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   <title>和の息吹</title>
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   <title>熱海の地にて</title>
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   <published>2007-11-27T03:41:39Z</published>
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   <summary>今回、ご縁をいただき熱海の地にて、ディジュリドゥを 吹かせていただいたことを心か...</summary>
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      今回、ご縁をいただき熱海の地にて、ディジュリドゥを
吹かせていただいたことを心から嬉しく感謝しています、、、

何万年もの太古の時代から、アボリジニの人々によって守り、
受け継がれてきた天然の空洞の木の音を、
僕が生まれ育った日本という国の文化や言葉、精神性を軸に、
僕の一生をかけて、あの木の音の本質を追求し、
自然に嫌われないような音を目指し精進しつづけていきたいと思います。
あらためて、23日25日と能楽堂にいらしてくださったひとりひとりの方に
心から、感謝致します。
本当にありがとうございました。

そして、長い間、ご尽力いただきました和の心にて候in熱海の実行委員のみなさま、
ライブの中の最後の祈りの儀に特別出演してくださった斎藤栄市長。
様々な形でご協力いただいたみなさま、、、
そして太田新之介先生。
みなさんから、熱海と言う地を愛する想いが心が伝わってきました。
本当にお世話になりました。ご縁を嬉しく思います。
ありがとうございました。

熱海の地の上で、確に感じた‐和‐を大切にこれからも一期一会の音を
紡いでいきたいと思います。
いつの日か、海外から伝わった三味線や鼓、、、の楽器が今では、
日本の伝統楽器となっているように、
あのディジュリドゥという天然空洞木が日本の伝統の一部になっていたらと願っています。
そして、地球の各国の多種多様な文化、宗教を越え、
同じ地球に生まれた人間として、根底にある共通する心が伝わり、響き合い、
地球規模、宇宙規模の和が出来ることを願い、祈ります。
熱海の地が、日本の地が、地球が宇宙が、
そしてそこに生きる生命が平和でありますように、、、

千歳楽！万歳楽！永永棟！
これを持って、僕のブログ‐和の息吹‐を終了させていただきます、、、
この今をありがとうございます。


合掌。KNOB拝
平成19年11月吉日




      
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   <title>和の心にて候</title>
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   <published>2007-11-26T02:48:36Z</published>
   <updated>2007-11-26T02:55:42Z</updated>
   
   <summary>「和の心にて候in熱海」が無事に終りました。 天気も良く大盛況の中で、事故もなく...</summary>
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      「和の心にて候in熱海」が無事に終りました。
天気も良く大盛況の中で、事故もなく終えることが出来ました。
関係者のみなさま、来てくださったお客様、ご協力いただい た方々、
ひとりひとりの存在が心が、何か見えない大きな力に導かれるように、
繋がって少しずつ和が形作られていったように思います、、、

3日間を通してのストーリーを作り、パズルを作るように、
キャラクターの違う多種多様な人たちをそれぞれにふさわしい場を与え、
それぞれに使命を与えていった太田新之介という人間には、本当に、
感銘を受けました。
それぞれの場でその時その時に、完全燃焼するように全身全霊で挑んだ人、
また、すべてを出しきれなかった人、それぞれだったと思います、、、
 だけれども、その人その人個人の一生という和を作り上げていく中で、
今回経験したことはとても重要なことだと思っています。

人間に本来、勝ち負けなどなく、この地球に生まれてきていつの日か、
体を離れて旅立つ日まで、出会う縁(えにし)のある人々と失敗や成功、
涙や歓喜を繰り返し、心を擦り合い、もがきながら自分自身を作り上げ、
自分自身の頂上を目指していくことが、自分という命の和を築くことだと
思っています。
そうやって人と交流、交信する中で、ひとりひとりが自分を作っていくことが、
気付かないうちに光輝く大きな和を作っていることに繋がっていくんだと思います。

太田先生が、ライブ「九天飛翔」の演出メモの最初に、
科学者が言ったバタフライ効果という現象の言葉を引用していました
-小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏に届く時には、大きな風になるという-
ひとりひとりが何気なくするような、小さくみえるようなことでさえ、
地球規模で影響を与えてしまうんだと思います。
自分は出来るんだなどと過信せず、その時その時できるただそのことに命を燃やし、
今という時に心から感謝しながら生きていきたいと思いました、、、

特に、熱海、MOAの能楽堂で演奏させていただくことは、
僕にとっては深い意味を持つことでした、、、
午後の部が終り、静まった舞台を見ていて涙がこぼれてきました、、、
本当にありがたい気持で一杯でした。

今回の和の心にて候に関わられたひとりひとりの方に、
そして何より、足を運んでくださったお客様に心から感謝致します。
本当にありがとうございました。
そして、太田先生。本当にお疲れ様でした。
いろいろなことを教えられました。
無事に最高な形で終えられたこと、本当におめでとうございます。
あの場にあった和を、今しみじみ感じています。


KNOB拝





      
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   <title>音の和</title>
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   <published>2007-11-20T06:55:03Z</published>
   <updated>2007-11-20T06:58:08Z</updated>
   
   <summary>11月18日のリハーサルで出演者のみなさんと舞台で音を奏でた、、、 太田先生によ...</summary>
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      <name>KNOB</name>
      
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      11月18日のリハーサルで出演者のみなさんと舞台で音を奏でた、、、
太田先生による演出の中、望月さん、奈良さん、岡山くん、太郎くん。
そして初めてご一緒する草間さんと奏でた音、、、
あの清らかな檜の舞台の上では、どんな小さな音でも感じられる。
おおまかな流れだけで、細かい打ち合わせはせずに互いに空気を読み、
会話をするように、自分以外の音を聴きながら瞬間瞬間に組み立てられていく音の輪。
言葉で何かを伝え合うよりも、その人自身が伝わってくる。
それが音にはあると思う、、、

次にみなさんと音で会話できるのは、25日。
その日あの能楽堂に集うすべての人が発する気、その場にしかない空気感が、
僕たち出演者を通して音となるのかもしれない、、、

一瞬一瞬が二度とない一期一会の音なんだ。
うまく響き合えた時、、、
その時に、和の音が生まれてくるのだろう。


合掌。KNOB拝


      
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   <title>羽の衣</title>
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   <published>2007-11-19T02:51:56Z</published>
   <updated>2007-11-19T04:02:39Z</updated>
   
   <summary>11月18日はMOAの能楽堂にて、25日のリハーサルだった。 その前日、僕は同じ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      11月18日はMOAの能楽堂にて、25日のリハーサルだった。
その前日、僕は同じこの場に来ていた、、、
春くらいかな、MOAの定期演能会で羽衣があることを知り、
25日のステージの舞台監督をされる美術館の山下さんにチケットを
お願いしていたんだ。

僕は羽衣を、昨年のステージのために約一年半くらいをかけて太田先生に
教えていただいていた。
太田先生は観世で能を勉強され舞台にも立っておられる。
実は羽衣は昨年も一度、東京のある場所で観たことがあるんだけれど、
それが僕には満足できない舞台だった。
僕の中でイメージしていた世界とはまったく違ったものだったのです。
だからどうしても、羽衣をもう一度観たかった。
それが、今回はリハーサルの前日、僕たちが立つ舞台で行われる。
何かご縁を感じて心の底からワクワクしていた、、、

そして、目の前で繰り広げられた羽衣は、、、
本当に本当に凄かった。
今まで観た能が比べ物にならないくらい感動した。
特にシテ(天人)が漁師の白龍から衣を返してもらい、衣を着け「駿河舞」として
伝えられる舞を舞いながら、月世界の宮殿の様子を語り、
春の三保の浦の景色を讃える場面、、、
舞台には、羽衣を着けた天人が動かず止まっている。
それが、僕には、いやきっとみなさんそう感じたことだろう、天人が、音もなく空へと
浮かんでいった情景が見えた。
まるで、真っ青な空に、鳶や鷹がその大きな羽を広げ上昇気流に乗り天空をゆったりと
静かに飛ぶような、、、
天人は天空を自在に翔んでいた、そして宇宙にまで翔んでいった、、、
天空で天人が舞うから、あの動きなんだと思うような、いやそんな冷静さを失う、
本当に空で舞う天人を観てしまったという畏れを感じるような時間だった、、、
そして仕舞も舞われた関根祥六さんの人生、心、魂すべてが凝縮されたような舞いに
心を打たれた。

じつは僕はあまり、芸という言葉が好きではないんです。
芸を技を研くというのはあたりまえのことで、技やテクニックを学び、型などを身に付け、
その過程で型を越えた自分という人間に気付き心を魂を研く。
だから技や型を感じさせない、人間そのものが現れる、そんな領域に
たまらなく惹かれるのです。

芸人でもなんでもない肩書きではなくただ人間、、、
それを関根祥六という方から感じた。
そして、天人をされたのは、そんな人間祥六を伝えられたであろう祥人さん。
本当に感動の舞台だった。
あまりに凄くて、もう二度と羽衣は観たくない、そんなふうに思える一生、僕の心に
残る魂の舞いだった、、、

18日のリハーサル前。
僕は伊豆山神社に詣でて、この山で吹かせていただくことの感謝をお伝えした。
そして、前日、関根祥六さん、祥人さんが舞われ、その気配がまだ残る舞台に祈った、、、
同じ舞台で音を紡ぎだせることが嬉しく、それと同時にその重さを深く実感した、、、
ただのイベントや興業ではなく、太田新之介という人間の魂のメッセージが
こめられた‐和の心にて候‐である。
出演者はもちろん、実行委員や関係者、ひとりひとりが互いをおもんぱかり、
その瞬間瞬間に命がけで魂を燃やした時にそれが来てくださるひとりひとりに
伝わるんだと思う。
自分がやってるんじゃない、おおいなる何かにやらされ、動かされているのだと思う。
それが宗教を越えた日本人の自然観であると僕は思います。

熱海での三日間が成功なんてものを越えて‐意味のある‐ことにするには、
関係しているひとりひとりに、今、己の中に本当に‐和‐はあるのか！
太田新之介という人間の想いをわかっているのか！
ひとりひとりに突きつけられている気がしてなりません、、、


合掌。KNOB拝。11月19日。





      
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   <title>お祭り</title>
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   <published>2007-11-09T08:01:11Z</published>
   <updated>2007-11-09T08:07:08Z</updated>
   
   <summary>僕はお祭りが大好きで仕方ないお祭り男です。 太田先生に伺い初めて知った‐ワッショ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      僕はお祭りが大好きで仕方ないお祭り男です。
太田先生に伺い初めて知った‐ワッショイ‐の意味。
和を背負う！いい言葉だな。
お宮で無事を繁栄を願い祈り、みんなで、力を合わせ御輿を背負う。
声を合わせ心を合わせ神さまを、その肩に背負う。
自分とは本来自然の分身の意味。
祭りは自然と自分が一体であることが感じられるような時間。

映画「地球交響曲第一番」に出演されている植物学者の野澤重雄先生は、
科学技術や遺伝子操作などの力を借りずに、一粒のトマトの種から、
一万四千個ものトマトがなる巨木を作ってしまった方です。
その野澤先生は映画の中でこんなことを言っておられます。

-神とは、高度な自然のメカニズムの実体のことである-

そんな自然と繋がれるのが祭り。
御輿が無事に到着すると、手締めをする。
この時にヨオォォッって言って柏手を打つけれど、
このヨオォォッの原型は‐祝おう‐だ。
祝おうがだんだんとヨオォォッになっていった。
ワッショイと同じ。

25日のライブの最後には手締めがあります。
何事もなく、その日に必要な人々が集い、
心に和を背負い感じることが出来たなら、
集えた奇跡を出会えた喜びを祝えたらと思っています。


合掌。KNOB拝

      
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   <title>心に残る言ノ葉</title>
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   <published>2007-11-06T04:50:16Z</published>
   <updated>2007-11-06T05:14:05Z</updated>
   
   <summary>旧暦で言うとそろそろ神無月。神さまは出雲に集い、お留守中。 日に日に‐和の心にて...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      旧暦で言うとそろそろ神無月。神さまは出雲に集い、お留守中。
日に日に‐和の心にて候in熱海‐が近付いています。
昨年、太田先生からいただいた手紙に書いてあった言葉で、
僕の心に深く刻まれている詩があります。

- 人の情(なさけ)と縁(えにし)の深さ 
ふたつ重ねて夢を見る -

23日24日25日に関わっている方々。
来てくださる方々、僕たちライブ出演者、、、
みんなの心が通い、縁の深さを実感して、人間って、生きてるっていいなって
感じるような時間になればなって願いながら精進しています。
そして、その三日間は神さまたちも出雲から熱海に大集合して、
神在月の熱海になるといいですね。
神さま、スケジュール調整よろしくお願い致します(笑)

24日の満月と前日、後日。月のような真ん丸の素敵な、人の和が、
地上にも現れますように、、、


合掌。KNOB拝


      
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   <title>光の柱</title>
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   <published>2007-11-02T02:17:17Z</published>
   <updated>2007-11-02T02:28:05Z</updated>
   
   <summary>9月末に、僕は高知での牧野植物園でのコンサートのために、飛行機で向かった。 この...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      9月末に、僕は高知での牧野植物園でのコンサートのために、飛行機で向かった。
この飛行機から、僕は不思議な光景を見た。

＊＊＊

高知へと向かう飛行機は、海と陸地の境を飛んでいく。
雲も薄くて、見慣れた町を過ぎ、あっと いう間に江の島。
遠くには美しい富士山。
江の島神社の弁天さまに富士山に、手を合わせた。

席に置いてある雑誌、翼の王国の地図で確認しながら、僕はずっと外を眺めて
いたんだ。
途中、スチュワーデスさんが「くすっ」かな「にこっ」僕を見た。
きっと、僕が初めて飛行機に乗って感動しまくってるって思ったんだよ(笑)
でも、初めて、ずっと外を見てた。
だってね。本当に地図の通りの美しい地形が大地が海と寄り添いながらあるんだ。
空は真っ青だしね。

熱海のあたりに近付いた時だった。
雲間から太陽の光が放射して、神秘的なことってあるんだけれど、
それが、空からではなく、下の海のある一点から清らかな光が、空に向かって
放射していた、、、
太陽の光が海に反射して、それが空に射していたのかな？
清らかな光の柱が海から天に向かって昇っていくようだった。
本当に美しい光だった。

あれはなんだったんだろう？
そのあとは、静岡の御前崎から伊良湖岬までのほとんど、まっすぐな海沿いを
飛んでいく。
そして飛行機からは先月末に行った伊勢の大地が見えた。
伊勢神宮を空から参拝している気分になった、、、
その後、熊野、那智の滝、遠くには、紀伊山地が見える。
その先には橿原、天河、比叡山、、、
心の中で、祝詞と般若心経を唱えて、ありがとうございますと手を合わせた。

大好きな聖地を空から巡礼しているなんて、
なんか本当に不思議な気持になった。
あらためて、飛行機って凄いなって感動したんだ。

そして、四国へと、、、空海、今でもお編路をされる方々があとを絶たない祈りの
地が見えた。
そして、高知龍馬空港へと着陸した。美しい景色だった。
日本は、地球はなんて美しいんだって思った、、、
この星に生まれたことを嬉しく思った。

そして、僕は高知の地に足を降ろした。

(KNOBウェブサイト、日々の感動より)

＊＊＊

僕は太田先生の書かれた文章の中で、光の柱のことを目にした。

ー子供のころ漁師の父親が、新月の闇の晩に熱海沖から熱海の
山に白い光の柱のようなものが空に昇っていった、、、ー

その光と同じかはわからないけれど、確に熱海沖から、天空へ向かって
放射する清らかな光を見たんだ。
太田先生はこんなことも書かれている

ー光の柱が立ったこの地には、生きとし生けるものの祈りの音が
こだましているようだったー

何かを予兆しているかの光。
23日24日25日と熱海の地で、ご縁があり集う人々が、和となり、ひとりひとりが
笑顔でキラキラ輝き、ひとりひとりが光そのものとなることを想像しました。
熱海に光の柱が立つかもしれませんね。
皆さんにお会いできることが楽しみです。


合掌。KNOB拝



      
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   <title>口伝</title>
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   <published>2007-10-30T11:04:43Z</published>
   <updated>2007-10-30T11:10:05Z</updated>
   
   <summary>アボリジニの人々は未だに、文字をもたない民族。 何万年もの間、大切なことは、人か...</summary>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      アボリジニの人々は未だに、文字をもたない民族。
何万年もの間、大切なことは、人から人に口伝えに伝えられてきた。
神話や音そのものとして、伝わってきた、、、

文字が小さなころから近くにあった僕は、口伝ということの意味の大切さ、
奥深さをなかなか実感できないでいた、、、
それを実感できることが突然やってきたのは、昨年の夏前でした。太
田先生から、ある重要な言霊を授かることになったのだ、、、
建築の上棟式で行われる神事の中で、大棟梁が発する、上棟呪文。
それが、太田先生から僕に、、、僕は建築家ではない。
その話を太田先生から伺った時、僕が授かってよいものか、迷った。
太田先生はこう言ってくださった

ーノブさん。俺もある時、伝えられたんだよ。
それを誰に伝えようか、考えていたんだ。
そんな時、祈りの楽器を奏でるノブさんが現れた。
大地に祈るにふさわしい呪文なんだ。
俺はノブさんに伝えたいー

ただただありがたかった、、、
その日から、口伝が始まった。
僕の耳元で、囁かれた言葉、、、それはたった一度。
僕は、あまりに突然でただ聴き入ってしまった。
もう一度お願いします、と言ったら、
駄目だ。一回だけ。録音したり、メモをしたりしては、絶対に駄目だよ。
言葉に宿る力、霊力、呪力、パワーが無くなってしまう。
会った時に一度ずつ伝えるから、体や細胞、心に焼き付けるんだよ、、、

そうして何ヶ月もかけ、太田先生から僕に伝えられた上棟呪文。
正式に授かった言霊は、僕以外、誰も目にしてはいけない、門外不出のもの。
いつも神棚に置いてある。
その呪力ある言霊を約一年ぶりに発する。
それが11月25日、熱海の地が千年も万年も永遠に、安泰で豊かでありますことを
祈る儀式をライブ中に行う。

昨年、奏楽堂で行われたライブもそうだったけれど、11月25日は、ただ音を奏でる
コンサートではない。
来てくださるひとりひとり、演奏させていただく土地、またそこにあった数々のいのち、、、
そういうすべての存在と響き合い、祈る、、、日本の祭りのようなものかな。
神事と音、舞い共にある。
それが、日本に元々あった、芸能や音楽の形なんだと思います。
一年ぶりの祈りの言霊。
なるべく体と心を清め、当日に向かいたいと思います。


合掌。KNOB拝


      
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   <title>家紋</title>
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   <published>2007-10-19T02:41:38Z</published>
   <updated>2007-10-19T02:48:24Z</updated>
   
   <summary>僕は、ディジュリドゥを吹くときに、だいたい袴を着ける。 ディジュリドゥの呼吸には...</summary>
   <author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      僕は、ディジュリドゥを吹くときに、だいたい袴を着ける。
ディジュリドゥの呼吸には、袴のゆったりした中、帯をしめ、
丹田に気を集中できるのは、もっともふさわしいという気がしているからだ。
着物を着ける時にも、意識を集中できる。

着物は紋付きなんだけれど、この紋は、僕がデザインしたオリジナル。
僕は、天然空洞木無孔笛流って 名乗っているんだけれど、
天然空洞木はディジュリドゥのこと。
無孔笛(むくてき)は、書の師、小野田雪堂先生から教えていただいた禅語。
孔のあいていない笛、穴が無くて音の出せない笛。転じて、言葉を
超越したところにある無上の説法。
常識にとらわれることのない優れた説法の意味。
こういう音を一生をかけて目指していきたいと付けた言葉です。

その無の字を家紋にしました。
一見、亀のようにも見える紋様は、陰と陽、伝説の龍、天と地、それをひとつに結ぶ
二本(にほん、日本にかけています)の天然空洞木(ディジュリドゥ)、
そして雷から出来ています。

ジーパン、皮ジャンの時と、着物で過ごすときと同じくらいになってきた。
そのくらい、着物って心地いい。
窮屈どころか、究極的にリラックスできる。
だけど、一本、筋が通っている。
着物はよく出来てる。
着物とディジュリドゥは本当に相性がいい。
木の文化の日本と自然の木の筒、ディジュリドゥはぴったり合うと僕は思っています。
能舞台とも合うことを願いながら、精進しています。


合掌。KNOB拝



      
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   <title>縄文の岩笛</title>
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   <published>2007-10-18T07:57:35Z</published>
   <updated>2007-10-18T08:03:07Z</updated>
   
   <summary>僕が地球最古の楽器と言われているディジュリドゥと共に吹かせていただいているのが、...</summary>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      僕が地球最古の楽器と言われているディジュリドゥと共に吹かせていただいているのが、
縄文時代から伝わる岩笛です。

石笛とも磐笛とも書きますが、僕が使わせていただいている岩笛は、
日本とバリで授かった岩笛(自然に穴の空いた石)と、
縄文の遺跡から発掘される人工的に穴の開けられた岩笛を研究し、
その効用を突き詰め謹製されている方から授かったものです。

多くの古神道研究家に多大な影響を与えてきたと言われる(故)中西晃氏は、
岩笛の音を「気韻生動する音響」と称し、岩笛を吹いて心身魂の禊を行うことを、
晩年にすすめられていました。
その中西氏の奥様が岩笛を謹製されているのです。

縄文時代より遥か昔から、吹かれているディジュリドゥに出会って、
縄文に興味が湧き、岩笛の存在を知り、製作をされている方を知り、
電話をし、すぐに会いに伺ったのがきっかけです。
使わせていただいている岩笛は、縄文の聖地と言われる糸魚川産出の
ヒスイ石から出来ています。
なぜ古代の人たちが岩笛を吹いたのかという理由ははっきりしていません。
合図のために使った、音を出すこと自体が目的だった、神を呼ぶために吹いていた
というような説があります。
今でも、いくつかの神社などで御神事で神を降ろすときに吹かれています。

作家の三島由紀夫氏は、こんなふうに表現されています
「心魂を揺るがすような神々しい響きを持っている。
清澄そのものかと思うと、その底に玉のような温かい不透明な澱みがある。」

岩笛のような音色を出す楽器がもうひとつだけ確認されています。
能で吹かれている能管です。
能管は岩笛を真似て作られたとのことですが、音色もそうですが、吹く目的も、
あの世の世界の神や霊を呼び出す意味合いがあると言われています。
(能の出演者は神や霊などあの世の方々です)
また岩笛や能管は、他の楽器では、出せない2万2500ヘルツの高周波が出ています。
人間の耳には、聴こえない超音波です。
その音は松果体に作用するようです。

25日は糸魚川のヒスイから謹製されているものと、自然のものとを吹かせていただこうと
思っています。
ディジュリドゥが大地の音に近いとすれば、岩笛は天の音というようなイメージがあります。
このふたつの太古の楽器が、琴や鼓、和太鼓、口琴とどう混ざり合うか、
時空を越えたセッションになりそうな気がしてワクワクしています。


合掌。KNOB拝。
(anemone-脳を活性化する岩笛の秘密より引用)




      
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   <title>虚空の音</title>
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   <published>2007-10-15T08:36:11Z</published>
   <updated>2007-10-15T08:41:33Z</updated>
   
   <summary>出演させていただいているドキュメンタリー映画［地球交響曲第六番］は 音がテーマに...</summary>
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      出演させていただいているドキュメンタリー映画［地球交響曲第六番］は
音がテーマになっています。

映画の中で、僕の大好きなビートルズも、多大な影響を受けた
インドのシタール奏者‐ラビ・シャンカール‐はこんなことを言っています。
ー古いインドの言葉では、音のことを「ナーダ」と言います。
その音にも2種類あり、ひとつは「アーハタ・ナーダ」
物と物がぶつかった時に生まれる音。耳に聴こえる普通の音のことです。
もうひとつは「アナハタ・ナーダ」
耳には聴こえない虚空の音、と言ってもいい。
偉大な聖者が瞑想を通して全てのチャクラを開き、生命エネルギーを自在に
コントロールできた時、初めて聴こえる音のことです。
だから、「ナーダ・ブラフマー=音は神なり」という教えがありますー
≪地球交響曲第六番より≫

龍村仁監督は、こう言ってくださった
ーディジュリドゥの音を、目を閉じて生まれて初めて聴いた人はなにを
連想するだろうか。
地中から湧き出てくるマグマの音、それとも地震の前の地鳴りの音、
私は深海から響き渡ってくるザトウ鯨の声、チベット密教の僧達が唱える
超低音のマントラを想ったー
≪地球交響曲第六番パンフレットより≫

ディジュリドゥの空の洞は、無とも言える。だけど何もないということではない。
僕の無のイメージはこんな感じだ。
ひとつは、何も入っていない透明なコップに蓋がされている、
もうひとつは、透明なコップに水が隙間ないくらいに入り蓋がされている。
何もないのと、何もないように見えるのとでは全然違う。
赤、青、黄、緑、、、とすべての色を足すと透明になってしまうと言う、、、
無とは見えないとてつもないエネルギーが満ち満ちた状態なんじゃないかな。
僕はあの木の空洞にある無を感じたい。
それを音にしたいと思う。
ディジュリドゥは本当に不思議な虚空の木の筒だ。


KNOB拝



      
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   <title>茶事は音が合図となっていた！</title>
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   <published>2007-10-12T05:00:46Z</published>
   <updated>2007-10-12T05:37:37Z</updated>
   
   <summary>僕が日本人として生まれてきてよかったなって思ったのが、太田先生の茶室での茶事に ...</summary>
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      <![CDATA[僕が日本人として生まれてきてよかったなって思ったのが、太田先生の茶室での茶事に
参加させていただいた時のことです。
心の底からそう思いました。
昨年の晩春くらいに体験させていただいた時のことです。

<strong>‐初めての茶事‐</strong>

2006年4月9日、鎌倉樵隠塾の茶事が三島の不説斎で行われた。
お茶事に出るなんて、お茶をやられている方でも、10年やってもまだ早い！
と言われるらしい。
でも太田新之介先生、宗侑先生は「手得心応」 。
自分で実際に体験しなければ何もわからないんだと言われている。

お茶事当日の朝は、興奮と緊張で4時には目が覚めてしまった。
僕は正客だった。
お茶事は正客一人のためにやるんだと前に新之介さんがおっしゃっていた。
もちろん、僕はまったく経験がないから、新之介さんが先導正客で、手とり足とり
やってくださるとのことだった。
いったい何が起こるんだろう？
10時30分集合、少し前に到着した僕は、晴れわたる空の下、堂々とそびえる富士に
岩笛を吹いて、どうぞ、一瞬一瞬を正しき方向へ導いてください。そして、
この今をありがとうございます。と祈った。

何も挨拶を交すことなく、扉が開けられるのを待つ。扉が少し開けられた。
入ってもいいという無言の合図。僕らは寄り付きに通された。
狛犬のような神獣の焼き物から放たれる香に、汚れが取れるようだった。
そして、そこにかけられていたのは、雪堂先生がお茶事に来られた時に書かれた
ものだった。
亡くなる前、先生はお茶事にものすごく興味を持っておられた。
茶杓を削って、新之介さんと本当に楽しそうにやりとりをされていた。
書を見ていたら、いろいろなことが思い出された。雪堂先生を近くに感じた。
この書をかけてくださったご亭主の想いに胸が熱くなった、、、

路地には、俗界とをわける結界がある。腰かけて待つ。僕は深呼吸をした。
目の前に広がるのは、日常とは別の空間。
路地の葉も一枚一枚、丁寧に拭かれている。
つくばいの青竹も、今日のために用意されたもの。清浄感に包まれる。
ご亭主の優しい思いを感じているのか、植物たちが、穏やかな酸素を放って
くれている気がした。

しばらく待っていると、戸が開き、白っぽい着物に身を包まれた亭主である
宗侑先生が現れた。
風の音、鳥の声以外聴こえない。挨拶もなく、ただその振る舞いを見る。
あまりの美しさにゾクッとした。能のシテを見ているようだった。
無言のまま、つくばいで身を清める。
僕たちも同じように、神社での手水と同じやり方で身を清め、いよいよ茶室へと入る、、、
僕の魂が高揚した。磁場の強い聖地に行った時に感じる感覚に似ている。

そして茶室へと入った。
まず目に飛込んできたのは、「唯耕心田」の文字。
床の間の書は、書がかかっているんじゃない。書いた人物がそこにいるんだ！
と新之介さんは言われていた。
拝をした。
出会えた喜びと、二度と会えないかもしれない、諸行無常を感じ、一瞬に
感謝の想いをこめた。
新之介さんの後につづき、釜をみた。
炉ぶちがブラックホールのような漆黒で、そこに写る炭の火が本当に美しかった、、、

全員が席に着くと、そっと襖が開いた。
シテが登場した！
緊張していると、となりで新之介さんが、亭主とのやりとりの仕方をそっと教えて
くださった。
寄り付きから路地、今、目の前にあるものまで、心にちょっとでも残ったことを伺える。
質問できるのは正客だけらしい。
床の間の書は、新之介さんが尊敬されていた老師様によるもの。
寺も持たず、家庭も持たず、座禅三昧の方で、若き新之介さんと心の交流のあった方の書。
ただ、自分自身の心のたんぼを耕していくんだという意味の禅語「唯耕心田」は、
新之介さんから教えていただいて、僕も何度か書いてみた大好きな言葉だった。
嬉しかった。新之介さんが大好きな老師様に出会えた、そんな気がした。

次に炭を入れるのを拝見した。
鳥の羽のほうきで清められる道具、場、、、そして香が炊かれた。
ほのかで威厳のある香りに、身が引き締まると同時に、心もやすらいだ。
この後、懐石料理が出た。
お酒をいただき、新之介さんにひとつひとつの作法を教えていただいた。
形には意味があり、そこに心がある。一番大切なのは心。
新之介さんがいつも言われる、カルチャーセンターの茶道と茶の湯は
まったく違うんだっていうことが、少しだけ実感できた。
料理はすべて、宗侑先生、お嬢さんの三穂子さんによるもの。
一品一品に心のこもった、季節のいのちを本当においしくいただいた。
心が豊かになった。
最後に、釜についたお焦げと湯を入れたもので、飯椀と汁椀をすすいだ。
いただいた茶碗も作ってくださった方を思い遣り、綺麗にする心配り、
いいなって思った。
そして、新之介さんの導きで、最後にみんなで呼吸を合わせて盆に箸を落とした、、、
その瞬間、すっーと襖が開いた。絶妙のタイミングだった。
襖の向こうにスタンバイしていたんだ。
音がすべての合図となっていた！演劇のようだった。
あまりの展開に、驚きと感動でひっくり返りそうになった。
茶事はみんなで作り上げる、「一座建立」、、、これなんだって思った。
本当に感動した。

初座が終り、中立ちという休憩をはさむ。
次の合図はドラの音。
茶室に入ると書はすでになく、花があった。
室内に響く沸騰した神秘的な釜の音。
一刻一刻変化していく音。二度とない今が、たまらなくいとおしく思えた。
さっきの初座は陰の席、後座は陽の席ということ。茶室内が明るい気がする。
緊張感の漂う茶室に宗侑先生が入って来られた。
張りつめた空気感。宗侑先生のひとつひとつの動きが舞いのようだった。
袱紗(ふくさ)での四方さばきは、先住民が儀式で東西南北を清める、汚れを払う儀式
そのものだった。
その無駄のない美しい動きで、四方どころか八方、十方を清めていく。
能を目の前で見ているような、神社で厳かな神事を見ているような、そんな感じだった。
宗侑先生の動きに反応するような風の音。飛び散る炭の火花。
一瞬一瞬が、神がかっていた。
清められた釜の蓋が開いた。湯気が静かに天に上った。鳥肌がたった。
オーバーではなく神様が出てきた！って思った。
水の神様と火の神様が合体して出てきたような、大好きな宮崎駿さんの映画
[千と千尋の神隠し]　の中のシーン。
湯屋で、千に毒素をはきだしてもらって、本当に気持良さそうに翁面のような笑顔で
飛んでいく川の神様とイメージが重なった。

僕は濃茶は神事だって感じた。
水の神様と火の神様が合体して沸騰したお湯。そこに合わさる沢山の新芽の
葉のいのち。
そのいのち、神秘を最大限讃えるために、袱紗さばきのような形があるんだって思えて
ならなかった。
自然の神秘を、神様をいただくような、不思議な気分になった。

一年前に参加したダライラマ法王のイベントでも、同じ気持ちになったことがある。
約１０日間をかけてチベット僧によって砂マンダラが製作された。
ひとつぶひとつぶの様々な色の砂を、静かに落としていく、気の遠くなるような作業。
見事に完成した観世音菩薩の砂マンダラは、信じられないほどの美しさだった。
ただ、それは美術館に飾られるために製作されたのではない。
なんと、祈りと共に、あっさり壊され、ただの砂に戻った。
砂マンダラは、空襲で、戦争で命を落とされた方々の鎮魂のために製作され、隅田川に
流された、、、その砂の一部が参加者に分けられた。
さっきまで、神々の宇宙を表していた砂。僧の導きで、砂をひたいにつけ、口にした。
その瞬間、体の中に神様が入った！そう感じた。震えた、、、
濃茶は、その時の感覚と同じだった。本当に凄い体験だった。

４時間の茶事を通して、日本人の自然観を、奥深い美意識を、人やものを、二度とない
時を、今を思う、惻隠の情を実感できた。
嬉しかった。
昔の大名や武士たちは、戦で死にゆく前に一服の茶を飲んでいったそうだ。
なぜなのかが、ほんの少しだけれど、わかった気がした、、、

最大の茶道具、茶室を自ら作り、茶道具をつくり、懐石をつくり、何より人をおもんぱかる
心を、お茶事に、そして日常に生かしておられる太田御夫妻に、心底感動した。
僕が知りたかった日本があった。受け継ぎたい精神があった。
僕はそれをディジュリドゥに生かしたい。それをすることが僕の役割かもしれない。
一生のテーマだ。
今、あらためて思い出しても、お茶事を経験した前と後では見える世界が違う。
幅が広がった。
雪堂先生は、「のぶ、新之介は凄いねぇ。みんな何故あの凄さが、深さがわから
ないんだろう。本当にいい庭石は地上に頭を少し出し、ほとんどは見えない地中に
存在しているんだよ」って素敵な笑顔で僕に言っておられた。
雪堂先生と新之介さんは、互いの地中の見えないところを理解しあっていたんだ。
新之介さんはいつも言われる。「人間、いくら金があっても車が何台あっても満たされない。
水の中にいるのに水が欲しい、喉が乾いた、、、物質的なことだけでは満たされない。
明日とか、いつか、ではなく、この今を、豊かにうるおいのある過ごし方をする。瞬間瞬間の
様々な出会い、なにげなく出会う人や歩いている時の道端に生きる花、空、風景の色、風の
香り、音、、過去や未来に生きるんじゃなく、この今あることを全力で堪能する。これこそが
最高に豊かなこと。肩書きも、地位も、年齢も関係ないんだ」って。
教えていただいていることを魂に刻みこんで、このとてつもない豊かさに感謝して、音に、
そして、日常に生かしていきたいと思います。

お茶事にはすべてがあった。
演劇も音楽も舞踏も宗教観も食も芸術も、、、本当に700年の時空を越えた体験だった。


KNOB拝。　

　　　　　　　　　　　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

]]>
      
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   <title>和の言ノ葉</title>
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   <published>2007-10-05T02:35:11Z</published>
   <updated>2007-10-05T02:42:37Z</updated>
   
   <summary>以前、太田先生とお話していた時、こんな問いかけがありました ?僕たちは何を持って...</summary>
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      以前、太田先生とお話していた時、こんな問いかけがありました
?僕たちは何を持って日本人と言える？?
様々な答えがありました。国籍？日本という地に住んでいる？先祖が日本人？
天皇陛下がおられる？着物？お正月がある？顔が日本人？(笑)などなど。
太田先生が静かに言われた、、、「日本語で思考しているってことだよ。」
ドキッとしました。
僕が何気無いことでも、真剣なことでも、夢でも希望でも、怒りや悲しみ、感謝、、、
すべてを48つの音の、言葉の組み合わせで考えている。
それによって時に勇気づけられたり、一生の座右の銘になったり、傷ついたり、、、

日本語のあいうえお、、、あという響き、いという響き、ひとつひとつに神様の
名前があると聞いたことがあります。
年を重ねれば重ねるほど、日本語の響きが美しいなぁってしみじみ思うように
なりました。
実は、僕の子供のころの夢は、、、外人になりたいだったんです(笑)
中学、高校、、、とどちらかと言えば洋楽ばっかり、アメリカやイギリスにひかれ
るようなタイプでした。
でも、海外に行く度に、自分の国について文化について、歴史について聞かれる
ことが多く、小学、中学と勉強をまったくしていなかったことを後悔するようなことに、、、(苦笑)

歴史ということ以外にも、あまりに自分の生まれ育った地、日本について、文化、
精神について知らない自分を恥ずかしく思いました、、、
そして、アボリジニが何万年もの間、伝承し続けてこられたディジュリドゥを演奏
するようになり、さらに日本に惹かれるようになりました。
日本人が大切にしてきた精神、礼を尽すための形、、、それを学び、本質を自分の
ものとし、ディジュリドゥに生かすことが、僕のアボリジニの人々に対する、ディジュリ
ドゥに対する敬意なのです。

太田先生に伝えていただいたことで深く心に残っていることがあります。
「ノブさん。ディジュリドゥは凄い！とてつもない可能性を秘めた楽器だね。
何しろ音霊に言霊を乗せることができるんだから、、、」
アボリジニの人々は言葉を大切にします。
言葉は霊力を持ち、口にすればそれが現実に現れてしまう、と、、、それが、
日本の言霊ということだと思います。
先日、伊勢神宮に伺った時、ご縁があり、伊勢神宮で23歳まで巫女をされていて
ご主人も、伊勢神宮の宮司さんという方に内宮をご案内いただいたのですが、
正殿の最も神聖な‐心之御柱‐は、宮司の方々は、その言葉も神聖なるものだから、
口にするのは嫌がるんですよと教えられました。
大切なものを、目には見えない心や精神を伝え続けていくために、形あるものが
生まれていく、、、
‐色即是空、空即是色‐だなぁ。
日本は本当に、面白い。
日本を軸に見ると、世界もまた面白い。
これからも、日本のことばを大切にして、そこに宿る心を大切にして、そしてその
言霊をディジュリドゥという音霊にこめていきたいと思います。


合掌。KNOB拝。





      
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   <title>アボリジニの世界と能の世界</title>
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   <published>2007-10-04T04:05:23Z</published>
   <updated>2007-10-04T04:12:13Z</updated>
   
   <summary>アボリジニの人々の音の世界に近いものを感じるのが、能の世界です。 どこが？何が？...</summary>
   <author>
      <name>KNOB</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      アボリジニの人々の音の世界に近いものを感じるのが、能の世界です。
どこが？何が？近いように感じるかと言うと、、、
‐あの世‐のことの世界が芯となっていることです。
このブログの中でも度々書かせていただいていますが、アボリジニの
人々にとって、ドリームタイムと呼ばれる神話の時代は遥か昔のかけ
離れたおとぎ話しではなく、今この瞬間にも、儀式や音楽、歌などを通
して‐現れてくる‐世界です。
一方、能。橋掛り(はしがかり)は、この世とあの世、天と地など異空間を
繋ぐ場だ。つまり舞台では、神々や精霊など魂の世界が繰り広げられ
ている。

世界の演劇の中でも能のようなものは希だそうだ。
そして、見者の側も、舞台を見るために、自分を高めていく。
ストーリーや美しい言葉など、何も知らないより感じるものが深くなる。
徹底的にシンプルになった動き、その型の向こう側にあるものを感じ取
れるか、表現できるか、すさまじい交流が静寂の中にある。
静寂だけではない。
鼓や能管、謡の交響曲、時に激しいセッション。
演目によっては、ビジュアル系のバンドもかなわないほどの過激な姿の
般若。荒ぶるものも清らかなものも同じ心から生まれてくる、、、

僕は能の世界が好きだ。ご縁があり、シテ方(主役)を演じられた方から
話しを伺った時にこんな話しをされていた、、、
  ?能面をつけると見える視野が狭くなるって言われていますね。
     ところが、いい面をつけ、面と心まで一体になれると、面をつけて
    いない時と同じように見えるんです。?
またこんな話しも伺いました。
ある能の伝統あるお家で、この演目をやると火事が出るとの伝承があるの
で、やってはいけないという演目があった。迷信だと信じない者が演じてし
まったら本当に火事になったと、、、

アボリジニの世界も能の世界も目には見えない世界が背後にあります。
ストーリーや型は勉強をすればわかる、それを越えた見えない世界、心を
感じるには、、、それは子供にも、僕たちひとりひとりの中にもあるものでは
ないでしょうか？
演劇を見るというより、自分自身と向き合うというのが能から感じる世界で
す。
そんな能が演じ続けられてきた場でのディジュリドゥの響きは、見えない世
界と僕を繋げてくれる気がしています。


合掌。KNOB拝




      
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   <title>眠っている本能</title>
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   <published>2007-10-02T23:02:53Z</published>
   <updated>2007-10-02T23:23:38Z</updated>
   
   <summary>人間の脳の約97%が眠っていると言う、、、 なぜアボリジニの人々が、循環呼吸とい...</summary>
   <author>
      <name>KNOB</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.wanococoro.org/knob/">
      人間の脳の約97%が眠っていると言う、、、
なぜアボリジニの人々が、循環呼吸という方法で演奏するようになったのか？
そんなことをふと考えたことがありました。
それが、なんとなくですが、僕の中でわかるようなことがありました。
今回の能楽堂ライブに出演される奈良裕之さんと一緒に出させていただいた
ドキュメンタリー映画があります。地球交響曲第六番という映画です。
地球交響曲という映画は龍村仁監督の作品で、1992年に公開されて以来、
いまだに自主上映という形式で全国のどこかで上映され続け今までに200万人
以上の方が観た映画です。
宇宙飛行士、科学者、宗教家、サーファー、、、と年齢、職種、宗教を越え、様々な
人間に焦点をあてインタビューしていく映画です。
その最新作が、出演させていただいた第六番です。
?すべての存在は響き合っている?音がテーマの作品です。
その中にザトウクジラの唄を研究されている海洋学者のロジャーペイン博士が出演
されているのですが、映画の中で出てくるザトウクジラの、人間の耳には聴こえない
超低周波の音が凄いのです。
体の60兆もの細胞すべてに響きわたるような低音。それを初めて聴いた時、鳥肌が
立ちました。
アボリジニの方が伝統的に吹かれているイダキ(ディジュリドゥ)の音に限りなくちかい
ように感じたのです！静かに、鯨の深い呼吸で長く長くたんたんと続いていく音。
その時に直感的に思いました。アボリジニの人々にはこの音が聴こえていたのかもし
れない、、、。
よくアフリカの人が、信じられないくらい遥か遠くのものを見分けることができ、目がい
いなんて言いますが、きっと僕ら現代人の目が悪いのだと思います。人間本来の能力
を持ち続けているか、自分を取り巻く環境が便利になり能力を発揮しなくてもよくなって
しまったのか、大きな違いがあるように思います。
アボリジニの人々は、本来は耳には聴こえない自然界の音やメッセージを感じ取り、
自らを地球や宇宙に流れる自然界の音の流れに波長を合わせようとしたんじゃないか
と思います。なぜなら、自然こそ、大いなる神の現れそのものなのだから、、、だから
こそ、その実体に近付くために、アボリジニの人々は循環呼吸で音を紡いでいたんじゃ
ないかなって僕は思います。
鯨の超低周波、科学者が言う、宇宙に流れる超低周波の音の波、、、そういう音に限り
なく近い空洞の木の響き。何万年もの間、残ってきたのも不思議ではありません。
何かになるためでも、誰かに認められるためでもない、物事の流れはあっても優劣の
ない世界。比べない世界。ただあるという本質。それこそが僕が大切にしたいディジュ
リドゥの世界です。
瞬間瞬間を己ができる最大のことを、信じきりワクワクしながらやりきったのなら、あとは
野となれ、山となれ！です。着陸場所などわかりません。成るときは必ず成る！成らぬ
なら時が満ちていない。ただそれだけ。ただ自然の流れの中で‐在りたい‐と思います。
己の中に眠っている力、、、それを開く力も、本来自然の一部である、己の中にあるの
かもしれません、、、

合掌。KNOB拝。





      
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