日本のすがた・かたち

2011年11月28日
習慣性字忘れ症候群

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この頃文字を書くことが少なくなっています。
その分キーボードを叩くことが多くなりました。
これは現代に生きるものの宿命のような気もしますが、時々反省することになります。漢字を忘れていることに気づく時です。
痛感するのは毛筆を持つ時で、手が覚えていたはずの字がなかなか出てきません。老化のせいか、と思ってもみますが、主な原因はパソコンとしています。
引力のある地球に棲息する人間は、老化が始まると体のあらゆる部分が地表近くに降りてきます。
髪は抜け目元は垂れ、頬も口元もそして筋肉はラード化しだらしなく下部に移動します。どんなにあがいても中年期からこの現象が著しくなってきます。それにともない気力も落ち、ものごとに対する意欲も萎えて降下します。
かつての美男美女も見るかげもなく、誰もかれも人生の秋から冬への移行となります。
ですが、この人間晩秋期からの智慧が多くの人々のために役立つようです。
そう、経験です。経験は力です。
長い経験から生みだされる回答は、ものごとの真理に近づいていくものです。
我が国の人たちは、縄文時代から積み重なった長い経験を生かしながら今を生きています。縄文期からの精神性(古神道)、日本化された仏教、そして世に稀な皇統を維持している皇室がそれにあたります。
そう将来を心配することはありません。
現代の象徴とされるコンピューター世界を批判的に見ている人も多くいますが、
不易流行はいつの世にもあることで、パソコンの利便性に酔う現代を批判するばかりでは片手落ちとなります。
文字を書くことが極端に少なくなったことで知る五感退化の危うさはありますが、それを直ちに生きものとしての人間劣化に結びつけるのは早計のようです。
四季があり、美しい風土に恵まれている日本列島に住んでいる限り、そんなに人間の五感が退化することはないと思います。もし、縄文時代にパソコンがあったら、縄文人もきっととりつかれていたはずです。
ものごとに行き詰ったら、先人の智慧に教えに耳を澄ますことが肝要です。必ず良き答えがあるはずです。
私の文字忘れは、パソコンのせいにはしていますが、ただの老化現象であるとみています。
(写真 良寛の書)


2011年11月28日