日本のすがた・かたち

2021年7月29日
渦中に桃山想起

 

今、世界はコロナ禍中にあり、医療をはじめ、今までの通念では考えられない状況を迎えています。

その真っただ中の我が国ではオリンピックが開催中です。

競技が進むと開催中止を叫び、強行したと非難した人たちはいつの間にか静かになり、中止と選手を称えることとは違う、と訳の分からないことをいい始めました。そして日本人の金メタルには涙し、人類平和の祭典といっている姿をみるにつけ、人間押しなべて高邁な思想や理念で生きているのではなく、「自分ファースト」、つまり自己主張の塊が己の姿なのだ、と改めて思うこの頃です。始まったら気持ち良く応援すればいいのに…。

私といえば熱海の土石流以来、色々なことに遭遇し緊張の日々を送っています。この二ヶ月間で数人の訃報を聞き、数カ月の命といわれた友人もいて、人間の運命のやるせなさに身を任せる以外にないと思い定めているところです。

先日、高齢者の二度目のワクチン接種をしてきました。
始めて実感したのが、自分も後期高齢者だということでした。
何、このエネルギーがあれば年寄り扱いは無用だ!と思っていましたが、ワクチン接種会場を出る時。自分はバリバリの大年寄りだということを実感しました。
75歳まで生きていることが不思議なことだとも。

現在取り組んでいる設計の仕事は佳境に入り、過去にデザインし造ってきたものを踏み台にして、新たな領域へと挑戦しています。協働する建築家達は30代から80代までの20名ほどで、彼等との遣り取りは刺激的で。老骨に鞭打つ毎日といえます。
コロナの影響は大ですが、幸い性質は引きこもり症候群、適応障害風で、独りで机にへばりつくことに安心する日々ともいえます。

 

その渦中にあって不思議に脳裏をかすめるのは、桃山時代の茶の湯のです。中でも古田織部は別格で、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチといわれ、創造性豊かで斬新な造形と意匠で、桃山ルネサンスをリードした武将でした。
織部が指導し創らせた「黒織部」、「織部黒」、「鳴海織部」などの沓茶碗は、それまでの常識を破り、破天荒な造形で、我が国の陶芸界に画期的な変化をもたらせました。

この数カ月、毎朝食後の抹茶一服はこれら桃山織部を取り替えながら使っています。収集は四十過ぎからですが、これら沓茶碗類は現在の私に限りない刺激を与え、芸術の永遠性を感じさせています。

蝉声合唱が始まりました。「さあ、今日もこの一服で…」。

 

 


2021年7月29日