日本のすがた・かたち

2010年6月4日
海洋国の守り

HP-1064.jpg海の国
守りは動くものにあれ
瑞穂の国の水の如くに

                                                            
先日、私も基地問題に直面しました。
久しぶりに次代を担う若者たちと普天間問題について語り
                                        あいました。
3時間に及ぶ熱の入ったやり取りでした。
静岡県三島市に住む私には、米軍基地に関することについての実感が乏しく、軍用機の騒音の凄さも知りません。
つまり、基地に関して日常的に身につまされることがないということです。
彼らは私に、基地問題の解決策があるか、と迫りました。
「日本のすがた・かたち」を考えている者の言として聞きたいとのことでした。
若者のひとりは射るような眼で、私を見ていました。
(ああ、私も40歳前はこのような眼をして先輩たちをみていた…)
と思い、世代交代はこのようにして成されてゆくものだと感慨にふけりました。
私の話した構想は「空母基地」でした。
外国の軍隊が日本を守っていることの異様さに慣れた日本人は異様です。
仮に日本軍がイスラエルあたりに基地を作り、その国の安全を保証することがあったらとしたら、当事者の国や周辺諸国は、いずれ駐留している日本軍を必ず敵対視してくるはずです。
それと同じことが国益と称して平然と行われているのが現在の日本のすがたです。
これは異様なことです。
戦後60余年を経て、自主専守といいながら外国に頼るすがたは、かつて平安時代に公家が血なまぐさいことを武士集団にゆだね、自らが鎧を着け戦うることを嫌ったことと重なります。武士が台頭してきた原因はここにあるようですが、その公家的精神構造がそのまま現在にも続いているようです。
基地問題は、平和に慣れた日本人が、その自らのズルさに気付くために起きているような気がします。
我が国は、憲法で戦争放棄をうたっていなくとも、専守自衛であることが望ましいことはいうまでもありません。しかし現在、主権国家としてのすがたを見れば、独立国を外国軍が守るという異様さに気づく時がきたのかも知れません。
2010年の現在の自主防衛観は、錆びた戦艦の様を呈しているように見えます。
私は、「もし私が総理大臣だとしたら…この案を国民に問いたい」、と前置きして、次のように話しました。
米軍は日本国内の地上基地から退去して頂く。その後に抑止力を行使するため自衛隊が入る。それは国内に6カ所必要だろう。そして当面の問題に対応するために米軍基地が必要というなら、海洋国である日本に相応しい移動基地を作る。それは航空母艦の建造案で、空母のひとつの名を「フテンマキチ」としてもいい。
日本全域の守りのためには6隻を要し、沖縄から北海道まで配備し、必要であれば米軍に使ってもらうといい。飛行機基地が海に浮かんで移動できれば、さまざまな問題が解決する。
そう、話しました。
今日、新しい総理大臣が決まりましたが、これからますます基地問題が影を落とすことになるでしょう。
空母を日本の領海に浮かべることを考えていた私は、海に囲まれた日本のすがたを俯瞰しています。
海に囲まれた国は海を防衛の最前線とするのが自然のように思います。
そして私は、子どもたちと見た映画の「宇宙戦艦ヤマト」のすがたを思い描きます。
小天体を一瞬にして破壊する波動砲を備えたヤマトのすがたです。
ヤマトに象徴されるように、人間の想像力は宇宙の彼方まで飛翔しますが、話のやり取りの中で、片や飛行機の騒音ひとつで生活を脅かされる現実があることも再認識しました。
何時の世にも若者は捨てたものではない、と思えた3時間でした。
                                                                                                                                                  


2010年6月4日