくてもいい、と私は思っています。

 

そして、復興のことです。

もし私が被災者となったらどうするか。これが答えでした。

戦争で何万人もの人が死んだら、恨みを晴らす相手がいます。ましてや肉親や同胞が殺されたら私も恨みをはらす行動にでます。しかし自然災害は別です。先人は「天を恨まず」と諭しています。天災に遭った被災者は皆同じということです。

自分が被災したことは誰も所為でもない、誰も責められないことです。助けてくれる人に感謝し、可能な限り生きてみるということです。

哀しいことですが、私は被災者が被災者に対して補償を求め、訴えを起こすことを善しとしません。辛いことですが、もっと早く非難させていたら助かったはずだと考えますが、私がその時の避難先導者となっていたらどうだったか。もっと酷かったかもしれません。自分が被災しなければ本当のことは分からないかもしれませんが、同じ被災者同士を訴えることだけはしないと思いますし、事に乗じて悪事を働く者は別ですが、天災はよほどのことがない限り、行政や人様の所為にできることではないと思っています。

そしてもうひとつの復興案についてです。

現在、復興の槌音は響いていますが、コンクリート製の高い防潮堤で海岸線を消そうとしていることに違和感を覚えます。日本の美しい風景である海岸線を残す智慧が、私たちにはあると思うひとりです。

 

先賢が過去の歴史に学び、「地が揺れたら身を守れ、津波が来るから高台に逃げろ」と教えてきました。次代を担う子どもたちに伝えられることはこれだけのような気がしています。

 

宮沢賢治の「アメニモマケズ」の詩が頭をよぎった1日でした。

 

 わだつみの声か怒涛と寄せる津波(なみ) 呑まれるものは人の世の様

 

 

写真   アメリカ海洋大気圏局が公開した震災前後の日本の夜間照明(2011年3月12日)

      トップページ  福島県南相馬市北泉海岸の日の出(震災前)

 

 

 


2014年3月14日