日本のすがた・かたち

2019年2月22日
1万年往来

今、世界で最も話題性に富んでいるといわれるものにAI・人工知能があります。私はAIに関心があり、その可能性に期待しているひとりです。

一方、多くの人はAIにより仕事を奪われると危惧し、その話題が喧伝されています。
色々見方や考え方により見解が分かれるところですが、私はというと、まあ、AIが活躍する頃には多分この世にいないし、心配することはないとのんびり構えています。
先日も若い人たちとこの話題で盛り上がった時、AIに生身の人間が征服されそうになっても「心配するな、なるようになる。」と、一休禅師張りの話をしました。

私の結論は、人間の能力が人工的に劣ることになっても、人間が人間でいるかぎり人工物は人間を超えることはないということです。この地球上では自然の摂理に逆らうことは不可で、人工物はそれに順応できるとは思えないのです。

 

AIに関心が高くなっている私には、ある変化が生まれています。縄文時代など古代への関心が高まっていることです。これは10年ほど前からですが、その度合いはPCやスマフが活躍するに比例しているようです。
20年前、縄文時代の住まいを研究し始めたのがきっかけで、今では何かと現代と縄文時代を対比させるような癖が付いています。
(縄文の人たちにはスマホは魔法使いの道具に思えるだろうな…)から始まり、
(スマホばかりで地図を見ていると道を覚えないな…)
(電気がなければスマホは使えないな…)
(バーチャルの世界で物事が完結してしまうと体得できるものがなくなるな…)などと、空想や妄想が広がって行きますが、縄文からの古代史に関心を持っていると、何事につけ古代と現代との往来が新鮮となり、また、思いがけなく貴重な情報を得、また歴史上の人物との出会いが私の可能性にスポットをあててくれることになります。

 

時系列を遡り、我が国の木造を俯瞰する時、私は得も言えぬ高揚感に満たされます。
そして現在取り組んでいる、茶室群造営計画の遂行に行きつきます。
ナポレオン・ヒルは「思考は現実化する」といっています。私の心はそれに同化します。
心は方向性を持ちながら時空に融けてあるからです。

 

スマホもAIも量子コンピュータも縄文時代も、人間が棲息していて成立してきたこと。
人間の好奇心と欲望には限りがない、と仏陀は教えていますが、本当にその通りだなと今更のように妄想しています。

(それにしても超精巧なロボットに、官能的な色気が欲しいな…)。

 

最新の「アンドロイド観音」

https://www.sankei.com/west/news/190223/wst1902230036-n1.html

 

 

 

 


2019年2月22日