日本のすがた・かたち

2018年11月25日
天地いっぱいに

今年も季節は巡り、はや師走の声を聞くようになりました。
街ではクリスマス商戦が始まっています。

この数日の間に二人の訃報が届きました。
何時かは還る定めとはいえ、落葉の季節には一層、人の命の儚さを思います。そして生あることへの謝念を改めて思い起こします。

五十も過ぎた頃から、訃報を聞く度に思い起こすのが「今ココを生きてゆく…」という言葉でした。
孤高に生きた禅僧・太田洞水老師は座禅の後の法話の中で、何時も「今ココを生きよ!」、と話していました。
当時三十の若僧にはその意味がよく解らず、それから20年を経て、岐阜の僧堂再建の仕事が終わった後に、漸くその言わんとするところに行きつきました。

道元禅師が言う時間の観念は,「過去、現在、未来」だけではなく、「今、今、今」の刻々を生きる時間もあるということでした。禅師の遠孫である洞水老師は「この今」を生きることの大切さを説いたのでした。

「生者必滅、会者定離」は、命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れること、を説いていますが、それ故に「今ココ」を懸命に生きるという言葉の意味が、重みを増すように思います。

過去も未来もなく、現在の今ココを、天地いっぱいに生きて行く…。まるで限りある命を惜しむかの如く…。

そうして私は訃報を聞く度に、「今ココ」を思い出し、今、今、の自己を生きたいと願うようになり、何時しか次代を担う人たちのお役に立てることができれば、と思うようになりました。

現在、取り組んでいる「茶の湯のステージ・三島御寮造営計画」は三百年後の子孫が活躍できる舞台造りです。漸く最終構想がまとまり、全体模型制作作業が進んでいます。

「今ココ」を生きることは永遠を生きることに他ならないように思います。
但し、これには人と群れることをよしとしない覚悟が要るようです。
「今ココ」は「今個々」に繋がるような気がしています。

 

鎮魂の鐘を聞いて故人の好んだ風刺都々逸で
   〽 除夜の鐘ならゴーンと鳴るが ゴーンの金なら罪となる

 

写真:山月庵・露地

 


2018年11月25日