« 和の言ノ葉 | 和の息吹 Top | 虚空の音 »

茶事は音が合図となっていた!

僕が日本人として生まれてきてよかったなって思ったのが、太田先生の茶室での茶事に
参加させていただいた時のことです。
心の底からそう思いました。
昨年の晩春くらいに体験させていただいた時のことです。

‐初めての茶事‐

2006年4月9日、鎌倉樵隠塾の茶事が三島の不説斎で行われた。
お茶事に出るなんて、お茶をやられている方でも、10年やってもまだ早い!
と言われるらしい。
でも太田新之介先生、宗侑先生は「手得心応」 。
自分で実際に体験しなければ何もわからないんだと言われている。

お茶事当日の朝は、興奮と緊張で4時には目が覚めてしまった。
僕は正客だった。
お茶事は正客一人のためにやるんだと前に新之介さんがおっしゃっていた。
もちろん、僕はまったく経験がないから、新之介さんが先導正客で、手とり足とり
やってくださるとのことだった。
いったい何が起こるんだろう?
10時30分集合、少し前に到着した僕は、晴れわたる空の下、堂々とそびえる富士に
岩笛を吹いて、どうぞ、一瞬一瞬を正しき方向へ導いてください。そして、
この今をありがとうございます。と祈った。

何も挨拶を交すことなく、扉が開けられるのを待つ。扉が少し開けられた。
入ってもいいという無言の合図。僕らは寄り付きに通された。
狛犬のような神獣の焼き物から放たれる香に、汚れが取れるようだった。
そして、そこにかけられていたのは、雪堂先生がお茶事に来られた時に書かれた
ものだった。
亡くなる前、先生はお茶事にものすごく興味を持っておられた。
茶杓を削って、新之介さんと本当に楽しそうにやりとりをされていた。
書を見ていたら、いろいろなことが思い出された。雪堂先生を近くに感じた。
この書をかけてくださったご亭主の想いに胸が熱くなった、、、

路地には、俗界とをわける結界がある。腰かけて待つ。僕は深呼吸をした。
目の前に広がるのは、日常とは別の空間。
路地の葉も一枚一枚、丁寧に拭かれている。
つくばいの青竹も、今日のために用意されたもの。清浄感に包まれる。
ご亭主の優しい思いを感じているのか、植物たちが、穏やかな酸素を放って
くれている気がした。

しばらく待っていると、戸が開き、白っぽい着物に身を包まれた亭主である
宗侑先生が現れた。
風の音、鳥の声以外聴こえない。挨拶もなく、ただその振る舞いを見る。
あまりの美しさにゾクッとした。能のシテを見ているようだった。
無言のまま、つくばいで身を清める。
僕たちも同じように、神社での手水と同じやり方で身を清め、いよいよ茶室へと入る、、、
僕の魂が高揚した。磁場の強い聖地に行った時に感じる感覚に似ている。

そして茶室へと入った。
まず目に飛込んできたのは、「唯耕心田」の文字。
床の間の書は、書がかかっているんじゃない。書いた人物がそこにいるんだ!
と新之介さんは言われていた。
拝をした。
出会えた喜びと、二度と会えないかもしれない、諸行無常を感じ、一瞬に
感謝の想いをこめた。
新之介さんの後につづき、釜をみた。
炉ぶちがブラックホールのような漆黒で、そこに写る炭の火が本当に美しかった、、、

全員が席に着くと、そっと襖が開いた。
シテが登場した!
緊張していると、となりで新之介さんが、亭主とのやりとりの仕方をそっと教えて
くださった。
寄り付きから路地、今、目の前にあるものまで、心にちょっとでも残ったことを伺える。
質問できるのは正客だけらしい。
床の間の書は、新之介さんが尊敬されていた老師様によるもの。
寺も持たず、家庭も持たず、座禅三昧の方で、若き新之介さんと心の交流のあった方の書。
ただ、自分自身の心のたんぼを耕していくんだという意味の禅語「唯耕心田」は、
新之介さんから教えていただいて、僕も何度か書いてみた大好きな言葉だった。
嬉しかった。新之介さんが大好きな老師様に出会えた、そんな気がした。

次に炭を入れるのを拝見した。
鳥の羽のほうきで清められる道具、場、、、そして香が炊かれた。
ほのかで威厳のある香りに、身が引き締まると同時に、心もやすらいだ。
この後、懐石料理が出た。
お酒をいただき、新之介さんにひとつひとつの作法を教えていただいた。
形には意味があり、そこに心がある。一番大切なのは心。
新之介さんがいつも言われる、カルチャーセンターの茶道と茶の湯は
まったく違うんだっていうことが、少しだけ実感できた。
料理はすべて、宗侑先生、お嬢さんの三穂子さんによるもの。
一品一品に心のこもった、季節のいのちを本当においしくいただいた。
心が豊かになった。
最後に、釜についたお焦げと湯を入れたもので、飯椀と汁椀をすすいだ。
いただいた茶碗も作ってくださった方を思い遣り、綺麗にする心配り、
いいなって思った。
そして、新之介さんの導きで、最後にみんなで呼吸を合わせて盆に箸を落とした、、、
その瞬間、すっーと襖が開いた。絶妙のタイミングだった。
襖の向こうにスタンバイしていたんだ。
音がすべての合図となっていた!演劇のようだった。
あまりの展開に、驚きと感動でひっくり返りそうになった。
茶事はみんなで作り上げる、「一座建立」、、、これなんだって思った。
本当に感動した。

初座が終り、中立ちという休憩をはさむ。
次の合図はドラの音。
茶室に入ると書はすでになく、花があった。
室内に響く沸騰した神秘的な釜の音。
一刻一刻変化していく音。二度とない今が、たまらなくいとおしく思えた。
さっきの初座は陰の席、後座は陽の席ということ。茶室内が明るい気がする。
緊張感の漂う茶室に宗侑先生が入って来られた。
張りつめた空気感。宗侑先生のひとつひとつの動きが舞いのようだった。
袱紗(ふくさ)での四方さばきは、先住民が儀式で東西南北を清める、汚れを払う儀式
そのものだった。
その無駄のない美しい動きで、四方どころか八方、十方を清めていく。
能を目の前で見ているような、神社で厳かな神事を見ているような、そんな感じだった。
宗侑先生の動きに反応するような風の音。飛び散る炭の火花。
一瞬一瞬が、神がかっていた。
清められた釜の蓋が開いた。湯気が静かに天に上った。鳥肌がたった。
オーバーではなく神様が出てきた!って思った。
水の神様と火の神様が合体して出てきたような、大好きな宮崎駿さんの映画
[千と千尋の神隠し] の中のシーン。
湯屋で、千に毒素をはきだしてもらって、本当に気持良さそうに翁面のような笑顔で
飛んでいく川の神様とイメージが重なった。

僕は濃茶は神事だって感じた。
水の神様と火の神様が合体して沸騰したお湯。そこに合わさる沢山の新芽の
葉のいのち。
そのいのち、神秘を最大限讃えるために、袱紗さばきのような形があるんだって思えて
ならなかった。
自然の神秘を、神様をいただくような、不思議な気分になった。

一年前に参加したダライラマ法王のイベントでも、同じ気持ちになったことがある。
約10日間をかけてチベット僧によって砂マンダラが製作された。
ひとつぶひとつぶの様々な色の砂を、静かに落としていく、気の遠くなるような作業。
見事に完成した観世音菩薩の砂マンダラは、信じられないほどの美しさだった。
ただ、それは美術館に飾られるために製作されたのではない。
なんと、祈りと共に、あっさり壊され、ただの砂に戻った。
砂マンダラは、空襲で、戦争で命を落とされた方々の鎮魂のために製作され、隅田川に
流された、、、その砂の一部が参加者に分けられた。
さっきまで、神々の宇宙を表していた砂。僧の導きで、砂をひたいにつけ、口にした。
その瞬間、体の中に神様が入った!そう感じた。震えた、、、
濃茶は、その時の感覚と同じだった。本当に凄い体験だった。

4時間の茶事を通して、日本人の自然観を、奥深い美意識を、人やものを、二度とない
時を、今を思う、惻隠の情を実感できた。
嬉しかった。
昔の大名や武士たちは、戦で死にゆく前に一服の茶を飲んでいったそうだ。
なぜなのかが、ほんの少しだけれど、わかった気がした、、、

最大の茶道具、茶室を自ら作り、茶道具をつくり、懐石をつくり、何より人をおもんぱかる
心を、お茶事に、そして日常に生かしておられる太田御夫妻に、心底感動した。
僕が知りたかった日本があった。受け継ぎたい精神があった。
僕はそれをディジュリドゥに生かしたい。それをすることが僕の役割かもしれない。
一生のテーマだ。
今、あらためて思い出しても、お茶事を経験した前と後では見える世界が違う。
幅が広がった。
雪堂先生は、「のぶ、新之介は凄いねぇ。みんな何故あの凄さが、深さがわから
ないんだろう。本当にいい庭石は地上に頭を少し出し、ほとんどは見えない地中に
存在しているんだよ」って素敵な笑顔で僕に言っておられた。
雪堂先生と新之介さんは、互いの地中の見えないところを理解しあっていたんだ。
新之介さんはいつも言われる。「人間、いくら金があっても車が何台あっても満たされない。
水の中にいるのに水が欲しい、喉が乾いた、、、物質的なことだけでは満たされない。
明日とか、いつか、ではなく、この今を、豊かにうるおいのある過ごし方をする。瞬間瞬間の
様々な出会い、なにげなく出会う人や歩いている時の道端に生きる花、空、風景の色、風の
香り、音、、過去や未来に生きるんじゃなく、この今あることを全力で堪能する。これこそが
最高に豊かなこと。肩書きも、地位も、年齢も関係ないんだ」って。
教えていただいていることを魂に刻みこんで、このとてつもない豊かさに感謝して、音に、
そして、日常に生かしていきたいと思います。

お茶事にはすべてがあった。
演劇も音楽も舞踏も宗教観も食も芸術も、、、本当に700年の時空を越えた体験だった。


KNOB拝。 

           

                                    

2008年07月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のコメント

KNOB

KNOB
(ディジュリドゥ)