<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>和の心にて候 ～ 日本のすがた・かたち</title>
      <link>http://www.wanococoro.org/</link>
      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
      <lastBuildDate>Sun, 29 Jan 2012 13:33:10 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>建設資材</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0129.jpg"><img alt="HP-0129.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0129-thumb.jpg" width="450" height="578" /></a>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　建設資材とは、コンクリートや木材などの主要建設材料のことです。
 
ここに至って、建設資材として使用された砕石が放射能に汚染されていることが判明し、大きく社会問題化してきました。
砕石ばかりでなく、土木建築に使用するコンクリートをはじめブロックやコンクリート二次製品、道路、公園用資材、木材に至るまで、その汚染範囲の広がりが分かってきました。


福島原発事故による放射能汚染範囲のすべての地域に不安は存在します。
目に見えないセシュウムなどの放射能物質が、風雨に流されやがて下水の汚泥として各地の最終処理場で焼却されます。これが焼却汚泥です。

資源リサイクルの観点から、焼却汚泥はセメントに重量比で３パーセント混入され、セメントとして流通します。これが去年の３月１１日以降、全国に運ばれた可能性があります。


ウイルスなどと同じで、目に見えないものが一度広がると思いもかけない実害と社会不安を引き起こします。
対処方法はただひとつ、汚染材料を使用しないことです。
建設資材の場合は事前に放射能測定することしかありません。
これから各地で汚染建物が出てくる可能性があります。
そして、誰がその責任を負うのかが問われることになります。

現代社会の構成上、その最終解決はお金になります。となると、国や企業が責任はとっても、最終の始末は電気料金や税金ということになり、国民ということになります。

災害は誰のせいでもない、その災害に遭った時代の遭遇者たる国民が、そのすべての復旧や復興を担うことになるのです。


次代に遺すことができるひとつに教訓があります。
比較にはなりませんが、日本人の災害復興の早さは目を見張るほどのものです。
ただ、この災害によって得た教訓を正確に次代に伝える智慧を発揮することが肝要です。


先人はこの日本列島に棲むようになってから、このような思いで繰り返し、繰り返し次代に伝えてきたはずです。
現代に生きる我われは、その智慧の蓄積の上に生活していることは間違いのない事実です。


仕事柄、放射能汚染対策に追われている昨今、よく海を見ながら、遠く縄文時代から大災害に遭遇したであろう人々に思いを馳せています。


（資料　放射能による環境汚染情報サイトより　「収まらない放射能汚染　関東各地・・・」　）



]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_163.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_163.php</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 13:33:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>お正月さま</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0103-3.jpg"><img alt="HP-0103-3.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0103-3-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><strong>眼に見えて
仏のかたちそこここに  
神のすがたの
無きが不思議や</strong>


お寺に行けば本堂に必ず御本尊の仏さまがいます。
神社には祭神の神さまのすがたはありません。


仏教には仏のかたちがあり、神道に神のすがたはありません。
かたちを頼りにした信仰と、見えぬすがたを想像するふたつの信仰を我われ日本人は有しています。

ゆく年に除夜の鐘を打ち、来たる年に見えぬ神のすがたに願いをかける。
私は長いこと、日本列島に住む人々の年末年始の行動を不思議に思わず、子どものころからそのようにしてきました。


今年は思うところがあって、三日前の大晦日に京都知恩院の除夜の大鐘を聴き、その足で隣接の八坂神社に初詣をしました。
その時の同行の士のほとんどは同じような行動のようでした。
待たされたその動かぬ群衆の一人として寒空に立ちながら、なぜ先人はこのような風習を作ってきたのか考えました。

<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0103-2.jpg"><img alt="HP-0103-2.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0103-2-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a>一時間以上動かない大衆の中で、我われの先祖はj縄文以前より、目に見えぬものの存在を畏れ、目に見えるものにより我が身のすがたを重ね見たのではないか、と思うに至りました。
そして、二つの眼でものごとを観る智慧を、営々と積み重ねてきた結果の産物ではないか、との考えにも至りました。非現実と現実との融合です。

この列島に暮らすものから、この神仏というすがた・かたちの二つの存在が最も心身を安寧に導くものとして支持され、それが行動となって今日に至っていることに違いはないようです。


それにしても、この寒空の中で佇み発揮される即席の信仰心。
万人に訪れる「お正月さま」。

無理なく先人を敬うようになるお正月さま到来は、列島の気候風土に添って生きている証が目に見える節会のように思います。

（写真　上「知恩院」　下「八坂神社」）




]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_162.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_162.php</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 03 Jan 2012 17:33:43 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>謹賀新年</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0103.jpg"><img alt="HP-0103.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0103-thumb.jpg" width="457" height="343" /></a>


<strong>今あることに

あなたと在ることに

“ありがとう”

今年もどうぞよろしく

2012年　　　元旦</strong>








]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_161.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_161.php</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 01 Jan 2012 00:43:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>暦尾将尽</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1230.jpg"><img alt="HP-1230.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1230-thumb.jpg" width="250" height="216" /></a>暦の最後がまさに尽きようとしています。

2011年は大きな災害に遭遇した年でした。


地球は絶えず活動していること、権力や利権に固執する人間のはかないこと、そして宇宙規模でバランスしている生命や意識が私であることを再認識した年でした。

百人には百人の考え方があり、その間違いのないと信じる価値観も一瞬にして失せるのが世の習い。
今年も人に巡り会い、そして人と別れる繰り返しでした。

そのままものごとを受け止めてそのまま、あるがままに生きて行こう、と心に決めて30年。
多分、その意識も一瞬にして失せることを肌で感じながら、また来年もそのように・・・。


年を跨いで窯が焚かれています。
鎮魂の炎のように感じます。
年の初めに窯出しがあります。またそれを使い、来年も人との出会いを茶事に託して、激しくそして静かに、そしてしなやかに交会して行けたらと思っています。


明日は大晦日。
今年の除夜の鐘の響きが、地球の活動に影響を与えるかもしれない・・・。
そのようなことを思いながら、このＨＰをご覧頂いている方々が、佳き年を迎えられますよう祈念しています。





]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_160.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_160.php</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 30 Dec 2011 15:58:43 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>『親死子死孫死』</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1212.jpg"><img alt="HP-1212.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1212-thumb.jpg" width="206" height="275" /></a>「親死ね　子死ね　孫死ね」と読みます。


あるひとが、自宅の新築記念に、何か床之間に掛ける書を書いて欲しい、と信奉していた禅寺の老師に頼みました。

老師は快諾し、程なく書を贈りました。
そのひとは大そう喜び、書かれた紙を広げて、目を丸くしました。

「親が死ぬ、子が死ぬ・・・」とは、と絶句し、「死ぬとは縁起が悪くて・・・」、これを床之間には掛けられません、と申し出ました。

老師は、「お前さん、これを縁起が悪いとは何じゃ。これほど目出度いことがあるか！」
と、一喝。

「老師様・・・でも死ぬって・・・」と、信奉者。

「親が死に、子が死に、そして孫が死ぬ。人間必ず死ぬ、死ぬことは万人平等だが、この順序が狂うと人間の苦しみは倍加する。夫々の人生には夫々の栄華の夢もあるだろうが、この順序通りに逝くことが家の繁栄の元というものだ。」と、老師。

信奉者は複雑な面持ちでお礼を述べて辞し、表具をしても、暫くの間床之間に掛けなかったそうです。



書のその後の消息は知る由もありませんが、この数ヶ月の間に、この禅語が私の脳裏によみがえることが多くなりました。

東日本大震災により震災孤児となった1500人の子等。
誰がこれを計り、誰がこの孤児たちを遺したのではありません。只々、活動を続ける地球の有様でそうなったということです。

「天を恨まず・・・」といった高校生がいましたが、恨むはこの逆さを見る人の世の出来事です。



戦争孤児や震災孤児には、親のいない多難な前途が用意されています。それが現実です。
それでも、それを乗り越えて生きぬいてゆく若い力に期待したいものです。


震災復興に時間がかかり不平感もあらわになっていますが、復興への早さや度合いには尺度はないはずです。
私は、日本人の優れた復元力と精神性に驚いているひとりです。
震災の教訓はこの後、様々な分野で生かされ、それがまた社会の繁栄へと繋がって行くでしょう。



早くに両親を亡くした私は、無事に今日まで育ててくれた有縁のひとたちを有難く思い、その有難さを次の子や孫たちに生かしたいと願うものです。


『親死ね、子死ね、孫死ね』

人間が存在する限り、究極の目出度い言葉といえそうです。
]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_159.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_159.php</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 12 Dec 2011 06:08:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>習慣性字忘れ症候群</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1128.jpg"><img alt="HP-1128.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1128-thumb.jpg" width="460" height="321" /></a>



この頃文字を書くことが少なくなっています。
その分キーボードを叩くことが多くなりました。


これは現代に生きるものの宿命のような気もしますが、時々反省することになります。漢字を忘れていることに気づく時です。


痛感するのは毛筆を持つ時で、手が覚えていたはずの字がなかなか出てきません。老化のせいか、と思ってもみますが、主な原因はパソコンとしています。



引力のある地球に棲息する人間は、老化が始まると体のあらゆる部分が地表近くに降りてきます。

髪は抜け目元は垂れ、頬も口元もそして筋肉はラード化しだらしなく下部に移動します。どんなにあがいても中年期からこの現象が著しくなってきます。それにともない気力も落ち、ものごとに対する意欲も萎えて降下します。
かつての美男美女も見るかげもなく、誰もかれも人生の秋から冬への移行となります。


ですが、この人間晩秋期からの智慧が多くの人々のために役立つようです。
そう、経験です。経験は力です。
長い経験から生みだされる回答は、ものごとの真理に近づいていくものです。


我が国の人たちは、縄文時代から積み重なった長い経験を生かしながら今を生きています。縄文期からの精神性（古神道）、日本化された仏教、そして世に稀な皇統を維持している皇室がそれにあたります。
そう将来を心配することはありません。



現代の象徴とされるコンピューター世界を批判的に見ている人も多くいますが、
不易流行はいつの世にもあることで、パソコンの利便性に酔う現代を批判するばかりでは片手落ちとなります。


文字を書くことが極端に少なくなったことで知る五感退化の危うさはありますが、それを直ちに生きものとしての人間劣化に結びつけるのは早計のようです。

四季があり、美しい風土に恵まれている日本列島に住んでいる限り、そんなに人間の五感が退化することはないと思います。もし、縄文時代にパソコンがあったら、縄文人もきっととりつかれていたはずです。

ものごとに行き詰ったら、先人の智慧に教えに耳を澄ますことが肝要です。必ず良き答えがあるはずです。



私の文字忘れは、パソコンのせいにはしていますが、ただの老化現象であるとみています。

（写真　良寛の書）


]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_158.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_158.php</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 28 Nov 2011 10:08:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「ヒマツブシ」</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1123.jpg"><img alt="HP-1123.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1123-thumb.jpg" width="200" height="286" /></a><strong>人の世はないものねだりに暇つぶし
  色と欲とにヤキモチからめて</strong>


何年か前に、あることに得心して詠んだ狂歌です。


禅僧曰く。
「人生すべからく暇つぶし」と。
人間は、この世に生を受けて死するまで、暇つぶしの連続だといいました。
これはけして厭世的な考え方ではないのですが、そのように思うとそう思えるから不思議でした。

多忙の人はいう、「せめて、つぶせる暇があればいい」と。
万人は、「こうなりたい、ああなりたい、あれが欲しい、これが欲しい・・・」。


仏教ではこれらの欲を「苦しみの海」としました。
私たちは日々この苦しみの海に漕ぎ出て、行き先を見つけずにいるのが常のようです。
しかし、なぜ誰もがこの苦海に漕ぎだすことになるのでしょう。

この問いは、先年ある禅僧と交わした問答のひとつですが、３月の大津波の映像からこのヒマツブシ問答が甦っています。
一瞬にして命を落とした人たちの映像だったからです。
そして、「人生には意味はない」、との禅の考え方に改めて行きついています。


先賢は膨大な量の書物を始め様々な遺物を遺し、その答えを教え、導いていますが、その教えすらも、過去に遭った苦（不幸）には対応できても、これから遭うであろう苦には役立たないのが現実のようです。


私はこの頃次のように思うようになりました。
およそ人間が活動するエネルギーは、この「ないものねだり、暇つぶし、色と欲、それにからんだヤキモチ」があるから生みだせるのではないか・・・と。
しかも、「人生には意味はない・・・」と。

そして大震災は、私の裡にあった「なまけ者意識」の優越感を木端微塵に砕き、ないものねだりと暇つぶしに精を出せ、との指令を発し、今、己のできることを精一杯してみることだとしらせてくれました。
生来のナマケ者がヒマツブシに挑み始めた不思議な化学変化が起きています。



自然界の有様は、理屈ではなく、生きとしいけるものにそのいのちを与えているようです。
万人皆、喜怒哀楽と人生時間に差異はなく、おしなべて苦しみの海に在り、それぞれ「ヒマツブシ問答」をしているはずです。

人生には意味がある、と思う人も、思わない人も、老いも若きも、あなたもわたしもです。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　















]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_157.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_157.php</guid>
        
        
         <pubDate>Wed, 23 Nov 2011 07:25:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アマテラス－１０　鹿島神宮</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1117-3.jpg"><img alt="HP-1117-3.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1117-3-thumb.jpg" width="440" height="330" /></a>




鹿島神宮（茨城県鹿嶋市）の杜である三笠山は想像以上でした。


こんもりとしたひと山で、鬱蒼とした広い神域でした。
ここの祭神は「武甕槌神・建御雷神（タケミカヅチノカミ）」です。
別名を建布都神（タケフツ）、豊布都神（トヨフツ）といいます。


タケミカヅチの登場は『古事記』の中で、出雲の国譲りの際の立役者です。
高天原のアマテラスと、甥の出雲のオオクニヌシが争ったときに、アマテラスから出雲制圧のために派遣された武神となっています。


「飛騨の口碑」はこのタケミカヅチを出雲の神として、その訳を次のように記しています。


ー最初に高天原飛騨はアマテラスの息子のホヒ命を出雲に遣わしている。
その様子を見に行ったのが、若日子。さらに若日子の様子を見に行ったのが雉姫。最後に強攻策を採って国を譲らせたのはタケモカヅチではなくてホヒ命。

なぜならば、その後出雲国をホヒ命（出雲大社の宮司の祖）に治めさせることになるのならば、タケミカヅチをオオクニヌシの治める出雲政権制圧に向けて派遣するはずがなく、ホヒ命自身が出雲を制圧した。

この『出雲国譲り』の神話は、２世紀に政権に就いた出雲勢力が、８世紀に『古事記』に書いたもので、その心境を思い図れば、自国を奪った敵将の名前と功績などをそのまま記すわけがなく、ホヒ命が出雲を治めたのは事実であるので、これを変えることはできず、そこでオオクニヌシが国を譲った相手はホヒ命ではなく、タケミカヅチという神であるということにしたー
と、口碑は伝えています。
<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1117-0.JPG"><img alt="HP-1117-0.JPG" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1117-0-thumb.JPG" width="300" height="225" /></a>この神は元々鹿島の土着神で、海上交通の神として信仰されていたといいます。ヤマト王権の東国進出の際に鹿島が重要な地になってきたこと、さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになったようです。

奈良平城京に春日大社（奈良県奈良市）が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神としました。

昨年暮に春日大社の『若宮おん祭』に参拝して以来、全国一之宮巡りで西に行く予定順序を変え、福島原発に近づく「鹿島の神」に会ってきました。<a href="http://www.wanococoro.org/images/%EF%BC%A8%EF%BC%B0-1117.jpg"><img alt="%EF%BC%A8%EF%BC%B0-1117.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/%EF%BC%A8%EF%BC%B0-1117-thumb.jpg" width="198" height="393" /></a>
大地震を起こすとされたオオナマズの頭を鹿島神宮の「要石」で押さえ、千葉県の香取神宮の「要石」で尻尾を抑えているという、頭押さえの石も拝んできました。
先人は巨大ナマズを抑え込む智慧を、太古から発揮していたようで、災害列島における教訓を子孫に遺しています。


一之宮を巡り、また日本列島は優れたひとたちを生む風土であると実感しました。そして先人に改めて謝念を抱きました。
剣聖塚原卜伝グッズを盛んに売り込んでいた鹿島の杜でした。



次は伊勢神宮の謎に迫るため、また京都に参じようと思っています。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（写真　鹿島神宮「奥宮」　「本殿」　「要石」）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　















]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/10.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/10.php</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 17 Nov 2011 23:50:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>天地</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1102-1.jpg"><img alt="HP-1102-1.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1102-1-thumb.jpg" width="209" height="265" /></a>




茶事の床かけものは横物の「天地」でした。


客との問答には書かれた太田洞水老師の言葉を伝えました。

『凡そ地球上の生きものは、天地の間の地表近くで暮らしています。そして人間は毎日の地上の出来事によって喜怒哀楽を生じさせている。そのほとんどは苦しみです。

ですが時折、私たちは天の果てまで繋がって生きていることを思い起こすことです。目に見えなくとも天地の間に生かされているのです。吸っている空気がそうです。太陽や月の恵みです。雨風の恵みです。道に迷ったら天地の間に生きていることを思い起こすことです…』
　
追善の意を込めた問答でした。

茶事での掛ものは第一の道具。この掛軸をかけることが茶事の精神の要となります。

問答で、今は亡き老師との交流の日々を思い、その折の様々な情景が思い起こされました。
人間はほんの少しの思い出によって、この世に生かされている有難さを感受することがあります。それは目に見えない心の内側のものですが、明日を生きる大きな力になるものです。

ここにいう「天地」は禅語ですが、私にとっては３０年を貫くオアシスのような、珠玉のような言葉となっています。
この日の茶事の面白さは一入でした。半月経った今でもこの言葉の余韻に浸っています。




茶事より面白いものはなし。

そんな面倒くさいものがよくできますね、といわれても、天地の間（はざま）に生きている時間の尊さを思い起こさせてくれる二刻（ふたとき）のセレモニーは、他の遊びに代えがたいものです。


先人のいう“面白きこと“を堪能し、茶の湯の深遠さを垣間見た晩秋の4時間でした。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　















]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_156.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_156.php</guid>
        
        
         <pubDate>Wed, 02 Nov 2011 12:34:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>掃除</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1010.jpg"><img alt="HP-1010.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1010-thumb.jpg" width="250" height="333" /></a>
<strong>楽しみは客来るまでの月日かな
見上げる露地の空の蒼さも</strong>


茶事が近づくと茶室の掃除が始まります。


常と変わるのが起床時間です。
毎朝2時間ほど早く起きて、朝食前の露地掃除となります。門周りから始まり、当日の客が通る動線に沿って、掃き掃除、庭木の手入れや草を引く作業となります。


私が茶事を好む理由のひとつが、茶事毎の大掃除で、特にこの晩秋の茶事は、11月に炉を開く前の、いわば暮れの大掃除と同じような時期で、気合いの入るものです。


お招きする客の顔を思い浮かべながらの雑巾がけや刷き掃除は得難いもので、3ヶ月ほど前から準備が始まるなかで、最も気持ちの良い作業となります。
特にトイレの便器に手を入れて清める掃除はいいものです。この世間の垢にまみれている我が身が、清められていくような錯覚に襲われます。



当日は皆が無事に来庵されるだろうか、茶事の案内状の返書をいただく度に、それを思います。亭主と客はそれぞれ様々な想いを巡らせ、その日に向かうことになります。



茶の湯は日本文化を横断する大きな文化の塊です。
その結晶ともいえる茶事は、掃除に始まり掃除に終わる濃密な文化体現、といってもいいようです。

先人がなぜ永い間茶事を催してきたのか、なぜ、このような行為を伝えてきたのか、

企画し、客を組み、道具を組み、構成をし、そこに向かって準備を繰り返し、そして清掃をすると分かるような気がします。


茶事とは便所清掃をモットーとする行為ではないか、とこの頃思うことがあります。

「忙中閑あり」、深秋のその日を待つこの頃です。

（露地仏　招き布袋）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　















]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_155.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_155.php</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 10 Oct 2011 17:05:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>お野立ち所</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0912.jpg"><img alt="HP-0912.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0912-thumb.jpg" width="460" height="303" /></a>


12年前の5月、静岡県で第50回全国植樹祭が行われました。
場所は伊豆の「天城の森」でした。


そのメインステージの前に天皇皇后両陛下が臨まれ、記念植樹が行われました。

天皇がお立ちになる東屋を「お野立ち所（おのたちじょ）」といいます。
これをあずまやと呼ばないところに奥床しさがあります。


木造の「お野立ち所」は、この時の静岡県が初めてとのことで、当時の県を始め、関係者の方々の思いが結晶したかのような出来栄えでした。


●　フォルムは富士山（日本の象徴）に懸かる天蓋（てんがい）のイメージ。
●　ＵＦＯのような飛翔感のあるスタイルと色彩
●　様式は天平時代をベースに近未来化した、どこにもないもの
●　移築可能で、300年位は対応できる太い木による建築。
●　金物を使わない総木組の建築。
●　木造柱の構造は、伊勢神宮と同様の掘立式（ほったてしき・柱を地中に埋める式）。
●　すべて地元産出の木材使用。

以上のような構想のもとで造られました。

<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0912-1.jpg"><img alt="HP-0912-1.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0912-1-thumb.jpg" width="270" height="202" /></a>来年の１１月に皇太子殿下による「育樹祭」が同じステージで行われるようです。
父である天皇のお手植えの樹を、子である皇太子が後に育てる育樹の儀式。
日本人の精神性の在りようをほうふつとさせる、心温まる祭事です。


12年経って、また拝見することになりました。

太い柱が大きな空間を担い、木組みが隅々まで役を成し、美しい古色をたたえていました。
（ありがとう、よろしく……）
抱きしめた柱の温かさが、12年経ってまたよみがえりました。

一心に構想を練っていたあの頃の過激さも……。

（写真　天城の森・お野立ち所）



















]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_154.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_154.php</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 12 Sep 2011 01:16:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>供養の茶事</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0825.jpg"><img alt="HP-0825.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0825-thumb.jpg" width="250" height="361" /></a>この秋に茶事をすることにしています。

内容は、今年亡くなった有縁の方を供養する「追善の茶」です。

初冬前の10月は「風炉の名残り」で、11月には炉をひらき、新茶を詰めた茶壷の「口切り」をし、正月を迎えます。茶家では11月を正月としています。



今年は震災に遭遇したせいか、茶事・茶会を催す気になりませんでした。
もう半年になろうとしているのに、未だに多くの方が被災したままの生活を余儀なくされています。そして、いつ収束するのか分からない原発事故です。
私も3人の遠い親戚を亡くしています。




人は人と出会い、そして別れる。「相逢うて、そして別る」です。
生者必滅、会者定離（せいじゃひつめつ、えじゃじょうり）は、この世のさだめ。
誰ひとりとしてそれを止めることはできません。
残り生きているものは、せめて亡きものの供養をすることの他はないようです。
いずれはわれも供養される側への仲間入りとなります。




追善・名残りの茶事の床之間には、墨蹟のような固いものを掛けず、供養の思いを映す軸の類を掛けます。
一年間使った抹茶の残り（残茶）で茶を点て、花も開花直前のものではなく、盛りを過ぎた花、遅咲きの花を入れます。

道具類は欠けで繕いをしたものや、この日のために作ってきたものを使います。
人と、時と、ものを惜しむ風情を、亡き人々に届ける二刻（ふたとき・４時間）となります。


今年は庭に開いた蓮のハチスを使い、香合を作ることにしています。
茶杓は竹を選び、その日にむけて削ります。
供養する人たちと、迎える客の顔を思い浮かべながらの削りです。
私の催す茶事は、削る茶杓の完成で始まります。


その日、茶席で唱和する「般若心経」が、供養のすがたです。






]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_153.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_153.php</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 25 Aug 2011 01:54:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アマテラスー９　スメラミコト</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0815-2.jpg"><img alt="HP-0815-2.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0815-2-thumb.jpg" width="250" height="375" /></a>アマテラスは皇統（スメラミコト・天皇家）の祖です。

それゆえ天皇家の祖神として２０００年もの間祀られています。
釈迦が２５００年、キリストが２０００年、ムハンマドが１５００年来、神仏として祭祀されていますが、アマテラスは日本の天皇家の祖として存在しているところが特異といえます。



初代のスメラ尊は天照大神の３０数代前の天御中主神でした。
飛騨の口碑はその人物を大淡方様（オオアワカタサマ）として伝えています。
天御中主神とともに現われた高御産巣日神、神産巣日神も飛騨天孫族の祖神（親族）といっています。

その３０数代後にイザナギとイザナミの娘としてヒルメムチ（アマテラス）が生を受けました。

アマテラスは超能力を具え、当時、九州地方に外国人が大勢上陸し、争いを起こし土地を占領することを予見し、一族を九州平定に降らせました。これが『古事記』にいう「天孫降臨」です。
アマテラスの孫たちが九州を平定し、ひ孫が大和に上り、初代神武天皇となりました。




なぜ、アマテラスが天皇家の祖神となったかというと、日本統一と外国勢力の討伐の一大功績の基を築いたことによります。
それは飛騨の地から全国各地に分家を降らせ、当時数十あったクニをまとめ日本という国をひとつにまとめる基礎をつくり、子孫のために各地に土地を開拓し、外国からの侵略を防いだことです。




私たちはそのアマテラスの子孫であることはいうまでもありません。
両親がいて2、その両親にはそれぞれ両親（祖父母）がいて4。曾祖父母で8、さらに16、32、64と代をさかのぼると28代あたりで、日本の人口を上まわります。
少なく見積もっても鎌倉時代あたりで日本人はすべて親戚となります。



２千数百年もの間営々として途切れず、侵略してつくった国ではなく、何万年も前から自然発生的に生まれ、人として育まれてきて天皇とともに、私たちは暮らしています。



過去の歴史をみると、何度も自然災害に遭ってきた先人は、壊滅状態の中から復興を成してきました。これらはすべて生き残ったものたちの宿命とはいえ、その営みは後の世のものたちへの贈りものでもありました。
アマテラスの生きた時代もこの平成の地球上に暮らす人々の喜怒哀楽に変化はないようです。



アマテラスは日本人の心の拠りどころとなる存在です。
紆余曲折はあっても、日本は世界のお手本となる民の住む国で、そのお手本となるのは天皇に他なりません。


今日は６６回目の終戦記念日。
８月１５日は軍国日本の命日のような気がしています。


（写真　「伊勢参詣曼荼羅　内宮」　江戸時代　三井文庫　）








]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_152.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_152.php</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Aug 2011 08:53:55 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>東京スカイツリー</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/20110624%5B1%5D.jpg"><img alt="20110624%5B1%5D.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/20110624%5B1%5D-thumb.jpg" width="463" height="695" /></a>



東京スカイツリーは来年２月に完成し、５月に開業予定です。


先日、テレビでタワー建設事業の特集番組がありました。
仕事柄、建設計画概要の情報は得ていましたが、改めてその感を強くしたものでした。



それは、このタワー建設が仏閣にある「五重の塔」建設と、その建築思想や手法が同じだと思ったことでした。

もちろん構造が鉄骨と木造との違いがあり、また飛鳥や奈良時代との文明の発展の著しい差はありますが、私には木造の五重の塔建設とスカイツリーがダブって見えていました。



ツリーのタワー中心部には、地震時に制振システムとして機能する 心柱（しんばしら）が設置されています。直径８ｍ、高さ375mの筒状のコンクリート構造物です。

その心柱の空洞の中に、デジタル放送用アンテナを取り付けるゲイン塔という５００ｍを超える鉄塔が通り、その天辺が２階建ての地震対応の制振機械室、その屋根の上に避雷針があり、その頂部がタワーの最高点の６３４ｍ（ムサシ）となります。



ゲイン塔は地上で組み立てるためリフトアップ工法というもので世界一の高さに吊り上げられます。超高層ビル1棟分ほどの大きさの構造物を634ｍも引き上げることは前例がなく、今回採用されたリフトアップ工法は、工事全体のなかで最大の見せ場となる技術です。



日本の建築技術の進歩は目覚ましく、東京タワーの建造時（ 1958年）に比べて鋼材の品質や溶接技術、各種構造計算（シミュレーション）などの設計技術、基礎部の特殊な工法が大きく進歩したことにより、東京タワーの建築面積を大きく下回る面積でのこの高さの自立式鉄塔の建設が可能となっています。


鉄骨の溶接技術も熟練を要する部分が多く、優れた職人技が発揮されています。

建設の状況を見ていると、高い精度を要求されるところでは、コンピューター制御とともに、人の手業（てわざ）の見事さにたよるところがずい処に映され、そのコンマ何ミリかのせめぎあいに、日本人技術者の真骨頂を見る思いがしました。。



この塔は木造技術の粋を集めている。
この技法・技術は縄文時代から継承されてきた先人の智慧の結晶だ。
奈良薬師寺を建立したような平成の匠たちの仕事だ。
何度もそう納得して観ていました。



世界一の高さを競うことが良いか悪いかはともかく、高度な木造技術がこのようなタワーに生かされ、生きつづけていることに仄かな安堵を覚え、これらの技術は次代に確実に伝えられて行くだろうと思いました。



技術は先人からの贈り物、それに新たな挑戦を挑む…。
伝統とはそのようなものだと思っています。

（写真　東京スカイツリー　提供大林組）









]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_151.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_151.php</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 11 Aug 2011 09:41:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本被爆列島</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-0727.jpg"><img alt="HP-0727.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-0727-thumb.jpg" width="460" height="344" /></a>



コンクリートの主要材料のセメントには下水汚泥の処理焼却灰が入っています。

セメントは石灰石のほか、粘土、ケイ石などが原料ですが、汚泥は粘土の代用品として入っています。
その重量比で汚泥の割合は1パーセント未満です。




4月30日に福島県が実施した調査から、高濃度のセシウムが検出されました。
同県の中央に位置する郡山市と近隣の須賀川市など４市町の約９万世帯の下水を処理している「県中浄化センター」からです。
汚泥、１ｷﾛあたり2万6400ﾍﾞｸﾚﾙ、汚泥を溶融炉で燃やしてできるスラグから33万4000ﾍﾞｸﾚﾙが検出されました。
　


事故前に処理されたスラグの値は246ﾍﾞｸﾚﾙで、単純計算で約1400倍。汚泥に関するデータはありませんが、大気中や地表の放射性物質が混じる雨水も一緒に処理水として流れ込み、その影響とみられています。

同センターでは、１日で80ﾄﾝの汚泥が発生。そのうちの70ﾄﾝは溶融処理で２ﾄﾝのスラグとなり、残る10ﾄﾝが住友大阪セメント（東京）の栃木工場（栃木県佐野市）に搬送されていました。スラグは道路の砂利などに使われるが、事故後は出荷されていなかったといいます。

一方で栃木工場はセシウムの検出後、稼働していない。事故発生後から稼働停止までに使用した汚泥は928ﾄﾝあり、現在、セメントの出荷先を調査中とのことです。（参考　東京新聞５月10日特報部記事）



気になるのは、放射能が半減するのが約30年のセシウム137の影響です。

セメント１キロあたりのセシウムは250ﾍﾞｸﾚﾙ程度とみられますが、通常のセメントの放射性物質は40ﾍﾞｸﾚﾙとされていて、その６倍以上の数値です。

セメントは住宅の基礎造りや建築資材にも使われ、現在私が工事を監理している現場で使用の恐れがないわけではありません。
　

セメントに混入される放射能汚染汚泥は今、社会問題となっている牛肉の汚染エサの「稲わら」と同じことです。



汚染前の約600倍の高濃度のセシウムが、人体にどのように作用するのか事例がないので判断できませんが、これは50年とか100年とかの子孫に関わる重大な問題です。

またこれはこれに止まらず、新米や他の農作物の食糧から、人体被爆、美しい山河への汚染にまで及ぶことは必至です。




現政府を非難することは簡単ですが、原発を作ったのは日本国民自身です。
今、全国の原発がこのような問題を抱えています。

保障や賠償などは大事ですが、対処方法に過ぎず根本的な解決とはなりません。
自然の理から遠ざかり過ぎた私たちの暮らしが、天罰を受けるときが来たように思います。



今、自分に何ができるか。
それは、子孫に禍根が少しでも残らないようにするため、汚染された建設材料で建築を造らないことだけのようです。


今回の大災害を受けて、政治がいかに大事なものであるかが思い知らされました。信頼できない電力会社と学者と政府の情報隠ぺい工作も功を奏さず、既に汚染が全国に広がっていることが分かってきました。この後各地の原発に事故が起きることがあれば、列島に人が住めなくなる可能性もゼロとはいえません。



早まることはしませんが、これから政治を改めさせる行動を起こそうと思っています。

（写真　7月の田んぼ）












]]></description>
         <link>http://www.wanococoro.org/post_150.php</link>
         <guid>http://www.wanococoro.org/post_150.php</guid>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 Jul 2011 02:37:12 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>

