日本のすがた・かたち

2011年2月23日
幸せの分岐点

HP-0223.jpg梅こぼれ 桜が匂うおぼろ月
豊かなるかな うみやまの倖
                         
                                       
先日、ブータンの王女が夫と共に来日しました。
そのインタビューの中で、ブータンは世界一幸福度の高い国といっていたのが印象的でした。
何と比較していっているのか、少し疑問に思いましたが、ルポを見た限りでは国中が落ち着いた雰囲気に包まれていました。今、激しさを増しているリビアなど、中東アラブ諸国の国情とはまったくかけ離れた王政国家がブータンのようです。
現代の日本の若者の意識調査では、その幸福感が少ないといわれています。
事実、周りの青年たちを見回しても、生気がなく、「将来に希望を持てない」、「長生きしても仕方ない」といったような覚めた厭世観が募っているようです。また、自殺率は高止まりしています。
太平洋戦争に負けた日本は、欧米に倣い、今の中国のように「経済がすべて」という考え方を優先させてきました。現代のネット時代のマネーゲームを見れば、その行き着く先が分かります。飽くなき利益最優先を国是としてきたことによる結果です。
豊かさとは、「お金をたくさん稼ぐこと」。それが幸福度の高い生活になる、というものですが、実はそうではなく、経済成長と日本人の幸福度とは比例していないことがわかってきています。国民が目指すところの芯が揺らいできたのです。
これは、一時的な不況のせいではなく、長期的に見た世界経済の変化と思えるふしもありますが、私は、「経済が凡てに優先することで人々が幸せとなる」という考え方に、限界が見えてきたのではないか、と考えています。
今まで先進国が世界経済を主導し、自動車産業を中心として一握りの国が大量生産を行い、市場を独占してきました。しかし、現在は中国をはじめとし、韓国、インドなどの新興国や旧社会主義国が力をつけて市場に参入してきたため、先進国が経済を主導する状況が崩れています。
我が国をはじめとする先進国は、昔のような独占的利益を得られなくなったのです。
その結果、過度な競争原理が優先することになり、過度の労働時間を強いり、働くものに、若者たちに未来への希望という「夢」を感じさせることができなくなったといえます。
人間が自由に情報を共有し、他人に強いられ抑圧された価値観で生きたくなければ、それを排除し打倒する行動が自然に出てきます。それが昨今のデモとして世界の国々に多大な影響を与えています。インターネット時代の最大の特徴は情報操作による集団行動を起こしやすいということです。
私の住む日本列島には、これらの集団行動が起きる気配がありません。
よく考えてみれば、私たちは、本当は高い幸福度を持っていることが再認識できるはずです。
そして、それを支える先人の知恵が、精神性が、私たちの足元に横たわっています。
なぜ、日本には暴動やテロが起きないのか、口頭や文書を用いた舌戦で、国の行く末が決めてゆけるのか、考えてみる必要がありそうです。
経済一辺倒から大地や大空に視点を移してみる。
「和の心」で心身を鍛えてきた私たち先人は、そうして難局を乗り越えてきたようです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              


2011年2月23日