日本のすがた・かたち

2018年1月10日
伝統と誇り

 

「自分は何者なのか」。
この問いは、人間が知能を持ってから続いてきた命題で、未だに明解な答えは見いだせずにいるようです。
地球が狭くなり、価値観がグローバル化してくると、人間は拠り所を失う機会が多くなり、結果、「自分は何者なのだ?」、との問いが多くなることになります。

日頃は考えなくてもよいことですが、ある時、突然、何処からともなくこの声が聴こえてくるから不思議です。
年末年始は風邪気味で寝正月を決め込んでいました。その結果、「自分は何者か」の疑問にまた遭遇することに・・・。
(お前は何処から来て、何処に行くのか?)
(死んだら、魂はどうするのか?)などなど。

松が明けて日常に復帰した途端に、忙しさに紛れこの問いかけも失せましたが、その内にまたお化けのように何度でも出てくると思います。

 

世の中は、これからより安全、効率、利便、快適、安楽へと邁進することになりそうです。楽をして儲け、旨いものを食べ、面白く暮らすというフレーズが多くなるはずです。
そのためにはロボット化を進め、人工知能に任せ、情報収集と加工に神経を尖らせるようになると思います。
果たしてそれで人間は充足した人生を送れるのか・・・。

最近、中国は戦前まで続いてきた書道、漢詩作など文人墨客に倣い、また煎茶、音楽、服飾、古美術蒐集、伝統芸能の復活を掲げ伝統復活の号令を発したとのことです。
一党独裁政治とは真逆な試みといえますが、経済的に余裕が生まれ、どうしても民族の誇りを持つ必要に迫られたからだと思います。正に「衣食足りて礼節を知る」とはこのことで、民族は、民族固有の伝統文化に育まれた誇りがなければ民族らしく生きられないことに気がついたのだと思います。お金だけでは生きられないと。

 

グローバル化の産んだ亡霊が跋扈する最大の原因は、伝統無視による国造りにあるようです。国民に自信や誇りを持たせるには、自国の伝統文化を再評価し、再び伝統の中に生きる以外にないようです。トランプ大統領のいうアメリカファーストは経済優先の話ですが、何処の国であろうと、これからの世の中の核心的フレーズとなると思います。

伝統文化は永く伝えられてきた言語、宗教、風習、技術などですが、これらを儀礼・儀式化したすがた・かたちであります。そして伝統は、民族の誇りの源泉であり、守るものではなく、それに新たな創造を重ねて行く行動だと思っています。

昨日より、今日、今日より明日へと。誰のためでもなく、生きて行くために。

 

     この春に始めることのあれこれは 同行二人古人に連れ立つ

 

 

写真:箱根からの初日の出

 

 

 


2018年1月10日