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熱海の地にて

今回、ご縁をいただき熱海の地にて、ディジュリドゥを
吹かせていただいたことを心から嬉しく感謝しています、、、

何万年もの太古の時代から、アボリジニの人々によって守り、
受け継がれてきた天然の空洞の木の音を、
僕が生まれ育った日本という国の文化や言葉、精神性を軸に、
僕の一生をかけて、あの木の音の本質を追求し、
自然に嫌われないような音を目指し精進しつづけていきたいと思います。
あらためて、23日25日と能楽堂にいらしてくださったひとりひとりの方に
心から、感謝致します。
本当にありがとうございました。

そして、長い間、ご尽力いただきました和の心にて候in熱海の実行委員のみなさま、
ライブの中の最後の祈りの儀に特別出演してくださった斎藤栄市長。
様々な形でご協力いただいたみなさま、、、
そして太田新之介先生。
みなさんから、熱海と言う地を愛する想いが心が伝わってきました。
本当にお世話になりました。ご縁を嬉しく思います。
ありがとうございました。

熱海の地の上で、確に感じた‐和‐を大切にこれからも一期一会の音を
紡いでいきたいと思います。
いつの日か、海外から伝わった三味線や鼓、、、の楽器が今では、
日本の伝統楽器となっているように、
あのディジュリドゥという天然空洞木が日本の伝統の一部になっていたらと願っています。
そして、地球の各国の多種多様な文化、宗教を越え、
同じ地球に生まれた人間として、根底にある共通する心が伝わり、響き合い、
地球規模、宇宙規模の和が出来ることを願い、祈ります。
熱海の地が、日本の地が、地球が宇宙が、
そしてそこに生きる生命が平和でありますように、、、

千歳楽!万歳楽!永永棟!
これを持って、僕のブログ‐和の息吹‐を終了させていただきます、、、
この今をありがとうございます。


合掌。KNOB拝
平成19年11月吉日

和の心にて候

「和の心にて候in熱海」が無事に終りました。
天気も良く大盛況の中で、事故もなく終えることが出来ました。
関係者のみなさま、来てくださったお客様、ご協力いただい た方々、
ひとりひとりの存在が心が、何か見えない大きな力に導かれるように、
繋がって少しずつ和が形作られていったように思います、、、

3日間を通してのストーリーを作り、パズルを作るように、
キャラクターの違う多種多様な人たちをそれぞれにふさわしい場を与え、
それぞれに使命を与えていった太田新之介という人間には、本当に、
感銘を受けました。
それぞれの場でその時その時に、完全燃焼するように全身全霊で挑んだ人、
また、すべてを出しきれなかった人、それぞれだったと思います、、、
だけれども、その人その人個人の一生という和を作り上げていく中で、
今回経験したことはとても重要なことだと思っています。

人間に本来、勝ち負けなどなく、この地球に生まれてきていつの日か、
体を離れて旅立つ日まで、出会う縁(えにし)のある人々と失敗や成功、
涙や歓喜を繰り返し、心を擦り合い、もがきながら自分自身を作り上げ、
自分自身の頂上を目指していくことが、自分という命の和を築くことだと
思っています。
そうやって人と交流、交信する中で、ひとりひとりが自分を作っていくことが、
気付かないうちに光輝く大きな和を作っていることに繋がっていくんだと思います。

太田先生が、ライブ「九天飛翔」の演出メモの最初に、
科学者が言ったバタフライ効果という現象の言葉を引用していました
-小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏に届く時には、大きな風になるという-
ひとりひとりが何気なくするような、小さくみえるようなことでさえ、
地球規模で影響を与えてしまうんだと思います。
自分は出来るんだなどと過信せず、その時その時できるただそのことに命を燃やし、
今という時に心から感謝しながら生きていきたいと思いました、、、

特に、熱海、MOAの能楽堂で演奏させていただくことは、
僕にとっては深い意味を持つことでした、、、
午後の部が終り、静まった舞台を見ていて涙がこぼれてきました、、、
本当にありがたい気持で一杯でした。

今回の和の心にて候に関わられたひとりひとりの方に、
そして何より、足を運んでくださったお客様に心から感謝致します。
本当にありがとうございました。
そして、太田先生。本当にお疲れ様でした。
いろいろなことを教えられました。
無事に最高な形で終えられたこと、本当におめでとうございます。
あの場にあった和を、今しみじみ感じています。


KNOB拝


音の和

11月18日のリハーサルで出演者のみなさんと舞台で音を奏でた、、、
太田先生による演出の中、望月さん、奈良さん、岡山くん、太郎くん。
そして初めてご一緒する草間さんと奏でた音、、、
あの清らかな檜の舞台の上では、どんな小さな音でも感じられる。
おおまかな流れだけで、細かい打ち合わせはせずに互いに空気を読み、
会話をするように、自分以外の音を聴きながら瞬間瞬間に組み立てられていく音の輪。
言葉で何かを伝え合うよりも、その人自身が伝わってくる。
それが音にはあると思う、、、

次にみなさんと音で会話できるのは、25日。
その日あの能楽堂に集うすべての人が発する気、その場にしかない空気感が、
僕たち出演者を通して音となるのかもしれない、、、

一瞬一瞬が二度とない一期一会の音なんだ。
うまく響き合えた時、、、
その時に、和の音が生まれてくるのだろう。


合掌。KNOB拝

羽の衣

11月18日はMOAの能楽堂にて、25日のリハーサルだった。
その前日、僕は同じこの場に来ていた、、、
春くらいかな、MOAの定期演能会で羽衣があることを知り、
25日のステージの舞台監督をされる美術館の山下さんにチケットを
お願いしていたんだ。

僕は羽衣を、昨年のステージのために約一年半くらいをかけて太田先生に
教えていただいていた。
太田先生は観世で能を勉強され舞台にも立っておられる。
実は羽衣は昨年も一度、東京のある場所で観たことがあるんだけれど、
それが僕には満足できない舞台だった。
僕の中でイメージしていた世界とはまったく違ったものだったのです。
だからどうしても、羽衣をもう一度観たかった。
それが、今回はリハーサルの前日、僕たちが立つ舞台で行われる。
何かご縁を感じて心の底からワクワクしていた、、、

そして、目の前で繰り広げられた羽衣は、、、
本当に本当に凄かった。
今まで観た能が比べ物にならないくらい感動した。
特にシテ(天人)が漁師の白龍から衣を返してもらい、衣を着け「駿河舞」として
伝えられる舞を舞いながら、月世界の宮殿の様子を語り、
春の三保の浦の景色を讃える場面、、、
舞台には、羽衣を着けた天人が動かず止まっている。
それが、僕には、いやきっとみなさんそう感じたことだろう、天人が、音もなく空へと
浮かんでいった情景が見えた。
まるで、真っ青な空に、鳶や鷹がその大きな羽を広げ上昇気流に乗り天空をゆったりと
静かに飛ぶような、、、
天人は天空を自在に翔んでいた、そして宇宙にまで翔んでいった、、、
天空で天人が舞うから、あの動きなんだと思うような、いやそんな冷静さを失う、
本当に空で舞う天人を観てしまったという畏れを感じるような時間だった、、、
そして仕舞も舞われた関根祥六さんの人生、心、魂すべてが凝縮されたような舞いに
心を打たれた。

じつは僕はあまり、芸という言葉が好きではないんです。
芸を技を研くというのはあたりまえのことで、技やテクニックを学び、型などを身に付け、
その過程で型を越えた自分という人間に気付き心を魂を研く。
だから技や型を感じさせない、人間そのものが現れる、そんな領域に
たまらなく惹かれるのです。

芸人でもなんでもない肩書きではなくただ人間、、、
それを関根祥六という方から感じた。
そして、天人をされたのは、そんな人間祥六を伝えられたであろう祥人さん。
本当に感動の舞台だった。
あまりに凄くて、もう二度と羽衣は観たくない、そんなふうに思える一生、僕の心に
残る魂の舞いだった、、、

18日のリハーサル前。
僕は伊豆山神社に詣でて、この山で吹かせていただくことの感謝をお伝えした。
そして、前日、関根祥六さん、祥人さんが舞われ、その気配がまだ残る舞台に祈った、、、
同じ舞台で音を紡ぎだせることが嬉しく、それと同時にその重さを深く実感した、、、
ただのイベントや興業ではなく、太田新之介という人間の魂のメッセージが
こめられた‐和の心にて候‐である。
出演者はもちろん、実行委員や関係者、ひとりひとりが互いをおもんぱかり、
その瞬間瞬間に命がけで魂を燃やした時にそれが来てくださるひとりひとりに
伝わるんだと思う。
自分がやってるんじゃない、おおいなる何かにやらされ、動かされているのだと思う。
それが宗教を越えた日本人の自然観であると僕は思います。

熱海での三日間が成功なんてものを越えて‐意味のある‐ことにするには、
関係しているひとりひとりに、今、己の中に本当に‐和‐はあるのか!
太田新之介という人間の想いをわかっているのか!
ひとりひとりに突きつけられている気がしてなりません、、、


合掌。KNOB拝。11月19日。


お祭り

僕はお祭りが大好きで仕方ないお祭り男です。
太田先生に伺い初めて知った‐ワッショイ‐の意味。
和を背負う!いい言葉だな。
お宮で無事を繁栄を願い祈り、みんなで、力を合わせ御輿を背負う。
声を合わせ心を合わせ神さまを、その肩に背負う。
自分とは本来自然の分身の意味。
祭りは自然と自分が一体であることが感じられるような時間。

映画「地球交響曲第一番」に出演されている植物学者の野澤重雄先生は、
科学技術や遺伝子操作などの力を借りずに、一粒のトマトの種から、
一万四千個ものトマトがなる巨木を作ってしまった方です。
その野澤先生は映画の中でこんなことを言っておられます。

-神とは、高度な自然のメカニズムの実体のことである-

そんな自然と繋がれるのが祭り。
御輿が無事に到着すると、手締めをする。
この時にヨオォォッって言って柏手を打つけれど、
このヨオォォッの原型は‐祝おう‐だ。
祝おうがだんだんとヨオォォッになっていった。
ワッショイと同じ。

25日のライブの最後には手締めがあります。
何事もなく、その日に必要な人々が集い、
心に和を背負い感じることが出来たなら、
集えた奇跡を出会えた喜びを祝えたらと思っています。


合掌。KNOB拝

心に残る言ノ葉

旧暦で言うとそろそろ神無月。神さまは出雲に集い、お留守中。
日に日に‐和の心にて候in熱海‐が近付いています。
昨年、太田先生からいただいた手紙に書いてあった言葉で、
僕の心に深く刻まれている詩があります。

- 人の情(なさけ)と縁(えにし)の深さ
ふたつ重ねて夢を見る -

23日24日25日に関わっている方々。
来てくださる方々、僕たちライブ出演者、、、
みんなの心が通い、縁の深さを実感して、人間って、生きてるっていいなって
感じるような時間になればなって願いながら精進しています。
そして、その三日間は神さまたちも出雲から熱海に大集合して、
神在月の熱海になるといいですね。
神さま、スケジュール調整よろしくお願い致します(笑)

24日の満月と前日、後日。月のような真ん丸の素敵な、人の和が、
地上にも現れますように、、、


合掌。KNOB拝

光の柱

9月末に、僕は高知での牧野植物園でのコンサートのために、飛行機で向かった。
この飛行機から、僕は不思議な光景を見た。

***

高知へと向かう飛行機は、海と陸地の境を飛んでいく。
雲も薄くて、見慣れた町を過ぎ、あっと いう間に江の島。
遠くには美しい富士山。
江の島神社の弁天さまに富士山に、手を合わせた。

席に置いてある雑誌、翼の王国の地図で確認しながら、僕はずっと外を眺めて
いたんだ。
途中、スチュワーデスさんが「くすっ」かな「にこっ」僕を見た。
きっと、僕が初めて飛行機に乗って感動しまくってるって思ったんだよ(笑)
でも、初めて、ずっと外を見てた。
だってね。本当に地図の通りの美しい地形が大地が海と寄り添いながらあるんだ。
空は真っ青だしね。

熱海のあたりに近付いた時だった。
雲間から太陽の光が放射して、神秘的なことってあるんだけれど、
それが、空からではなく、下の海のある一点から清らかな光が、空に向かって
放射していた、、、
太陽の光が海に反射して、それが空に射していたのかな?
清らかな光の柱が海から天に向かって昇っていくようだった。
本当に美しい光だった。

あれはなんだったんだろう?
そのあとは、静岡の御前崎から伊良湖岬までのほとんど、まっすぐな海沿いを
飛んでいく。
そして飛行機からは先月末に行った伊勢の大地が見えた。
伊勢神宮を空から参拝している気分になった、、、
その後、熊野、那智の滝、遠くには、紀伊山地が見える。
その先には橿原、天河、比叡山、、、
心の中で、祝詞と般若心経を唱えて、ありがとうございますと手を合わせた。

大好きな聖地を空から巡礼しているなんて、
なんか本当に不思議な気持になった。
あらためて、飛行機って凄いなって感動したんだ。

そして、四国へと、、、空海、今でもお編路をされる方々があとを絶たない祈りの
地が見えた。
そして、高知龍馬空港へと着陸した。美しい景色だった。
日本は、地球はなんて美しいんだって思った、、、
この星に生まれたことを嬉しく思った。

そして、僕は高知の地に足を降ろした。

(KNOBウェブサイト、日々の感動より)

***

僕は太田先生の書かれた文章の中で、光の柱のことを目にした。

ー子供のころ漁師の父親が、新月の闇の晩に熱海沖から熱海の
山に白い光の柱のようなものが空に昇っていった、、、ー

その光と同じかはわからないけれど、確に熱海沖から、天空へ向かって
放射する清らかな光を見たんだ。
太田先生はこんなことも書かれている

ー光の柱が立ったこの地には、生きとし生けるものの祈りの音が
こだましているようだったー

何かを予兆しているかの光。
23日24日25日と熱海の地で、ご縁があり集う人々が、和となり、ひとりひとりが
笑顔でキラキラ輝き、ひとりひとりが光そのものとなることを想像しました。
熱海に光の柱が立つかもしれませんね。
皆さんにお会いできることが楽しみです。


合掌。KNOB拝


口伝

アボリジニの人々は未だに、文字をもたない民族。
何万年もの間、大切なことは、人から人に口伝えに伝えられてきた。
神話や音そのものとして、伝わってきた、、、

文字が小さなころから近くにあった僕は、口伝ということの意味の大切さ、
奥深さをなかなか実感できないでいた、、、
それを実感できることが突然やってきたのは、昨年の夏前でした。太
田先生から、ある重要な言霊を授かることになったのだ、、、
建築の上棟式で行われる神事の中で、大棟梁が発する、上棟呪文。
それが、太田先生から僕に、、、僕は建築家ではない。
その話を太田先生から伺った時、僕が授かってよいものか、迷った。
太田先生はこう言ってくださった

ーノブさん。俺もある時、伝えられたんだよ。
それを誰に伝えようか、考えていたんだ。
そんな時、祈りの楽器を奏でるノブさんが現れた。
大地に祈るにふさわしい呪文なんだ。
俺はノブさんに伝えたいー

ただただありがたかった、、、
その日から、口伝が始まった。
僕の耳元で、囁かれた言葉、、、それはたった一度。
僕は、あまりに突然でただ聴き入ってしまった。
もう一度お願いします、と言ったら、
駄目だ。一回だけ。録音したり、メモをしたりしては、絶対に駄目だよ。
言葉に宿る力、霊力、呪力、パワーが無くなってしまう。
会った時に一度ずつ伝えるから、体や細胞、心に焼き付けるんだよ、、、

そうして何ヶ月もかけ、太田先生から僕に伝えられた上棟呪文。
正式に授かった言霊は、僕以外、誰も目にしてはいけない、門外不出のもの。
いつも神棚に置いてある。
その呪力ある言霊を約一年ぶりに発する。
それが11月25日、熱海の地が千年も万年も永遠に、安泰で豊かでありますことを
祈る儀式をライブ中に行う。

昨年、奏楽堂で行われたライブもそうだったけれど、11月25日は、ただ音を奏でる
コンサートではない。
来てくださるひとりひとり、演奏させていただく土地、またそこにあった数々のいのち、、、
そういうすべての存在と響き合い、祈る、、、日本の祭りのようなものかな。
神事と音、舞い共にある。
それが、日本に元々あった、芸能や音楽の形なんだと思います。
一年ぶりの祈りの言霊。
なるべく体と心を清め、当日に向かいたいと思います。


合掌。KNOB拝

家紋

僕は、ディジュリドゥを吹くときに、だいたい袴を着ける。
ディジュリドゥの呼吸には、袴のゆったりした中、帯をしめ、
丹田に気を集中できるのは、もっともふさわしいという気がしているからだ。
着物を着ける時にも、意識を集中できる。

着物は紋付きなんだけれど、この紋は、僕がデザインしたオリジナル。
僕は、天然空洞木無孔笛流って 名乗っているんだけれど、
天然空洞木はディジュリドゥのこと。
無孔笛(むくてき)は、書の師、小野田雪堂先生から教えていただいた禅語。
孔のあいていない笛、穴が無くて音の出せない笛。転じて、言葉を
超越したところにある無上の説法。
常識にとらわれることのない優れた説法の意味。
こういう音を一生をかけて目指していきたいと付けた言葉です。

その無の字を家紋にしました。
一見、亀のようにも見える紋様は、陰と陽、伝説の龍、天と地、それをひとつに結ぶ
二本(にほん、日本にかけています)の天然空洞木(ディジュリドゥ)、
そして雷から出来ています。

ジーパン、皮ジャンの時と、着物で過ごすときと同じくらいになってきた。
そのくらい、着物って心地いい。
窮屈どころか、究極的にリラックスできる。
だけど、一本、筋が通っている。
着物はよく出来てる。
着物とディジュリドゥは本当に相性がいい。
木の文化の日本と自然の木の筒、ディジュリドゥはぴったり合うと僕は思っています。
能舞台とも合うことを願いながら、精進しています。


合掌。KNOB拝


縄文の岩笛

僕が地球最古の楽器と言われているディジュリドゥと共に吹かせていただいているのが、
縄文時代から伝わる岩笛です。

石笛とも磐笛とも書きますが、僕が使わせていただいている岩笛は、
日本とバリで授かった岩笛(自然に穴の空いた石)と、
縄文の遺跡から発掘される人工的に穴の開けられた岩笛を研究し、
その効用を突き詰め謹製されている方から授かったものです。

多くの古神道研究家に多大な影響を与えてきたと言われる(故)中西晃氏は、
岩笛の音を「気韻生動する音響」と称し、岩笛を吹いて心身魂の禊を行うことを、
晩年にすすめられていました。
その中西氏の奥様が岩笛を謹製されているのです。

縄文時代より遥か昔から、吹かれているディジュリドゥに出会って、
縄文に興味が湧き、岩笛の存在を知り、製作をされている方を知り、
電話をし、すぐに会いに伺ったのがきっかけです。
使わせていただいている岩笛は、縄文の聖地と言われる糸魚川産出の
ヒスイ石から出来ています。
なぜ古代の人たちが岩笛を吹いたのかという理由ははっきりしていません。
合図のために使った、音を出すこと自体が目的だった、神を呼ぶために吹いていた
というような説があります。
今でも、いくつかの神社などで御神事で神を降ろすときに吹かれています。

作家の三島由紀夫氏は、こんなふうに表現されています
「心魂を揺るがすような神々しい響きを持っている。
清澄そのものかと思うと、その底に玉のような温かい不透明な澱みがある。」

岩笛のような音色を出す楽器がもうひとつだけ確認されています。
能で吹かれている能管です。
能管は岩笛を真似て作られたとのことですが、音色もそうですが、吹く目的も、
あの世の世界の神や霊を呼び出す意味合いがあると言われています。
(能の出演者は神や霊などあの世の方々です)
また岩笛や能管は、他の楽器では、出せない2万2500ヘルツの高周波が出ています。
人間の耳には、聴こえない超音波です。
その音は松果体に作用するようです。

25日は糸魚川のヒスイから謹製されているものと、自然のものとを吹かせていただこうと
思っています。
ディジュリドゥが大地の音に近いとすれば、岩笛は天の音というようなイメージがあります。
このふたつの太古の楽器が、琴や鼓、和太鼓、口琴とどう混ざり合うか、
時空を越えたセッションになりそうな気がしてワクワクしています。


合掌。KNOB拝。
(anemone-脳を活性化する岩笛の秘密より引用)

2008年07月

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