新之介文庫だより

2017年6月1日
『絵本 ソーじいじのわっしょい』 感想文

太田新之介の「和の心にて候」へようこそおいでくださいました。
この度、Webサイトのディレクションおよび新之介文庫のお手伝いさせていただくことになりました河嶋です。

6月よりWebサイトをリニューアルいたしました。
これまでの『太田新之介の「和の心にて候」』を踏襲しながらも、新たな試み、分野へとつながりを広げてまいります。

叱咤激励のほど、よろしくお願いいたします。

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『絵本 ソーじいじのわっしょい』感想

「和の心にて候」

冒頭で著者よりこの言葉が贈られる。

「和」の心とは何か。
「和」のおもてなし。「和」の装い。
日本に昔から伝わる作法やもの、振る舞いが「和」なのであろうか。

わっしょいわっしょい、お祭りの夜。
人間たちのお祭りを見て、森の動物たちが集まり、踊り出す。
お祭りに心が体が踊り、いつしか静まった頃、黒フクロウの「ソーじいじ」がやってきて、森のみんなに不思議な話を語り掛けてくれる。
語り掛けられているのは動物であるが、物語のこちらにいる子どもたちにそのまなざしが向けられている。

私たちを取り巻く自然。
安堵、恐怖、なんとなく感じるもの。
生きとし生けるもの。
私たちに命を繋いでくれた先祖の存在。

古来より日本人は昔からそれらを神様や仏様として祭り、祭られた神様や仏様は私たちを見守ってくれると信じてきた。
それは見返りや取り引きなのではなく、思い合うことがお互いのおだやかな心を呼び、その穏やかな心で思い合うことが周囲へ後世へ繋がる「輪」に、「和」になるのだと。
見えるもの・見えないもの、すべてに心があると受け止め、相手を思う。そのおだやかにつながる心が私たち日本人の生きてきた「和」の心なんだよ、とソーじいじの言葉が他意ない動物たちを通して子どもの無垢な心に響き、子どものために手に取った親の心に何かを思い出させる。

私たちは「~風」という言葉と同列に「和風」という言葉を日常的に使っている。
おもてなしも装いも「和風」ではその方法や形を真似るだけで、心がない。生まれた国を指す「和」という言葉に「風」をつけるとは、あまりに他人事ではないか。

和を背負い生きていく。
わっしょい、わっしょい。
私たちの生まれた日本に長く伝わる作法やもの、振る舞い。
それらを生み出し、支え、伝えてきた森羅万象すべてを思いやる「心」が「和」なのだよとソーじいじは語り、また次のお祭りへと飛び立っていく。

子どもは気に入った絵本を繰り返して読む。
寝室の枕元にそっと置いたら、何気なく息子が読んでいた。
何気なく、ソーじいじが息子に語り掛けてくれる。
教えるのではなく、動物たちと一緒にソーじいじの話を繰り返し聞くことで、和の心の種がそっと根づく。

和の心にて候。

 

絵: さかいりえこ

 


2017年6月1日