日本のすがた・かたち

2009年5月2日
うた

hototogisu%5B1%5D.gifキュキュと鳴き 
美空を行くかホトトギス
山の彼方の雲居なつかし

                                                             
うたやよまむ てまりやつかむ のにやでむ きみがまにまになしてあそばむ(貞)
うたもよまむ てまりもつかむ のにもでむ こころひとつをさだめかねつも(良)
(良)は良寛が70歳の頃、30歳の貞心尼の歌に応えた返歌です。
歌も詠みたい、手毬もつきたい、野にも出たい、一緒にいる春の野が嬉しくて心がひとつに定まらない、と詠っています。
私は若い頃から二人の歌が好きで、現在でも折にふれこの歌が顔を出します。
30半ばから謡に興味をもつようになり、そのルーツを探した先に「新古今」がありました。
約千年前の鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命で編まれた『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)は『古今集』を範として編まれました。当時、新興文学である連歌や今様に圧倒されつつあった歌の世界を、典雅な空間に復帰させようとして成功した歌集といわれています。
それは古今以来の伝統を引き継ぎ、かつ独自の美世界を現出したもので、「万葉」「古今」と並び我が国の三大歌風と称されました。私が新古今に関心を持ったのは、和歌のみならず後世の連歌・俳諧・謡曲・甚句・都々逸から、能楽、茶の湯に至るまで、絶大な影響を残したということでした。
明治初期、与謝野鉄幹や正岡子規によって和歌の世界に新風が起き、以後、伝統的な和歌の形式は力を失い、短歌が主流となりました。新進短歌は個人的内容で主観を詠むがよしとされ、普遍性や生への問いかけもありましたが、ここ百数十年余、和歌のもつ優美な類似性や架空性が排除されてきたといわれています。
私は歌を作りながら、和歌のもつ優美かつ形式的な四季の美が、日本の伝統文化の基をなしていることがに気づき、明治以降の短歌には決定的に雅(みやび)心が失せていることを知りました。
実際にないこともあるように詠い、あることもないように詠う。同じ季節の感覚のもとに類似のかたやかたちをもって表現する。つまり直截的な表現を避け、共通の感覚をたよりに己の心情を表白する、というのが伝統的な歌作りの手法です。
「梅にウグイス」といえば、日本人のほとんどが分かる早春の季節感です。が、梅にウグイスがとまり、鳴いているのを見た人が何人いるでしょうか。あまり聞いたことがありません。しかし、私たちはその架空性に違和感を持たず、異論を唱えることをしません。なぜでしょうか。そこに日本の伝統美が潜んでいるのを、私たちDNAは承知している。そう思えます。
和歌には日本人の誰もがあこがれ、範としてきた清らな雅趣があります。
天皇が詠まれる歌を御歌(和歌)と称し、なぜ短歌といわれないのか。これがその意味を解させてくれています。夫々に趣がありますが、短歌が子どもの歌として主観をそのまま詠むものとするなら、和歌は長じた大人が詠む雅の歌のように思います。そこには季節感や折々の感情を美しい言葉で表現する我が国の独自の美意識がはたらき、営々とたおやかに、かたやかたちを磨いてきた先人の叡智が結集されているようです。
良寛と貞心尼は40もの歳の差があるような歌を贈ることなく、同じ季節の感覚のもとに美しい恋の歌を詠い交わしています。
和歌には巨大な日本の伝統美が潜んでいる。そんな思いのする昨今です。
(絵 サントリー愛鳥キャンペーンより)
                                                                                                                                                                                                                                                    


2009年5月2日