日本のすがた・かたち

2018年6月6日
相模の海

久し振りに熱海・瑞雲郷の「水晶殿」に入りました。
平成大改修の設計監理を担当し、完成してから6年の歳月が流れています。

往時、設計者の岡田茂吉翁が座られていた,というところに座し、遠い相模の海を眺めていました。
初夏の風光はことのほか瑞々しく、棚引く雲を観てこの地が将に「瑞雲郷」であることを改めて感じました。

水晶殿は唯の建造物にあらず。
眼前に展開するたおやかな絶景と同化し、意思を持ち、この場を訪れる人々に何かのエネルギーを注いでいるように感じました。この感覚は初めて訪れた40年前と変わらないように思いました。

棚引く雲、霞む相模の水平線、影だけの伊豆大島、手が届きそうな初島、海面に二筋を描く連絡船、幾重にも渦をみせる潮の流れ、正面は僅かに霞む故郷の町…。

海で遊んだ幼い頃、家族や友達の顔、9歳の頃から既に湾を隔て見ていたこの水晶殿…。
29歳で建築家を志し、最初に縁があった水晶殿の円形サッシュの改修設計…。

それから43年経ち、この円形ホールに座っている不思議さと縁を感じていました。
(決して偶然ではない…)

建築は完成した時から古くなり、そして朽ちて行くものです。形あるものの宿命で、これを避けることはできません。しかし、先人は多くの人にとって重要となる建築を可能な限り遺し、活用してきました。それは先人の遺徳の継承であり、文化の継承というものでした。後の人たちが生活するために必要とするであろう「すがた・かたち」でした。
そして継承は建造物ばかりではなく、言葉や教え、技術や環境の保全、開発の工夫、自然への適合の智慧に及ぶものでした。健やかに生きるための手立てといえるものです。

建築家は自己の知識、経験、人間性など全てが問われる仕事で、そして行動は人々のためにあるべきだ、との思いは今でも変わりませんが、水晶殿に座り、完成に至る過程を振り返ってみると、仕事とはその折々の縁と事情でしかできないことを改めて思いました。

相模の眺望は、私にとって清らな気に浴す貴重な時間でした。
水晶殿から発するエネルギーは、この清らな大気のように思いました。
(何が、清らな気を発し続けているのか…)

故郷の海は優しく静かでした。

       故郷 に 帰 る こ と も な し 舞 う カ モ メ

 

 

 


2018年6月6日