日本のすがた・かたち
あたたかな日射しをあびて綻びぬ
幾世変わらぬ日の本の国
「日本」という国名が現われ、列島に住む人々が「日本人」として姿を見せはじめたのが天武朝廷の時といわれます。ヤマトの支配者たちが争った「壬申の乱」の後です。
それまでの列島は、大陸から「倭国」と呼ばれ、支配者たちもそのように呼称していましたが、天武朝になって「日本国」に変えたものです。今から1300年ほど前のことです。 それと時を同じくして「天皇」という称号がはじめて用いられました。
私たちが学んだ39代までの歴代天皇名は、近代になって付けたことになります。神武天皇や崇神天皇も天皇という称号ではなかったのです。
天武天皇が現われるそれまでのヤマト国の住民は、「倭人」であり「日本人」ではなかったことになります。そして縄文時代の人々も列島の住人であり、「日本人」ではありませんでした。
私は普段、自分自身が日本人であることを疑問に思うことはありませんが、年が改まると何故か日本や日本人に思いを致すことがあります。
頭の中では、「日本人」は日本国の国制の下にある人間集団をさすものであり、この言葉の意味はそれ以上でも以下でもないと解かっているつもりなのですが、この日本人に「民族」がつくとなぜか違和感を覚えるのです。
日本人には民族という言語を遠ざける「何か」があるのかも知れません。
私たちは民族である日本人の定義に、人種や文化的背景や思い入れを混入させ過ぎて、混乱をさせてきたようです。
その日本人の「何か」、は天皇に象徴されると私は思っています。
日本天皇は、縄文人であった飛騨、アイヌ、琉球の末裔たちが渡来人との交配で今日に至り、列島の住民である「日本人」となっている中で、その数万年といわれる歳月の積み重ねの結果、持つに至った精神の拠りどころです。この拠りどころこそが、日本人の日本人たる所以であるといっても、過言ではないと思います。
天皇の存在は、歴代の日本人の代表である総理大臣たちには望むべくもない精神性といえます。何々党の代表も幹事長も大臣たちも、所詮は皆、天皇の臣(おみ)なのです。
私は年が改まると、また「日本のすがた・かたち」に思いを致す日々がはじまったことを確認し、「和をもって貴し」とする日本人で良かった、と改めて思うのです。
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◎チャリテイー「この人と書」展のお知らせ
新之介文庫長の佐々木です。
新年おめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
◎チャリテイー「この人と書」展
◆ 日時 1月13日(水)~19日(火)
AM10時~PM8時(最終日4時閉場)
◆ 場所 銀座松屋 7階 美術画廊
古美術専門誌・「目の眼」400号記念催事としてチャリテイー「この人と書」展が開かれます。
出品者には有馬頼底、森清範、清水公照、山本兼一、黒田辰秋、長島茂雄、川渕三郎、
細川護煕、薮内佐斗司、棟方志功、中川一政、熊谷守一、津本陽氏ら28名の方々と共に、
太田新之介さんも出品しております。
皆さまご覧いただければと存じます。
新之介さんは書のほか手描き帯、茶入(写真
丹波焼 銘「滝ノ音(ね)」)、茶碗、茶杓(写真
絞竹 銘「不二ノ峯」)、色紙の作品を出されています。
◆ 15日午後2時よりトーク&トークが行われます。
今回出品者の陶芸家 安藤 實さん(岐阜県土岐市)と建築家 太田新之介さん
(三島市)によるもので、司会は里文出版安藤社長さんです。
安藤實さんは熊谷守一のような陶芸家といわれ、新之介さんとはユニークな対談になる
と思います。
その後お二人は「この人と書」のサイン会に臨まれます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
詳細は主催の里文出版の公式サイトでどうぞ。
http://ribun-shuppan.at.webry.info/201001/article_1.html