日本のすがた・かたち

2019年8月3日
舟を設計してから

 

この十日ばかりの間に2人の訃報が届きました。
長い間親しくして頂いた方たちで、私より若い年齢の突然の身罷りは切ない限りです。

人の命は短くとも長くとも儚いもので、「一炊の夢の如し」、といわれます。まるで生を受けた瞬間から寿命という蝋燭に火が点り、蝋が溶けて命が尽きる一生の様です。

人間も齢七十を過ぎると、何時しか後何年生きるかという計算をするようになるといいます。私もご他聞にもれず、この頃は後10年とかあわよくば20年とか、と考えるようになりました。
二十一歳の時、高圧事故に遭って三途の川を渡りかけたのに、奇跡的に戻り、それから五十年余が経ちます。精神はともかく肉体を持っている宿命で、常に死と隣り合わせの日々を重ねてきたように思います。

永らえば、縁ある人との別れも多くなり、出会いが少なくなりなるは必然のことです。
古人曰く、生涯に深い縁のある人の数は、肉親も入れて両手両足の20指に満たないとしています。つまり、自分の一生を振り返ってみて、誰との交流が人生にとって重要だったか、と振り返った時、この地球上に76億人もがいるのに、生涯で20人の人との関わり合いで生きているとは不思議な気がします。

宇宙的規模から観れば、陸地に生息する人間は微細な生きもので、都市という塊はカビが地表にへばりついているように見えます。そのカビの菌が睦み合い、いがみ合い、殺し合っているのが人の世の常です。人類皆兄弟!と唱えても中々上手く運ばないのがカビ菌の宿命のようです。

 

人は人を殺め、動植物の命を絶ってわが命を保っています。肉食は罪悪という人も、草木の命を絶って己の命を永らえています。血の滴るようなステーキを食べている者がクジラやイルカの保護を訴えていることに違和感を覚えます。悲しくとも、人間とは他者を殺めてでしか生きられない生きものということになります。

縁ある人が亡くなる度にこのようなことを回想し、そして今在ることに感謝します。

そしてこの目まぐるしく動く多用の日々。
仕事を中心として毎日が充実している日常は、考えてみれば有難いことで、やることの連続によって三途の川を渡ることの想像も何時しか薄れています。近い内に必ず訪れることですが、漠然ながら,来るまでは命はあるから、忙しくて川を渡る舟の設計に手が回らないと…。

 

何時の日か三途の渡し舟を設計し、舟大工に造らせてから渡りたいと思っています。

             知己や往く 浄土に開け 蓮の華

 

 


2019年8月3日