日本のすがた・かたち

2011年11月17日
アマテラス-10 鹿島神宮

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鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の杜である三笠山は想像以上でした。
こんもりとしたひと山で、鬱蒼とした広い神域でした。
ここの祭神は「武甕槌神・建御雷神(タケミカヅチノカミ)」です。
別名を建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)といいます。
タケミカヅチの登場は『古事記』の中で、出雲の国譲りの際の立役者です。
高天原のアマテラスと、甥の出雲のオオクニヌシが争ったときに、アマテラスから出雲制圧のために派遣された武神となっています。
「飛騨の口碑」はこのタケミカヅチを出雲の神として、その訳を次のように記しています。
ー最初に高天原飛騨はアマテラスの息子のホヒ命を出雲に遣わしている。
その様子を見に行ったのが、若日子。さらに若日子の様子を見に行ったのが雉姫。最後に強攻策を採って国を譲らせたのはタケモカヅチではなくてホヒ命。
なぜならば、その後出雲国をホヒ命(出雲大社の宮司の祖)に治めさせることになるのならば、タケミカヅチをオオクニヌシの治める出雲政権制圧に向けて派遣するはずがなく、ホヒ命自身が出雲を制圧した。
この『出雲国譲り』の神話は、2世紀に政権に就いた出雲勢力が、8世紀に『古事記』に書いたもので、その心境を思い図れば、自国を奪った敵将の名前と功績などをそのまま記すわけがなく、ホヒ命が出雲を治めたのは事実であるので、これを変えることはできず、そこでオオクニヌシが国を譲った相手はホヒ命ではなく、タケミカヅチという神であるということにしたー
と、口碑は伝えています。
HP-1117-0.JPGこの神は元々鹿島の土着神で、海上交通の神として信仰されていたといいます。ヤマト王権の東国進出の際に鹿島が重要な地になってきたこと、さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになったようです。
奈良平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神としました。
昨年暮に春日大社の『若宮おん祭』に参拝して以来、全国一之宮巡りで西に行く予定順序を変え、福島原発に近づく「鹿島の神」に会ってきました。%EF%BC%A8%EF%BC%B0-1117.jpg
大地震を起こすとされたオオナマズの頭を鹿島神宮の「要石」で押さえ、千葉県の香取神宮の「要石」で尻尾を抑えているという、頭押さえの石も拝んできました。
先人は巨大ナマズを抑え込む智慧を、太古から発揮していたようで、災害列島における教訓を子孫に遺しています。
一之宮を巡り、また日本列島は優れたひとたちを生む風土であると実感しました。そして先人に改めて謝念を抱きました。
剣聖塚原卜伝グッズを盛んに売り込んでいた鹿島の杜でした。
次は伊勢神宮の謎に迫るため、また京都に参じようと思っています。
                                                             (写真 鹿島神宮「奥宮」 「本殿」 「要石」)                                                                                                                                                                                                                                                                                                    


2011年11月17日