日本のすがた・かたち

2011年2月10日
奈良「若宮おん祭」

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カミは主 舞台に舞うは異なる者
観るは衆なり 天に和す風
                       
                                       
12月15日から3日間に春日大社「若宮おん祭」が行われます。
そのクライマックスの17日の午後2時半から「御旅所祭(おたびしょさい)」が始まります。
御旅所祭は「おん祭」の中心的祭典で、美しく飾り立てた神饌などが捧げられ、宮司や日使の奉幣、祝詞奏上の後、行列に加わった各座の代表の拝礼があります。
それに続き、社伝神楽、東遊、田楽、細男、猿楽、和舞、そして11曲の舞楽が夜11時頃まで続きます。参道では競馬、流鏑馬も行われます。
私が最も興味を惹かれ、その日寒空に立っていたのは、大社の若宮が仮宮に移られる仮設社の造りに興味があったことと、その小さな社(やしろ)の前に造られていた「芝貼りの舞台」を見たかったからでした。そして、その芝の舞台で繰り広げられる数々の舞楽で、わけても能楽の元になっている猿楽がどのように演じられていたのかを、この目で確かめることでした。
「芝居」という呼称がここの芝舞台から採られていたこと。また、この御旅所から参道を少し下ったところの一之鳥居の前にある「影向(ようごう)の松」の下で、松の下の儀と呼ばれる儀礼的所作が行われますが、この松が能舞台の鏡板の絵に描かれている松になっていたこと。そして数々の舞楽の原点を垣間見た思いがしました。
「仮のお社」におわす、春日大社の若宮の天押雲根命(あめのおしくものみこと)、その前に設営されている「芝の舞台」、そこで繰り広げられる歌舞音曲。凡ては神霊を慰め、神助を願うための、奉納、それが「若宮おん祭」でした。
若松で覆われた神威を祀り、その前に舞台を設けて歌舞音曲による奉納をし、その舞台を神との間で鑑賞する観衆を観て、私はある異次元での出来事に遭遇しているような錯覚に襲われました。そして、その小さな空間には、確かに目には見えない何かが渦巻き、波動のような働きとなって、取り巻く生きものの皮膚や細胞核に「気」を送っている。私にはそう感じられました。
なぜ、能の舞台には神の化身とする松があるのか、なぜ、神と人間は歌舞音曲によって結ばれるのか、なぜ、五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ、八百七十有余年にわたり途切れることなく、今日に至っているのか。祭事という名の一瞬の内に消え去る儀式に思いを馳せた春日の杜でした。
CIMG2126.jpg先人は、このような儀式を営々と子孫に伝えているのだろうか、と考えさせられ、次回の祭事「和の心にて候」の構成もこれでいいのか、と思うに至った一日でした。
この日はマイナス温度で、午後も温度は上がらず、寒さ対策の重装備をして行かなかったため後悔の連続でした。途中何度も日本酒で寒さを凌いだのですが、効果はありませんでした。
稚児行列の子どもたちも、鼻水をたらしながら大声を出していました。
神威、畏るべし。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              


2011年2月10日