日本のすがた・かたち

2020年6月7日
令和六月・涼風

約二ヶ月の巣籠状態を脱し、今日から自粛解除となりました。
執筆はことの他はかどらず、ウツウツの連続でした。
これから推敲の日々が始まります。

 

パソコンのキーボードを叩きながらも、常にコロナ禍の動向は気になり、世界のことは兎も角、これからの日本はどうなって行くのかを考えていました。
今、アメリカと中国の確執とデモ、暴動、略奪、殺人・・・。
その中で我が国は何から何までやることが遅いと、行政は叩かれるばかり。果たしてそうだろうか、と考えていました。
それらは一概に過去と比較できない、今という時代ではないかと・・・。
スマホやCP、AIというものを得ている現代という「時代」故なのではないかと。

 

この頃小学生がハマっているという、マイクラゲームを観て驚かされました。
ノートPCを観ているとそれは瞬時に建築物を組み立てながら設計し、設計しながら組み立てて行くもので、雲の上まで造られた超々高層ビルの屋上にはプールは勿論、宇宙船着陸場まである、というFS的奇想天外の設計です。

そしてまた、高層建築は瞬時に計画を変更し、崩しては組み立て、組み立てては崩し、まあ変幻自在の様でした。
観ていて、「これはもう、オレたちの出番はなくなるなぁ」と思いました。
時代というものは、人間が好奇心や欲望により知らずしらず作って行く時間の蓄積で、何人もそれを止めることはできません。
しかし、それが人間にとって良き有様になるかどうかは未知のものです。

 

2020年という時代に生きている私は、どうもこれからの時代は、色気と味気が薄くなるような気がしています。
バーチャルリアリティーの世界が広がって行くと、実感や触感といった五感を動員して暮らす術は、必要とされない可能性も大です。生きものとして自然の中で生息するのではなく、子孫は、人工的な環境の中でしか生きられないのではないかと危惧するこの頃です。

今朝はお茶の稽古が始まるのを機に、露地を改め隅々まで手入れをしました。
樹々や草、苔たちは待っていたような気配を見せ、既に繁茂した季節の装いを済ませていました。
時代を超えて生き続けてきた「茶室」という建築・・・。
これは我が国の先人が営々と造営し、日本文化の源流を伝えてきた「木の建築」・・・。
私は露地の草を引きながら、息絶えるまで造り続けて行こうと、改めて思いました。

 

 〽︎露地の草引き 空仰ぎ見て 令和六月 風涼し

 


2020年6月7日