日本のすがた・かたち

2020年3月13日
不快な生活

“東証1万8千円割れ コロナショックで売り殺到”
今朝のニュースです。
今、世の中は何処を見ても新型コロナ騒ぎで、人間が活動する判断の多くがコロナウイルスに左右させられています。
このような状況になると人間は至って非力で、思想や哲学は役に立たず、体力や精神力さえあてになりません。

 

ウイルスの前にはただ平伏すのみで、どのような策を講じても余り効果はなく、感染者は忌み嫌われ、人間の扱いすらされないようになってきます。

感染を広げない方法は人が人と接触しないことに尽きるため、接触することで成り立っている人間社会が崩壊して行く様が見て取れます。何はともあれ特効薬の開発を待つしか打つ手はないようです。

 

これから各国の政治は混乱し、経済は破綻し、文化の濃度は希薄してくるはずです。そうなると国々の政策は財力と医療に集約せざるを得なくなります。
財力と医療のない国はウイルス感染を座視するしかなく、最終的には自力で食料を賄い、仕事を創出し、グローバル社会ではなく鎖国的国造りをするようになるはずです。

 

私はこのところ縄文時代の生活に思いを致すことが多くなっています。
木の実や草木、魚や貝、そして栗や米を品種改良しながら栽培し、子を育て暮らしていました。自然を畏れ敬い、先祖を崇拝し、小さな単位で生活域を守り、エネルギーは自然循環サイクルの中で購っていました。
その生活が良いとは思いませんが、今直面しているウイルス対応生活は、縄文期のライフスタイルを参考にする必要がありそうです。

 

安全、便利、快適を得て刺激的で情報過多の現代社会は、逆に多くの問題を創出しています。エネルギーを得るための原子力を始め、石油、ガスなどが環境問題を引き起こし、それに対応するためにまた膨大なエネルギーを必要とします。そしてそれらが生む権益や権力欲・・・。
人間の欲望には限りがありません。
その飽くなき欲望に黄信号を灯した新型コロナウイルス。眼に見えない敵は、人類に密かな警告を発しているようです。

 

2月初めから花粉症対策を講じてきた私は、マスクを購入しなるべく外出しないことや、人混みを避けることをしてきましたが、これがコロナウイルス禍と連動したため、何となくコロナ対策となってきました。
ただこの一ヶ月、年度末了の仕事に追われ、無粘性の鼻水と共に不快度の高い生活を強いられてきています。

それにしてもツン、ツンと予告もなく落ちてくる鼻水。

(アッ)・・・。

 

 

写真:前庭に咲いた椿「抜筆」―百花誰が為に開く―

 

 


2020年3月13日