新之介文庫だより

2014年11月10日
上梓のあと・電子出版

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『伊勢神宮』の発刊から三ヶ月が経ちました。

自分の中では、もう伊勢神宮は一応済んだとして、次の執筆にかかっています。

ところがこのところ本の内容に関する質問が多く、少し弱っています。

それだけお読み頂き、関心を持って頂いていると思うと有難く感謝申し上げなければいけないところですが、何しろ20年も前から書き溜めてきた内容なので、記憶も定かではないところもあって、少し戸惑っているのが実情です。

電子出版が始まり、11月の末にはラジオでお話しすることになりました。

でも、質問に巧く答えられなかったら、とこのところ不安にかられています。

 

本の内容は木の建築である伊勢神宮は「誰が、何時、何の目的で、何所に建てたのか」、というものですが、この結論を導き出した結果、私の中では意外な展開をみるものとなりました。

ますます謎が深まったのです。

日本人が神様と思っている存在は一体何だろうか、宇宙か太陽や月や星か、自然の山河や岩や大木か、それとも先祖か、偉業を成した人間か…。

現在納得していることは、古神道といわれるものは宗教ではなく、先祖を敬い、物事に感謝する道徳であること。

「古事記」、「日本書記」に出てくる神々は先祖で、凡そ3分の2は実在の人物だということです。残りはある人物の神名を変えた、いわば芸名のようなもので、一人の人物が5つも6つも神名を持っていということ、あるいは天照大神の姉弟である月読命など、架空の神様を創作していることなどです。

 

そして驚くことに日本国中の神様は、90パーセント以上出雲系の人物で占められていることでした。これは神社に祀られている祭神を調べると直ぐ分かります。

また『記紀』では、弥生時代中期後半(紀元前2、1世紀)から神話が始まっていますが、その前の縄文時代の1万数千年前には神様は出現していません。なぜ途中から突然神様が登場したのか。誰かが自分たちの正統性を主張するために、実在した人物を神に仕立てたのではないかと…。

そして現在の最大の関心事は全国に祀られている「イゾタケル」という神様です。

どうもこの人物は韓からの渡来人で、出雲族にあがめられた形跡があります。

1790年、本居宣長の『古事記伝』が刊行されてから、220年。それまで誰も読むことができなかった『古事記』説は、現在に至り百花繚乱か百鬼夜行の有り様のようです。

1869年に成立した明治政府は「皇国史観」で解釈し、敗戦した1945年から現代までは「反日・反皇室史観」で解釈されてきたようです。勝手気ままな説が横行してきたのも頷けます。

誰が誰の説をもって日本古代史を解釈しているのか。これが面白いところです。私は様々な古文書を漁りましたが、現在は「飛騨の口碑」に信をおいている一人です。

 

などなど、『伊勢神宮』の上梓の後は、日本古代史と天皇家に関わる謎の解明にワクワクしているような毎日となっています。

 

外国の人たちが日本のことが分からない原因のひとつには、多くの国民が潜在的に保持している「道徳という精神性」があります。

道徳は、クリスマスを祝い、除夜の鐘を聴き、そして夜が明けたら神社に御参りする、ということに違和感を持ちません。

宗教といえない有難い先祖の教えだと思っています。

「上梓のあと」はまた続きを書きたいと思っています。

写真 去年散策した箱根強羅「箱根美術館の苔庭」(国の記念物)。この庭の紅葉を愛でながら、『伊勢神宮』の構想のまとめをしていた。今年は多用のため眺めることが出来ないので、せめて写真で思い出しながら・・・。

                                                                                                     

 


2014年11月10日