日本のすがた・かたち

2017年9月6日
伝えかし


 

   人の世は 無いものねだりに暇つぶし 色と欲とに 妬きもち絡めて

この狂歌は、40歳も過ぎた頃、人の生涯というものはこのようなものだ、として詠んだものです。

今にして思えば厄年などといわれ、人生の危機に直面していた頃でした。
先ずは人を信じることができなくなり、飲食に節なく、事務所の経営も行き詰まり、荒れた生活の真っただ中でした。あれほどあった生きる自信も失せて、内心はボロボロでした。
20年前の感電事故に遭った時にあの世に往っていれば良かった、と思ったものでした。
それを乗り越えることができたのが、一冊の本の出版でした。

上梓した『建築相聞歌』は、建築家を目指してきた10年余の証のようなもので、自分はどのように考え、生きてきたのか、折々書きとめておいたメモをまとめたものでした。
本の出版は初めてでした。
意外なことでしたが、編集者と作業を進める内に気合が入ってきて、とても新鮮に思い、出版のお祝いをして頂いた頃には、何はともあれ生きていて良かったと思うに至りました。多分、出版作業により、自分を改めて内観できた結果だったと思います。

考えてみれば、日常は生きている時間の積み重ねで、お釈迦さんのいうように、その生きているそのものが苦しみというのであれば、その「苦」を受け止めて、そのままで日常を過ごして行く他はありません。
ただ、先人たちは自分の経験からその「苦」を和らげ、麻痺させる術を伝えてきました。

ある時、人生で最大の「苦」は死を考えた時に訪れ、病を得た時、老いを得た時にあると理解しました。まあ、産まれてからずっとこれに直面しているわけですから、人生は須らく「苦」の連続ということになるわけです。

昨今、若い人の自殺が多く、社会問題になっていますが、何時の世も人間は人を殺め、自らを殺めて生きる生物です。見渡せばポジティブに考える人もネガティブに考える人も皆同じで、物事に対する見方に相違あるだけのような気がします。ポジティブに見える人は案外苦しみが多く、悩みも深いため、明るくして自分の励ましているのだと思います。どちらが良いかは本人の自覚の問題で比較できるものではないようです。自殺を考える若者には、生きた体験を語るのが一番だと思っています。

日頃の苦しみは人との関わりに多く、比較、差別するために多いようです。
私の処方箋は「比べず、今ココを懸命に・・・」というところです。

30年前、斜に構えて詠んだ狂歌の感覚は、今に至りどのように変化してきたのか。

 

   大和なる 和の色を伝えかし 直ぐき思いや 花をたよりに

自分が過ごしてきた時間の中でこれならばというところを、次世代の若者たちに受け取って貰える。
これができたら望外のことだと思うようになりました。

 

 


2017年9月6日