日本のすがた・かたち

2010年11月25日
多様性

HP-101125.jpg敵を知り己を知りて戦うも
後の子らには勝ち負けもなし

“多様性”は先の名古屋で開催されたCOP10(コップテン・「生物多様性条約第10回締約国会議」)で再認識させられた言葉です。
COP10(条約における締約国会議 Conference of the Parties; COP)のホームページによると、「生物多様性」とは、「あらゆる生物種の多さと、それらによって成り立っている生態系の豊かさやバランスが保たれている状態を言い、さらに、生物が過去から未来へと伝える遺伝子の多様さまでを含めた幅広い概念」と定義されています。
 
また会議の目的は、条約の締約国が概ね2年ごとに集まり、各種の国際的な枠組みを策定する会合を開くというもので、生物多様性条約の目的は、「生物の多様性の保全・生物多様性の構成要素の持続可能な利用・遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分」です。
第10回目の名古屋での会議で議論が集中したのが、“遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分”についてで、これが各国の思惑でまとまらなかったようです。
大昔から、人々はその住む土地や地域周辺の食べものを採って暮らし、人口が増えると安定した食料を得るために、栽培を始め量産をし、それでも足りなくなると他所から買い入れて食べものを得てきました。現代ではその食料は地球規模の輸出入に頼り、自国での食糧調達(自給自足)はできなくなりました。私たちが毎日口にする食べものは、地球的規模で供給される時代のすがたを映しています。
この調達の良否を問うことは難しいことですが、ヒトがこの地球上に出現した時から運命とも言える食糧の混血時代が到来していることに間違いはありません。
食べものはまた血の交配と同じ現象として捉えられるようです。
純粋な日本人の血を血統書付で立証することはできない相談で、これと同じく食べものも純国産品といえるものは皆無に近いといえます。現代社会では、混血も食物の交配もすでに地球規模で完結しているようです。
昨今は領土問題や、自然がもたらす資源の利益配分、そして流通における通貨などの優位性の確保による各国の摩擦が激化しています。
地球上の土地は誰のものでもないはずですが、土地争いは、国家民族のための幸福を得るために戦争まで起こすことになります。それは自分の幸せを得るために人を殺めるのと同じで、それらは決して幸せへの道にはならないようです。
そして長い目で見れば、戦争には勝ち負けはないといえます。ただ富の分配の差や民族間の混血と交配がすすむ現象をもたらし、言語を含めた固有の文化がなくなっていくことになり、それを民族の敗北と言えば言えますが、融合と言えないこともありません。
日本列島に住んできた人々は、戦争に負けて国土と主権を奪われた歴史はなく、北や西方から渡来し、南や東の海から上陸した人たちが先住の人々と混血し、交配し、その人たちが皆ミックスしてきた人々です。そして現代人はというと、その混血の繰り返しによる優性遺伝の多様性を最も発揮している人たちということになります。
日本人の血が持つ「和する精神性」は、もしかすると列島の気候風土が磨き出したものと、世界にも稀なこの多様性混血が作りあげてきたものと思えます。
列島に住む人たちは、この狭い地球の上で、生きぬいてゆく智慧を多く秘めています。それを、次代を担う若者に伝えることは、我々にもできそうです。世界中の人たちが憧れる日本人の人間性を、先人は伝えてくれています。
争いの絶えないこの水の惑星に、今、必要なものは「多様性という名の和の精神」なのかもしれません。
私は日本に住む人たちを多様性混血単一民族と呼んでいます。


2010年11月25日