日本のすがた・かたち

2010年10月30日
座標軸

HP-1031.jpgXとYとZの座軸には
凡そ大和の匂う証が

Xは古神道、Yは日本仏教、Zは皇室です。
私は、社会が共有する「知」がかたちとなったもの、つまり日本の文化ということを考える時、この三つの座標軸を頼りにしているところがあります。
これは何年か前からこのような思いに至ったのですが、どうも、この思考方向が私にはしっくりきて、この頃はこれに“茶の湯”を加え、日本的なことを考えることや、物事の判断をするベースとするのようになってきました。
人間社会を成立させている文化を知るには、その“学び”から始まるといわれています。これは教育のことですが、教育の基本は先人の模倣です。つまり“学ぶ”は真似る、真似をするということと同じです。人間が物事の基なるところを先人から真似るということは、とりもなおさず社会の中で失敗の数を少なくしようと学習することに他なりません。「過去の過ちを繰り返さないように」、というようなキャンペーンはここに拠ると思います。
私は、伝統や文化の考え方を、先人のしてきたことを真似て、そこから新たな物事を創りだしてゆくことと考えていますが、その“学び”の内容を如何に取捨選択して行くかというところの個人差が、妙なるところだと思えます。
これは生まれた時代や場所や育ってゆく環境によって、人それぞれの文化的差異が出ることになり、その差異を持った人間同士の塊が生活域を構成してゆきます。街や都市を形成している人々は、日本国内でいえば、ほぼ同じような環境下で育ってきた人たちの集合体ということになります。
その集合体を結びつけているものは何か。
多分、それは「儀礼・儀式」だと思います。
その儀礼・儀式は、個人を、複数の、また多くの人々をひとつの集合体と化する、大いなるエネルギーに他ならないものです。儀礼・儀式の内容は、平たく言えば歌舞音曲となるわけですが、今夏の猛暑の中の各地のお祭り、秋の体育祭、学園祭、収穫祭、クリスマスや初詣と、それは枚挙にいとまがありません。オリンピックなどはその最たるものです。
先年私は、我が国においては、その儀礼・儀式の集積体としてX、Y、Zが最も大きなものであろうと気づき、これを学ぶことが日本のすがた・かたちを理解する上に必須のものと思うようになりました。社会の成り立ちや、各々の行動の良否についても、これら巨大な文化の塊が発するエネルギー下に置かれていることに気がついたのです。
11月は茶家の正月。私の小庵も慣例に倣って、新年を迎えるために茶室の軒の樋や四ツ目垣、蹲踞(つくばい)廻りなど青竹に替え、露地を整え、また新たな気持ちで炉を開くことになりました。今年も清々しい青竹を見ては、日本文化の結晶がこの“茶の湯”に濃厚に表白されていることを感じ、先人の叡智に思いを致しています。
さて、炉開きには白椿と照葉を入れて、あの方をお招きしようか、……と。


2010年10月30日