日本のすがた・かたち

2013年10月1日
文徳教化

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「文化」の語源は「文徳教化」といわれています。

「文明」は「文徳輝明 (文徳は明るく輝く)」からきているようで、文明も文化も元は同じ意味の外来語で、明治維新にヨーロッパから輸入され、中国語を当てはめたものでした。

現代では文化と文明を「芸術文化」や「物質文明」というようにソフト面を文化、ハード面を文明と、分けて表現するようになりました。

文化は言語、宗教、風習、習慣というように、国と国、民族間において伝わりにくいものをさし、文明は文明の利器といわれるような、どこの国のどこの民族でもすぐに使えるもの、自転車、自動車、パソコン、水道、爆弾、飛行機など機械・物質的なものをいうようになっています。

 

私のとらえ方は、容易く変わらないものを「文化」、絶えず変化するものを「文明」、つまり「不易流行」という見方でした。少し乱暴な分けかたですが、この分け方が始まったのは「禅」と「茶の湯」に関心を持ちだした頃からではないかと思います。宗教でもある禅は時間の永遠性、つまり不易を、遊行でもある茶の湯は文明の中での流行を、実感させてきました。

 

「我が国の固有の文化とは何か」、これが長年持ち続け探ってきた「私事」でした。木の建築や茶の湯、歌舞音曲などを通して考えてきた、日本のすがた・かたちでした。

近ごろ、これに明快な答を与えることはできない、と確信するようになりました。

現代の文化は、絶えず揺れ動き、変化を繰り返しながら刻々にすがた・かたちを変え、決して不易なものではないように思え、民族の言語、宗教、風習など固有の文化と思われているものも、その輪郭が薄れ、すがた・かたちが見えなくなっているからです。

大きな原因は急激な情報文明の発展といえます。2007年、ステイーブ・ジョブスの開発による携帯コンピュータ・スマホの出現やインターネットの普及が加速度的に流れを増幅させました。

20130726k0000e040217000p_size5.jpgグローバルスタンダード、つまり情報の共有化は民族間の争いをなくす、と期待されましたが、共有化はかえって争いの範囲を広げています。国や民族をこえ、「人類皆兄弟」が理想といいますが、同胞同士の内戦や、民族間の争いは止むことはなく、願望と異なる方向に動いています。人間は争うことで人間でいられる生きものなのか、と思うほどです。

情報が少なかったはずの縄文人たちも、多量な情報の中に生きる現代人も人には違いありません。喜怒哀楽も同じ、争いも規模こそ違え同じだったと思います。

 

超便利なスマホ片手に、現在位置を確かめながら、私は未だ「日本固有の文化とは何か」にこだわり続けています。今、気が付いているのが先人が伝えてきた優れた記憶です。

そうだ!記憶をたよりに「文徳教化」をしなければ!

親から子へ、子から孫へ…そして親から子へ…。

 

明日は伊勢神宮で、皇祖天照大神が新たな神殿に遷られる「遷御」の儀。1300年繰り返されてきた「日本人の優れた記憶」の継承儀式です。

私は出版準備中の『伊勢神宮』のあとがきを、明日の未明に書こうと思っています。

(写真 遷御を迎える伊勢神宮内宮正殿) 

 


2013年10月1日