日本のすがた・かたち

2020年5月5日
晴耕雨読

この二カ月ほど、得難い日々を送っています。
多分、あと数ヶ月はこの状態が続くのではないかと思います。

コロナウイルスが起こしている様々な社会現象は、現代社会の盲点を炙り出しているようです。
ひとつは、国際政治は偽善のかたまりで、残酷だということです。
またグローバルな問題を目の当たりにし、その解決のためには国際協調が必要といいながら、実際には各国は自己の利益しか見ていないことです。

そのような事実が暴かれたコロナショック時代は、どのように生きて行くのか。当面はこの課題に取り組まなければいけないことになりそうです。
具体的には新型コロナの感染拡大により物理的な動きを封じられ、世界中にエゴが強く根付いていく中で、自らを守り、かつ可能な限り輝くための術や戦略をしっかりと意識し、実行に移し始める必要があるようです。

 

私たちの生活は外国からの産物で成り立っています。基本となる食料の自給率は40%といいます。
ということは、食料の輸入を止められたら国民の6割は生きて行けなくなることになります。約7500万人余が餓死の危機に晒される計算になります。

私の関わる建設関係に於いても、この二カ月前ほど前から、建設資材の供給が遅れ、現在では輸入がままならなくなり、工事が中断している状況です。
TVなどで工事中断の看板を見る度に、私たちは安価な建設資材が無尽蔵にある、という錯覚に陥っていたことを知らされます。

 

何故このようなことになったのか。
様々な原因があるとおもいますが、ひとつには飽くなき利益の追求にあり、儲けるためなら自然環境破壊も厭わず、先人が営々と築いてきた自然との共生や、固有の伝統文化の継承も軽視してきたことがあるようです。
新型コロナは、欲望の限りを尽くす人間の所業を直撃し、自然から遠ざかり、生きものという観点から遠ざかった分だけ取り戻すことが肝要だと教えているかのようです。

人間の本性は我利我利亡者であり、詰まるところ他人はどうでも良いという生きものといえます。それを調整してきたのが宗教に代表される国々の文化だったと思います。
自然発生的な民族固有の文化に反し、利のために動けば歴史は鉄槌を下し、自然の摂理は人心の欲望によって変えられることはないように思います。「グローバル化」というまやかしではなく、時間を要しても自給自足の生活を目指すことが肝要かと・・・。

 

このところは晴耕雨読の日々。
勿論どこまでこの日常が続くのか分かりませんが、生業はブレーン数人の生活を案じつつ「その時はその時」として、今は、晴れれば露地の草を引き、雨降れば本を読み、気が向けば散歩に興じ、神仏に参り、日本建築の真髄探求に勤しんでいます。

出来ることは人に会わないこと。
それだけのこと。

 

                     夢を見て 生きる蒼穹 鯉のぼり

 

 

 


2020年5月5日