日本のすがた・かたち

2018年8月29日
猿人・原人・原生人類と建築

この夏の猛暑は70年の間で最高レベルとのことです。
それに加えて忙しさも最高レベルで、汗まみれの日々が続いています。

最近の人類学研究では、440万年前にエチオピアの森に棲んでいたラミダス猿人というチンパンジーとも人間とも違う二足歩行の生きものは、一夫一婦制でメスの獲得にエネルギーを使わないことで子孫を残し、子育を手伝っていたといわれています。

370万年前にはアファレンシスへ進化し、彼らは仲間を持つに至り、240年前にはホモ・ハビリスとボイセイに分かれこの頃には既に石器を使用し、道具をもつ人になっていたとのことです。
その後に出現したホモ・エレクトゥスは走るのが得意で、およそ180万から7万年前まで生きていて、150-100万年前、更新世初期に肉食により脳が大きくなり、精巧な道具を作りその子孫がアフリカ、アジア、ヨーロッパの各地に分散したといいます。
ネアンデルタール人、ホモ・サピエンス(現生人類)などがそれに続き、洞窟から海岸へ出て、アムール貝などの未知なる食料を得て海を渡ったとされています。

そのホモ・サピエンスの子孫が私たちで、440万年前の血を受けついていることになります。
ヨーロッパ人と日本人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定されています。

私が人類の進化に関心が高いひとつに住いがあります。先人はどのようなところに住んでいたかということです。
日本人にとっての手がかりは縄文時代の1万5千年前ころからのものですが、7万年前に始まり、1万年前まで続いた最終氷河期が終わったころ、祖先は既に森の木を利用して住いをつくり集落を形成したのだろうと思います。

縄文早期の建築は雨露をしのぐために造られたと思います。
平地の近くの木を使い、蔓で結び、草や葉を掛け、土を載せた屋根を作り、火を使い、土器を作り、家族で住んでいたと推測されます。土、石、木、草や葉などの自然材料を加工したものが構成材料です。

森林で覆われた日本列島では早くから木造建築が造られ、それが弥生時代に受け継がれ、古墳時代、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、桃山、江戸と受け継がれ、今日に至っています。
特筆すべきは、世界に類例を見ない大材を用いた寺院建築から細い自然木を用いた茶室建築に至った1500年の建築文化の変遷です。
奈良仏教から禅宗にいたる伽藍、神社建築、寝殿造り、書院造り、民家、城郭、町屋、数寄屋(茶室)建築への変遷は、まさに日本人の精神性や風習、風俗などの文化の息吹が見てとれるものです。

私は建築家を志して40数年経ちますが、先人が手で造ってきた木造建築のすがた・かたちを見る度に、気候風土が生み出した日本人の優れた特性を見つけ出し、自分はその子孫だといつも思います。

先人は大昔から営々と木の建築を造ってきました。
私もその一員として、後の人たちのお役に立つ仕事を目指しています。
暑さと忙しさも、木の香りと共にあれば・・・。

 

写真:ホモ・エレクトスの模型(Web・ウキペディアより)

 


2018年8月29日