日本のすがた・かたち
人生の最大事は邂逅、ふとしためぐりあいです。
何時、何処で、誰に会うか。
そして交会が始まり、続き、そしていずれは別れることになりますが、邂逅はやはり限りある人生のなかで最も重大なことだといえます。
一年かけて準備してきた茶事が始まりました。
その日のために、茶入や茶碗を作り、茶杓を削り、香合、炉縁や竹檠(ちくけい)を作り、一連のストーリーを組み立ててきました。今冬は夜陰に紛れて行う夜咄(よばなし)です。
茶事は出会いと別れのセレモニーです。
この日のこの時にしかできないもてなしの限りを尽くし、そして一陣の風の如く別れる儀式ともいえます。二度と訪れることのない出会いの刻を、全身で受け止める4時間です。
茶事・茶会を始めてかれこれ180回近く。未だに飽きずに続けています。
続いている理由は、面白いからで、それ以外にはないようです。
準備が大変で、茶事をしないものからみれば、とてつもなく面倒くさい仕儀と思うかもしれませんが、私にしてみれば、こんなに面白いことをなぜしないのか、と逆に可哀そうに思うほどです。
私が浸っているのは茶の湯のようで、お茶の稽古をしていないので茶道ではないようです。
茶の湯は茶道の目指すところと異なる趣があり、これが私を捉えて離さないのです。
多分、これから先、足腰が立たなくなるまで茶の湯の茶事を中心にして行くことになると思います。
幸い協力者に恵まれ、一会を共にしてもらえる人たちも多く、老若男女バラエテーに富んでいます。若いひとたちとの交流も茶事ならではといえます。
今、世界は、日本人の風習や生活習慣に注目し、その良さを取り入れています。茶の湯が具備する日本文化は、日本人が世界に誇りうる美しい生活習慣であり、普遍性をもった儀礼・儀式の塊です。ほどなく世界各国の分かるひとたちは、日本人の美しい生活の最先端である茶の湯に再注目し、ブレイクすることになるでしょう。
茶室で、桃山時代と直結し、歴史上の人物と出会い、客と濃密な時間を過ごす夜が続きます。和ロウソクを手にして、濃密で煌めく邂逅の日々に向かいます。釈尊のいう、「会者定離」(会う者は離れるのが定め)を胸に秘め、あのひとと逢うのを楽しみにして。
楽しみは夜の咄に巡り合う 客の妖しき影を見る時
写真 上 インド・釈迦が悟りを開く前に沐浴したとされる「尼蓮禅河」
下 河の砂を入れた志野大井戸茶碗 銘「夢のつづき」自作