おちゃらけに茶々入れ
以前、太田先生にこんな質問をしたことがあります。
「"茶化す"とか"おちゃらける"とか、ネガティブな意味合いの言葉の中に
"茶"が使われるのはなぜですか?」
太田先生は、確かこんな説明をしてくださったと記憶しています。
お茶事の"かた・かたち"の中には、日本の文化・歴史が集約されているとい
うことのほかに、実はもう一つの大切な意味合いがある。
それは、"すべて茶にする"ということ。
太田先生はある時、大きな岐路に立たされ、あらゆる手を尽しても、もうそ
の先には進めないとという状況に行き着いてしまった時、奥様とお二人でお
茶事をなさったとのことです。
人生の難事や苦しみ、悲しみ、そして人の生き死にさえも、それはただそう
いうものだとそのまま受け入れ、すべては"笑って"茶にする、お茶とともに
流しさってしまおう、という考えが、お茶事には込められているのだ、との
ことでした。
僕は、映画『本覚坊遺文 千利休』(原作・井上靖)の中で、これから戦場に向
かう戦国武士達が、鎧兜で身体を覆い、利休の立てた最期の茶を嬉しそうに
服すシーンを思い出しました。
さて、準備から実行まで一年の大半を投じた『和の心にて候in熱海』ですが、
最後は「収支報告会プラス納会」の様な形で締めくくられるものとばかり思っ
ていました。でも、それは間違いだったようです。
太田先生から実行委員の皆様にお茶事へのお誘いの手紙が届きました。
太田先生の実行委員の皆様への感謝の気持ちを表する茶事であるとのことで
すが、祭事の実現に当たり、語り尽くせぬほどに数多く生じた様々な出来事(?)
を、すべて茶にする茶事でもあるのかもしれません。
楽しみであります。
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