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      <title>和の心にて候 ～ 日本のすがた・かたち</title>
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         <title>鉄</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10722.jpg"><img alt="HP-10722.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10722-thumb.jpg" width="200" height="282" /></a><strong>クロガネは石より出でて熱により
人のためにとすがた変えなむ

</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

鉄の原料が高騰しています。

中国をはじめとするアジア諸国の高需要が高騰の原因のようです。
かつてのオイルショックの際の原油価格高騰を思い浮かべます。


鉄の値段の動向は建設物価に直接影響を及ぼし、私も仕事柄困ることになっています。

資源の無い日本の悲哀がこのような時にすがたを現わしますが、自国で産出されない原料は、相手国と協調しながら、また技術力で、鉄鉱石や石油などを使わなくて済むエネルギーを開発する以外にありません。


資源の乏しいことが幸いしてか、我が国では資源産出国と和して協調することに長け、また石油などに代わるエネルギー開発では世界の１、２を争らそう技術国になっていて、現代文明の象徴といわれる自動車と環境保全技術は世界が注目するところです。


地球上のエネルギーの中で、人間にとって一番必要なものは「電気エネルギー」といえます。
私たちが暮らしてゆくために必要なエネルギーの基は電気であり、凡て電気を得るために仕事をし、活動をしているとも考えられます。パソコンも携帯電話も、照明も電子レンジも新幹線も「はやぶさ君」も電気が無くては動きません。


いずれ近い将来、資源の枯渇による電気の生産が不能になることも考えられます。電気エネルギーが無かった時代の生活のことを新たに研究する時が来るかもしれません。


我が国では、自然の中に存在するもの凡てに目を向けることになるでしょう。気候、気象、水、森林、草木、そして海。そして太陽と月。
そして国々は、風土によって生きる術（すべ）を見つけて行くことになると思います。


全国各地で夏祭りや花火大会が始まっています。

夜の濡れ縁でスイカを食べながら、自分は日本に生まれ育ってきて本当に良かった。
そう改めて思う、今日この頃です。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

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         <pubDate>Thu, 22 Jul 2010 10:47:42 +0900</pubDate>
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         <title>行雲流水</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10711.jpg"><img alt="HP-10711.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10711-thumb.jpg" width="201" height="294" /></a><strong>白雲が去りゆくさまは水の如
長るけき空は妨げもせず
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

人間の苦しみのひとつに別れがあります。

釈尊は「生老病死」の四苦が人間の苦しみの基本にあると教えています。そのいずれにも別れがつきまとっています。生老病死に「別」という文字をつけてみるとそれが理解できます。人間の一生は別れる連続といっても過言でないようです。


“人は老いると幼な子に帰る”といいますが、改めて周りを見渡すと、高齢者が多くなっているせいかその感を強くします。
幼い頃から躾けられた礼儀作法や、集団生活のためのルール習得や規範も老いが進んでくると、待っていました、とばかり身についてきたものが肉体から離れ、別れていくようです。

あれ程努力して習得してきた学問も、身につけてきた一芸も、美しく強靭だった肉体も、老いは一瞬の内に別れを促し、もの心つく前の幼児に戻すかのようです。これは老いてゆくことの別れです。


良寛が詠んだ別れの詩があります。

<strong>相逢又相別　</strong>　相い逢（お）うて　又　相別る　　　　　　　

<strong>來去白雲心　</strong>　来去（きょらい）は　白雲の心　　　　

<strong>惟留霜毫跡</strong>　　惟（ただ）　霜毫（そうごう）の跡を留むるのみ　　　　

<strong>人間不可尋</strong>　　人間（じんかん）　尋ぬべからず　　　　　　　　　　　　　　

〈お互いに出会って、またお別れする。そのさまは、去来する白雲の無心さのよう。ただ書きとめた筆の跡だけは残っている。お会いしたくても尋ねられない〉


出合いと別れは苦しみのすがた・かたちともいえます。
人間は古今東西、これから逃れる術はないとしてきたようです。
先哲は、老いからくる別れは自然現象として捉え、それに対応する答を与えていないようで、強いていえば成り行きに任すように教え、諭してきました。


そして先人は、人間の根源的な苦しみ、別れに対応する記述を遺してきました。
万巻の書物に著してきた軌跡をみればそれが理解できます。

凡ての苦しみの源は”我が心中”にあり、己が変わることによってそれが喜びにも換えることができる、とは先人の言葉です。中でも我が国の先人は、その喜びの元は人と「和する」ことだ、と看破しています。


オジさまからジイさまへとまっしぐらの小生は、良寛の詩のように、未だ“相逢又相別”の日々の真っ只中に、ふわふわっ、と漂っています。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

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         <pubDate>Sun, 11 Jul 2010 23:39:23 +0900</pubDate>
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         <title>南極帰り</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10705.jpg"><img alt="HP-10705.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10705-thumb.jpg" width="200" height="274" /></a><strong>地の果ても
生きるいのちのあるものと
知るは恵みの太陽と空
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

先日、南極で越冬した茶籠（ちゃかご）が帰ってきました。


南極でお茶を点てたのは、我が「新之介組」のひとりです。
「新之介組」とは私の主宰する、祭事「和の心にて候」の企画・構成・演出のサポートスタッフです。現在、10名ほどですが夫々普段は別分野で活躍しています。

20代から６0代までおりますが、その中のひとりが東京大学大学院に在籍中、第５０次南極地域観測隊(越冬隊員)に選ばれ、２００９年１月１３日からの観測隊に参加。１０年２月１３日まで１年１カ月間にわたって東オングル島の昭和基地に滞在し、４月帰国しました。


彼は建築学者で、宇宙や南極、北極などの極限建築の研究をしていますが、私が彼に興味を持っているのは、ある意味での極限建築である「茶室」や日本固有の文化のエッセンスである「茶の湯」に関心が高いことです。
彼は私の主宰する祭事の「能楽堂ライブ」や「茶会」に於いて重要な役割を果たしてきました。


「新之介さん、南極でお茶を点てて喫んでみたいので、茶籠を貸して下さい。和服も袴も一式……」
茶籠とはお茶を点てるための茶道具が入っている籠のことをいいますが、彼は私と旅をした時、私が何時も茶籠でお茶を点てて喫んでいることを知ったようでした。

私好みの茶道具は私の分身のようなもので、愛着があるものですが、彼の心意気に感じ、南極にお供させてもらうことになりました。


<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10705-1.jpg"><img alt="HP-10705-1.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10705-1-thumb.jpg" width="200" height="299" /></a>彼が南極で担当したのは、専門分野外の地球物理に関する観測とのことで、ＧＰＳ（全地球測位システム）などを駆使した、大陸変動の様子や振動、重力の測定だったようです。
ほとんどの作業が屋外で、雪上車や、点在する小屋などに泊まり、海氷の上は安全なルートを探しながらの行進だったとのことです。
激しいブリザードを２８回も観測。最大風速４７.４メートルも経験したそうです。
彼はきっと、厳しい自然を前にした人間の小ささを感じたことだと思います。
その中での抹茶による喫茶とは粋なこと。



先日、手元に戻った茶籠でお茶を点ててみました。「南極の氷でお湯を沸かしたかったなあ……」などと妄想し、愛しきものたちが無事帰還したことを喜びました。

多分、南極で茶を点てた者は初めてでしょう。永く先人が洗練し、培ってきた文化的行為が、極地で行われたことに深い感慨を覚えました。


この茶籠はまた１２点の茶道具を入れて、この八月にイギリスに行くことになっています。
ガールスカウトで活躍している「新之介組」のひとりが彼の地で茶会をするようです。


宗教の儀式や流派の点茶作法によらず、日本のすがた・かたちはこのようにして次代を担う若者たちに静かに、そして深く沁みわたっています。

彼が贈ってくれた南極探検隊の法被を着て、近い内に私も茶会を催したいと思っています。
「上海帰りのリル」に倣って「南極帰りのカゴ」とでも銘打って。

（写真　茶籠　　南極でスキーをする村上祐資君　）





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

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         <pubDate>Mon, 05 Jul 2010 23:41:26 +0900</pubDate>
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         <title>コロワイ族</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1027.jpg"><img alt="HP-1027.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1027-thumb.jpg" width="200" height="248" /></a><strong>樹の上に土の中にも
棲むヒトは
生きるに隔てはなきと識るかな
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

サッカーワールドカップは世界規模のお祭りのようです。

我が国の熱狂ぶりは、例え日本の進路を決める重要な国政選挙運動中でも変わりません。むしろ選挙報道は関心の外におかれているような感さえあります。テレビの放映時間の長短でそれが分か
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ります。

現代の情報社会では、マス・コミニュケーションという巨大な力をもつ人心誘導発信メデｲアが突出しています。
情報は大きな社会的影響力を持ち、国家の行く末までもリードしながら権力を行使するまでになりました。

私たちの生活もテレビ、ラジオ、インターネット、新聞、雑誌などによる情報を通じ、南アフリカで行われているサッカーや、キルギスの民族衝突、大相撲の野球賭博まで瞬時に知ることができます。


先日、熱帯雨林で生活する樹上生活民族が、初めて「公式に発見」されたとの報道がありました。インドネシア政府による国勢調査を今回初めて受けた主に樹上で生活するコロワイ族です。推定人口は約３０００人で、彼らは独自の言語を話し、狩猟採集生活をしているそうで、人食の習慣を持っているようです。
生活様式は石器時代から変わってないといわれますが、テレビやパソコンもなく、勿論携帯電話もありません。しかし、何万年も暮らし続けてきた生活が厳然としてそこにあるようです。
この種族の存在もマスコミによってもたらされたものです。




現代社会において、その地域で国家を形成しているかたちが存在するとすれば、それはマスコミの情報によって知らされるものといっていいでしょう。
その国のすがたや、国を成立させている仕組みをみれば一目瞭然です。いいかえるとその国のすがたや、外国の人のすがたは、マスコミの情報そのものということになります。



私たちはマスコミの影響下で、他人の加工した情報の下で、ものごとの是非を問い、暮らしています。宇宙からの電波がもたらす情報に一喜一憂する生活をしているのです。
現代人は、電波（情報）を制するものが国家間、人間間の競争を制すことになること知っているため、情報取得に過敏になっているのだと思います。
その意味からすると、私たち人間は、日々の競争に勝つために電波をいかに早く、そしてコントロールすることに血道をあげる、そんな生きものになってきたように思えます。




<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10627-2.jpg"><img alt="HP-10627-2.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10627-2-thumb.jpg" width="200" height="190" /></a>国家のすがたはマスコミといえますが、私はサムライジャパンへのイエローカードが極端に少ないことを、今日のマスコミを通して知りました。その報道に日本人のすがたを観ている気がしたのが不思議でした。
先人が培ってきて子孫に伝え続けてきたフェアーな行動、礼を重んじる精神がそこに息づいているように思いました。



樹上生活者と、寝不足を押してテレビにかじり付いている者とどちらが不幸なのか、それは比べることはできません。


「どこにいて、どのように生きてもいいけれど、人様に迷惑をかけることのないように…」
亡き母がよくいっていた言葉です。

人様からイエローカードをもらうことが少ないように、とのことだと、私は解釈しています。


（写真　コロワイ族の樹上住まい　　トルコ　カッパドキヤの地中住居）







　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

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         <pubDate>Sat, 26 Jun 2010 20:55:43 +0900</pubDate>
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         <title>木造りの建物</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10617.jpg"><img alt="HP-10617.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10617-thumb.jpg" width="200" height="283" /></a><strong>木々の中
生まれ育つる諸人は
木霊の声を聴くが在りさま
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

我が国の風土には木造建築が最も適していると思います。


コンビニエンスストア業界で、環境配慮型木造店舗の出店が相次いでいます。
この木造店舗の中身は、私の考える木造とは少々異なり、木質建築といった方が適当かも知れませんが、いずれにしろこの時代にようやく木造り建築が甦ってくれたか、との感があります。

従来の鉄骨造りに比べて建築コストを１割削減でき、二酸化炭素（ＣＯ２）排出量を３３％削減できるというのが売りですが、これにはもっと重要なことが含まれています。



「木造建築は地震や火災に弱いし、腐る弱点がある」。
これは他の鉄骨やコンクリート系の建築メーカーが謳い文句にしているキャッチフレーズですが、実はこの評価には少し偏りがあります。
木造建築の弱点らしきところを強調して、木造建築の本当の良さや価値に覆いをかけているところがあるからです。その中身は、情報を都合のいいように加工して、建て主の目を曇らせているかのようです。


その反証を一部挙げます。
まず、木造建築が何百年も経て、未だに何事もなく使われている事実があります。
これは地震や火災に弱く、また腐食しやすいという弱点にはなっていないことになります。
また、建物は人間と同じで、生き物といえる側面があります。
築年数を重ね、古くなって、老朽化が進んだものへの質や価値には、それなりの弱点があることは認めますが、それが木造建築のもつ宿命的な欠点とは言えないところもあります。
そして木造建築は日本の文化そのものになっています。

現代建築のほとんどが４、５０年で壊されるのはなぜか…。
そこに答えがあるように思います。

これに反論があることは充分承知の上ですが、つまりハウスメーカーの基本的な考え方は、「住宅建築は消費材」というものです。築２０年ほどで造りかえることを前提に営業戦略が組みたてられているとの考えということです。
経済効果という見方からすると、建設投資が短いサイクルで繰り返されることが望ましいこともありますが、このような短期消耗品化の建物が多くなり過ぎると、産業廃棄物が増大するばかりか、次代に伝えられる文化財としてのかたちが少なくなります。
私はこの我が国の文化的側面が薄れることを危惧するひとりです。

しかし、現代を象徴するコンビニにおいて、環境問題やコスト節減から木の建築が復活してくるというのは、皮肉めきますが、大いに歓迎していいことだと思います。
いよいよ我が国の建築は、耐用年数ではなくて対応年数という考え方を導入する時代になってきたようだ、と実感しています。

先人は、時代時代の様々な試みの末、様々な建築を造ってきたわけですが、日本列島という５万年の風土の中で、日本人に最も適している建築は、結局、木造建築という結論を出してきたのでしょう。


子どもたちが身近な建築の手入れの仕方を学ぶことができなくなった現代にあって、木造建築の復活には、日本のすがたかたちに沿った文化的な匂いが漂います。
地球環境をいうまでもなく、国の風土に合った建築を造ることが、人間の都合ではなく、自然の理に適うように思います。


東大寺のような巨大な建築を造ってきた先人を誇りに思いつつ、次代に伝えたい大きなかたちのもののひとつに、人の手で造った建築があるのではないか…。
私は常々そう感じています。







　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

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         <pubDate>Sun, 20 Jun 2010 19:03:53 +0900</pubDate>
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         <title>御神宝</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10612.jpg"><img alt="HP-10612.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10612-thumb.jpg" width="200" height="256" /></a><strong>宇宙（そら）駆ける
「はやぶさ」に見る見事さは
手に神をみるわれらが仕組に
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

圧倒的な職人技でした。

平成２５年の伊勢神宮式年遷宮に奉納する御神宝の製作過程を拝見しました。
奉納する二振りの太刀拵えは、２０年ごとの遷宮（造りかえ）に合わせ、新らしくまた作りかえられます。


２０年前も、同じ作りかえの太刀の工程を拝見しました。
「センセ、伝統というものは古いものを守るものと違いまっせ、新しいものごとを積み重ねることですねん」
当時、荘（かざり）金具製作の第一人者であった先代の森本安之助氏はそういいながら、私の眼の奥を見ました。その鋭い眼光は今でも覚えています。
（この御仁は、何百年というような先の時間を観ている…）
そう感じたものでした。


昨日、目の前で太刀の柄（つか）部分の銅板を細工している職人の手の、指の美しさに私は見惚れ、見事な細工はさておき、暫しその手の、指の動きを眺めていました。
（ああ、こうして先人は営々と技術を繋いできたのだ…）と。

その金具に刻まれた文様は、民族の血の証のようなメッセージを私に送っているようにも思え、また日本人の手の、指の美しさを見せてくれていました。

二振りの太刀荘りは３年後伊勢神宮に奉納されます。
２０年毎に繰り返されてきた、先人からの手仕事の結晶です。


７年の旅を終え「はやぶさ」が地球に帰還したようです。
日本の職人技は確かな文化に支えられ、世界に冠たる構想と質を継承してきているように思います。
それを裏打ちしている精神こそ、大昔から積み重ねてきた先人の英知といってよいでしょう。

自らは大気圏で燃え尽き、赤子を地球に産み落とすかのようにして消え去る・・・。
４６億年から繰り返されてきた子孫への営みそのもののようです。

伊勢神宮式年遷宮に奉納する太刀の見事さも、地球と火星の間の小惑星「イトカワ」の往復を果たした「はやぶさ」の快挙も、同じ日本人の手に、指に成る、遺伝子作用だということを子孫（産みの子）たちに伝えたい。
そう思った一日でした。


明日の新聞の一面は、なぜ人間が感動を覚えるのか、という答えを出していることでしょう。


（写真：左下側から大気圏に突入し、輝きを放ちながら地球に帰還した「はやぶさ」の最後の軌跡＝２０１０年６月１３日、和歌山大宇宙教育研究所提供）







　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

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         <pubDate>Sun, 13 Jun 2010 11:11:18 +0900</pubDate>
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         <title>茶入「世阿弥」</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1069.jpg"><img alt="HP-1069.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1069-thumb.jpg" width="200" height="290" /></a><strong>そのすがた
妙なる深く静かなる
かの世阿弥かと閃くがごと
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

茶入の銘に「世阿弥（ぜあみ）」と付けたものがあります。


何年か前に催した茶事の道具として出そうとして焼いたものです。
その折、伊賀焼の茶入れを三点作りましたが、その中の一点は、窯から出てきた時にすぐ銘を付けました。ひらめきによる銘々でした。


当時、私は能にのめり込み、生活が能一色になっていた時期でした。渋谷の観世会館の能舞台に立った頃は、無謀にも能役者になる夢を見るようになっていました。今思えば赤面の至りです。

しかし、その時期に世阿弥を知り、室町ルネッサンスのエキスを吸うきっかけができました。
世阿弥という人物を通して、日本の芸能の原形を見た感がありました。謡を習いながら、侘び、寂び、幽玄などの趣に触れたのもこの時期でした。


能は奈良の興福寺や春日大社での神事に奉納する猿楽から始まったといわれていますが、その四座の中から私がのめり込んだ観世家が出ました。

当時の奈良四座を現在の流派に当てはめると、観世流は結崎座、金春流は円満井座、宝生流は外山座、金剛流は坂戸座で、喜多流はそれから後れること３００年後の江戸時代からです。


世阿弥には芸術論の「風姿花伝」や「花鏡」があり、この書物が私にとって日本のすがた・かたちを考えさせる基になったといっても過言ではありません。万葉集や古今和歌集、源氏物語、平家物語などと共に、花咲く日本の芸術体系上の書物となってきたものです。


茶の湯にいう茶事は禅の思想性と能の演劇性に裏打ちされているといわれています。世阿弥は「夢幻能」、千利休は「侘び茶」を大成させた代表的人物です。

そのふたりの生涯は波乱に富んでいますが、文化芸術の永遠さを立証するに相応しい生き方です。
文化や芸術となった芸能は、政治、経済にまして歴史に名をとどめ、永きにわたり子孫に影響をあたえつづける、激しくも静的な行為といえます。


いずれまた、茶入「世阿弥」を使い、中立の時、ドラを打たず、謡で客を迎える、何時かと同じ趣向の茶事を催したいと思っています。
勿論、次に世阿弥や利休に出合う客は、若者たちが主となるはずです。

（能面　「中将」）



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <pubDate>Wed, 09 Jun 2010 17:08:55 +0900</pubDate>
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         <title>海洋国の守り</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1064.jpg"><img alt="HP-1064.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1064-thumb.jpg" width="300" height="206" /></a><strong>海の国
守りは動くものにあれ
瑞穂の国の水の如くに
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

先日、私も基地問題に直面しました。

久しぶりに次代を担う若者たちと普天間問題について語り
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　あいました。
３時間に及ぶ熱の入ったやり取りでした。

静岡県三島市に住む私には、米軍基地に関することについての実感が乏しく、軍用機の騒音の凄さも知りません。
つまり、基地に関して日常的に身につまされることがないということです。


彼らは私に、基地問題の解決策があるか、と迫りました。
「日本のすがた・かたち」を考えている者の言として聞きたいとのことでした。
若者のひとりは射るような眼で、私を見ていました。
（ああ、私も４０歳前はこのような眼をして先輩たちをみていた…）
と思い、世代交代はこのようにして成されてゆくものだと感慨にふけりました。

私の話した構想は「空母基地」でした。

外国の軍隊が日本を守っていることの異様さに慣れた日本人は異様です。
仮に日本軍がイスラエルあたりに基地を作り、その国の安全を保証することがあったらとしたら、当事者の国や周辺諸国は、いずれ駐留している日本軍を必ず敵対視してくるはずです。
それと同じことが国益と称して平然と行われているのが現在の日本のすがたです。
これは異様なことです。


戦後６０余年を経て、自主専守といいながら外国に頼るすがたは、かつて平安時代に公家が血なまぐさいことを武士集団にゆだね、自らが鎧を着け戦うることを嫌ったことと重なります。武士が台頭してきた原因はここにあるようですが、その公家的精神構造がそのまま現在にも続いているようです。
基地問題は、平和に慣れた日本人が、その自らのズルさに気付くために起きているような気がします。


我が国は、憲法で戦争放棄をうたっていなくとも、専守自衛であることが望ましいことはいうまでもありません。しかし現在、主権国家としてのすがたを見れば、独立国を外国軍が守るという異様さに気づく時がきたのかも知れません。
２０１０年の現在の自主防衛観は、錆びた戦艦の様を呈しているように見えます。


私は、「もし私が総理大臣だとしたら…この案を国民に問いたい」、と前置きして、次のように話しました。

米軍は日本国内の地上基地から退去して頂く。その後に抑止力を行使するため自衛隊が入る。それは国内に６カ所必要だろう。そして当面の問題に対応するために米軍基地が必要というなら、海洋国である日本に相応しい移動基地を作る。それは航空母艦の建造案で、空母のひとつの名を「フテンマキチ」としてもいい。
日本全域の守りのためには６隻を要し、沖縄から北海道まで配備し、必要であれば米軍に使ってもらうといい。飛行機基地が海に浮かんで移動できれば、さまざまな問題が解決する。

そう、話しました。

今日、新しい総理大臣が決まりましたが、これからますます基地問題が影を落とすことになるでしょう。

空母を日本の領海に浮かべることを考えていた私は、海に囲まれた日本のすがたを俯瞰しています。
海に囲まれた国は海を防衛の最前線とするのが自然のように思います。

そして私は、子どもたちと見た映画の「宇宙戦艦ヤマト」のすがたを思い描きます。
小天体を一瞬にして破壊する波動砲を備えたヤマトのすがたです。

ヤマトに象徴されるように、人間の想像力は宇宙の彼方まで飛翔しますが、話のやり取りの中で、片や飛行機の騒音ひとつで生活を脅かされる現実があることも再認識しました。


何時の世にも若者は捨てたものではない、と思えた３時間でした。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <pubDate>Fri, 04 Jun 2010 23:32:39 +0900</pubDate>
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         <title>雨滴聲</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10524.jpg"><img alt="HP-10524.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10524-thumb.jpg" width="200" height="268" /></a><strong>雨の声聴けば静かにこだまする
幼きころの母の声とも
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

「雨滴聲（うてきせい）」とは雨垂れの声を聴け、との禅語（碧巌録）で、公案のひとつにあります。

公案とは禅の修行にいう問題集のようなものですが、修行僧が階段を一段一段上るように悟りに至るための設問語となっているものです。


雨が多くなるこの時期に静かに雨音を聴いていると、私はこの言葉を思い出します。３０歳の頃に出合った太田洞水（おおたどうすい）老師が好んで揮毫されていた禅語でした。

洞水老師は曹洞宗の禅僧で、当時私の心の師でした。折々に雨垂れの音を聴くと老師の顔が浮かび、「何時も自分自身の声を灯火として行きなさい」、という声が聴こえてきます。

人間は６０も過ぎれば、今までやってきたことや生きてきたことの在り様がおぼろげに分かってくるように思います。何をしてきても、その費やしてきた時間の中には、必ず次世代に伝えておきたいと思うことがあるように思います。


先人は営々としてそれを若者に伝え、良きことも悪しきこともそれなりに教え、伝えてきたのでしょう。私もそれに倣い、その良否や是非善悪の選択は若者たちに任せて、これぞ、と思うところを相手の様子を見ながら、「えい！」とばかりに伝えてみるようになりました。


「雨が降るならば雨になりなさい」
老師はそういって、一如の世界を説き、天地一杯に生きている生きとし生けるものを讃えていました。
今ここの相手と、あるいは仕事とひとつになって取り組んでゆくようにとの教えが、「雨滴聲」の一句の示すところのようです。


雨音は人間が出現する前から、この地上で妙なる調べ奏でていたに違いありません。それは草木に和し、葉影に潜む木霊とも……。

今、蓮の葉の上に円い水滴ができて、私の顔を丸く映しています。
そして雨音は、30数年前の雨の声にも、母の声にも聴こえています。






　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <pubDate>Thu, 27 May 2010 00:15:10 +0900</pubDate>
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         <title>旧木器時代</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/%EF%BC%A8%EF%BC%B0-1023-1.jpg"><img alt="%EF%BC%A8%EF%BC%B0-1023-1.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/%EF%BC%A8%EF%BC%B0-1023-1-thumb.jpg" width="200" height="246" /></a><strong>宮村の風に薫れる太虚（そら）の色
匂うが如くの木々のささやき
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

人間（新人類・ホモサピエンス）の歴史を５０万年とすれば、石器時代はその９９％の４９万５００年といわれています。

私たち祖先は気の遠くなるほどの永い時間、石を使った暮らしをしてきたことになります。
私はその石器時代の表記に疑問を持ち、折に触れ考えてきたことがあります。

それは太古の日本列島にはまず木器が起こり、それに加えて石器が生まれ、その後に土器が出てきたのではないかと思っていたことでした。

石器時代に既にあった木器は石のように土中に遺ることはなく、腐食して跡形もなくなるため、その痕跡が遺ることはないといわれていましたが、先年、大阪のハサミ山遺蹟から後期旧石器時代といわれる3万年前の住居跡と木組みが出土したことから、私の木器時代への憧憬が深くなりました。もしかしたら、日本列島では木器が最も早い文明の利器だったのではないか、という思いでした。


太古の生活は野山の木々に囲まれ木と共にあったはずで、入手し難い石と違い木器の利用が高度に発達していただろうと考えられます。もちろんそれは海や川周辺の生活にもいえることですが、いずれにしろ日本列島に暮らした祖先たちは、渇いた大地に暮らした他国の人たちとは自ずから食、衣、住居、風習、果ては精神性まで異なるものを創出してきたと想像できます。


私はそれらを「風土」と呼んでいます。
風土は圧倒的なエネルギーで生物に決定的な影響を与えます。
それは皮膚の色から言語、衣食住、宗教に至るあらゆるものの根源となるものです。

和辻哲郎は、「風土」は単なる自然現象ではなく、その中で人間が自己を見出すところの対象であり、文芸、美術、宗教、風習などあらゆる人間生活の表現が見出される人間の「自己了解（じこりょうげ）」の方法である、といっていますが、この日本列島に住んでいる人たちばかりか、凡て地上に住んでいる人たちは、この「風土」によって「自己了解」し、風土こそがあらゆる生き方の根源となっているといって過言ではないと思えます。


森林に囲まれて生活を営んできた日本人は、永く木器時代を過ごしてきた人たちに違いはなく、私はその子孫のひとりに違いはありません。

先日、飛騨一之宮水無神社の御神木の大樹の下で、歴史にいう旧石器時代の表記は世界的な基準であっても、日本には旧木器時代の表記を加えてみたいと思いました。
我が国では、その木器時代が営々と５０万年続いているような気がした神社の御神体である位山の麓の祭事と、御神木でした。

（飛騨一之宮　水無神社　御神木）





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　









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         <pubDate>Sun, 23 May 2010 00:24:56 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>ＬＥＤ</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10513.jpg"><img alt="HP-10513.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10513-thumb.jpg" width="220" height="276" /></a><strong>鮮やかな光があるがよしといえ
妙なる灯りの陰も愛しき
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

和蝋燭には匂いがあります。

12月から2月の寒夜に「夜咄（よばなし）」という茶事を催すことがあります。その茶事の主役は灯火で和蝋燭（わろうそく）です。

4時間の茶事に照明として使われる蝋燭の炎は、人の表情を妖艶に変え、黄金の色の妖しさ存在感のある美しさを見せるなど、数々の幻想的な情景を伴った別世界を創出させます。

この情緒は現代生活には望むべくもないものですが、灯りを、という生活が生み出した先人の情感の鋭敏さにはただ驚くばかりです。


現代の灯りの主流はＬＥＤ（発光ダイオード）になりつつあります。

ＬＥＤは自動車を始め、信号機の青、黄、赤の光源や、電光掲示板やＩＣ機器、通信など、光りというものの全般に使われています。


人類が生活を始めた頃からの明かりの変遷は、太陽や月の自然光から火によるもの、篝火、灯火、 和蝋燭から、ガス燈、白熱灯、蛍光灯、ＬＥＤなどに変わってきました。それら灯りをみてくると、その時代時代の情緒的変遷を見る思いがします。

省エネや環境に配慮するという時代に遭遇している私は、このＬＥＤに象徴される文明の利器に対抗する術はありませんが、「夜咄の茶事」の和蝋燭などには、この利器では達成できない情緒があると思っています。

和蝋燭の炎が生み出す陰影と匂いには、陰影が人間の精神に与えるものの存在を感じることができます。またそこに神仏を観ることすら可能に思います。

昨今は、はっきりものを言い、自説を押し通すことが善しとされ、人間の器である建築に至っては、凡てがガラス張りのように陰影を失くすことが流行りのようになっています。まるで日焼け美人が健康的であるかのような風潮といえます。人間は一人になって泣けるような暗がりが必要と思うのですが・・・。
現代建築には「陰影礼賛（いんえいらいさん）」というような繊細な日本的情緒を感じさせる空間創りは要らなくなったのかも知れません。


私は今、ＬＥＤを使った照明器具を設計しながら、新たに文明の利器が開発され、それが多用されるようになった時、今まであったものの周辺に寄り添っていたはずの情緒や行為がなくなる不安にかられていました。それが先日、飛騨古川町で和蝋燭作りの実演を見ていた時、自分も未だに和蝋燭を使っている不思議さに気付き、これからＬＥＤを私の好む情緒の匂いで包むようにしてみようとの思いに至りました。


湯船に浸かりながら和蝋燭の炎を観ていたら、人間はどのような時代になろうと太陽や月や星がある限り、自然の営みとの接点を失くすことはないだろう・・・。そんな思いが湧いてきました。
多分、先人もそう思ってきたのだろうと。

（飛騨古川町　和蝋燭作り）





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　









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         <pubDate>Thu, 13 May 2010 11:04:14 +0900</pubDate>
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         <title>心柱</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10224.jpg"><img alt="HP-10224.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10224-thumb.jpg" width="200" height="300" /></a><strong>宙に浮く如きの太き心柱
十方にそのすがた変じて
</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

五重塔の心柱（しんばしら）は古色壮麗でした。

京都の東寺（教王護国寺）の五重塔は寺の象徴として広く知られ、総高５５ｍの現存する日本古塔中最高の塔です。
国宝であるこの塔は天長３年（826）空海（弘法大師）の創建着手にはじまりますが、その後焼失すること４度で、現在の塔は寛永２１年（1644）三代将軍徳川家光の寄進によって造られた５度目のものです。建築的な様式は「和様（わよう）」というもので、江戸初期の秀作といわれています。


何度も機会を逸してきましたが、先日、初層（１階）内部を拝見することができました。
写真や映像で見るものとは違い、圧倒的な荘厳さでした。


日本人は神に「再生」を、仏に「死」を観ている人々だと思えますが、その根源は「生者必滅」で、生きるものは必ず死ぬという想念のようです。
生物は必ず死ぬ定めにあり、それ故に生ある限られた時間をいかに過ごすかというのが人生最大のテーマになるわけです。
それが宗教を、神仏を生んでいるということになるのでしょう。


東寺の開山である空海は、釈迦の墓である５重の塔の初層に壮麗な装飾を施し、その須弥壇（しゅみだん）上に阿閦如来（あしゅくにょらい）、宝生如来（ほうしょう）、阿弥陀如来（あみだ）、不空成就如来（ふくうじょうじゅ）の金剛界四仏と八大菩薩を配しています。

須弥壇を囲む４本の四天柱の中央に塔の高さ５５ｍを貫く心柱が建っています。
心柱は真言密教の最高仏であり、宇宙の中心である「大日如来」とされています。


地震国日本で、木造高層建築であるこれらの塔が倒壊したという記録はないようです。
塔は地震の際、大きく揺れても各層ごとの接合部で地震のエネルギーを吸収し、ヤジロベーのようにバランスするようになっています。
その中心を成す心柱は塔の中では周囲に拘束されず独立して建っています。
今でいえば１２、３階にも匹敵する高層建築。世にも「不思議な木の建築」を支える中心となるものです。
この塔も戦火と落雷による焼失で、何度も遭遇している大地震には耐えています。
木造の塔は、我が国の耐震構造建築の鏡といえるものです。



先人は、繰り返し起きる大地震に対抗するのではなく、その自然の計り知れないエネルギーに沿い調和することによって、大災害を防いできたのだと思います。
そして地震災害時の復旧の早さに於いては世界に類を見ない国です。各国の災害後の歳月をみればそれが分かります。
日本には、地震国に住む先人の英知が結集されています。


心柱は地震や風圧に「和するため」に開発された先人の知恵だと思います。
我が国は地震を抱えた、一見不利なお国柄のように思われますが、いやいや、それが世界に類を見ない地震災害対策先進国を造っていることになっているのです。


その日私は、極彩色であったであろう心柱の大日如来を拝し、そこに平安時代の空海の将来した新しい仏教と、「和の心」を精神の柱としてきた日本人のすがた・かたちを観ていました。

宇宙のすがたをそこに観て、造営に携わっていたであろう工匠たちのことも。

(東寺　五重塔初層内部）





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　









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         <pubDate>Sat, 24 Apr 2010 19:50:27 +0900</pubDate>
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         <title>飛騨一之宮</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10411.jpg"><img alt="HP-10411.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10411-thumb.jpg" width="200" height="260" /></a> 





<strong>古の日抱きの地をば訪れて
いにしえひとに何かたずねむ</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

飛騨一之宮は岐阜県高山市の水無神社（みなしじんじゃ）です。神社のご神体は南西に位置する位山（くらいやま）です。

この地は縄文晩期、乗鞍の麓に居住していた原日本人天孫族が気候の寒冷化で山を降り、代々皇統の住まいとした宮村という地域といわれています。宮とは尊いお方の住まいという意味があります


飛騨の口碑によると、位山は位山命（クライヤマノミコト）から続く皇統が眠る聖なる山で、その３５代に伊邪那岐命（イザナギノミコト）が出て、長女のヒルメムチ命が後の天照大神（アマテラスオオミカミ）とのことです。ヒルメムチ命の母の伊邪那美命（イザナミノミコト）は政略結婚で出雲族の出と伝えています。

縄文時代に宮村があった周辺には、水無神社始め今に息づく古代飛騨の歴史が息づいているようです。

天照大神誕生の地で、出産時の胞衣（えな・胎盤）を埋めた荏名（えな）神社。縄文晩期まで飛騨の中心だった丹生川村。高天原といわれた安川原（やすかわら）。祝詞に出てくる「アワギハラ…」の淡木原。高根村出土の２万年前の石器。位山の歴代の墓所の通称「天の岩戸」と呼ばれる巨石群。二千年来、天皇の即位式に飛騨位山より位板（笏木　しゃくぎ）が献上され続けている。そして飛騨の語源となったという「日抱宮（ひだきのみや）」。

日抱宮は当時の縄文人が先祖を拝み、大自然に感謝して池を囲み、水面に映る太陽や月の光を正視し、心を鎮めた「日抱き御魂鎮め」の儀式を行う地だったといいわれ、現在も十数社残るようです。丹生川中心に栄えた縄文期の鎮魂の儀式が「飛騨」の地名に残り、それが「肥田」や「樋田」などの名字や地名として全国に広がったようです。


水無神社は御歳神、天火明命とも１６柱を水無大神としてお祀りしています。
創祀の詳細は不明（史上に表れるのは平安初期）で、鎌倉時代には水無大菩薩と称し、近世には水無大明神・水無八幡宮と称していたと記録に残っています。


位山は、古代から川の水源（水主）の神の坐す霊山と仰がれ、「水無」は、「みなし」「みずなし」とも読みますが、水主（みずぬし）の意味のようです。


私は、近々この水の主を訪ね、縄文期に吹いたであろう風に会ってみたいと思っています。
私の一之宮遍歴は、まだまだ続きそうです。


（飛騨　位山）






　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　









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         <pubDate>Sun, 11 Apr 2010 15:26:42 +0900</pubDate>
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         <title>共有する「知」</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-10402.jpg"><img alt="HP-10402.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-10402-thumb.jpg" width="200" height="266" /></a>





<strong>共にする民人の「知」の諸々は
茶の湯の華と咲きて散るなし</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

文化とは、社会の人々が共有する「知」が目にみえる形になったものをいいます。

それは言語、習慣、立ち居振る舞い、技、あるべきとされる物の姿、歌われるメロディーやリズム、色彩感覚などを指し、 そこで生まれ育ち、ともに生活することによって人々との心に共有された知識や技術や感覚をいう、と考古学者の鈴木武彦は述べています。


私は、日本文化とは何か、と問われると、古神道、日本仏教、皇統（皇室）の三つを挙げ、そこに茶の湯を付け加えることにしています。

古神道は縄文期以前（５万年前頃か）から続く精神性を指し、呼称は神道より「ヤマトゴコロ」というような自然共生観念に近いもので、日本人の精神性の根幹を成すものです。

日本仏教は、インドに発生したインド仏教が中国や朝鮮を経由して渡来し、２千５百年の時を経て、日本独自の仏教に変化してきたものをいいます。これも私たちの精神性を形作っているものです。

皇統（スメラミコト）は現在の皇室に繋がる縄文時代からの天孫族系統のことです。
ここにいう皇統（天皇制）は日本人が独自につくりあげ、縄文時代から精神の柱としてきたものです。

私は、これら三つが日本文化の特質を現わしていて、これらが現代の日本人の文化構造の基をなしていると考えている一人です。

そこに茶の湯を付け加えるのは、社会の人々に共有された「知」が目に見える形になるための茶の湯に親しむ人々の数、つまりその「知」共有する人々が少ないということです。

しかし、その茶の湯には日本人の文化のすがたかたちが明確に組み込まれています。それも宗教、文字、言語、演劇、芸術、工芸、建築、風俗、習慣、娯楽、食事などに至るあらゆるものが「知」の結晶として儀礼儀式化されています。
茶道とも違う茶の湯こそ、普遍的な日本文化の華といっても過言ではないでしょう。

私は長いこと茶の湯に魅されてきましたが、未だにそれは色褪せることはありません。むしろ年齢と共にその思いが強くなってきたように思います。


４月１８日（日）の春の盛りに北鎌倉で茶会が催されます。
次代を担う青年が初の席主を務めます。茶の湯人の誕生といってもいいでしょう。

私は客のひとりとしてその一時を過ごしたいと思っています。
茶の湯の深遠さに浸りながら……。

（京都　醍醐寺の桜）






　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　









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         <pubDate>Fri, 02 Apr 2010 10:43:28 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>縄文のビーナス</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.wanococoro.org/images/HP-1024-1.jpg"><img alt="HP-1024-1.jpg" src="http://www.wanococoro.org/images/HP-1024-1-thumb.jpg" width="200" height="292" /></a>





<strong>縄文の麗婦にのこる紋様を
文字の象（かたち）と驚きて見ゆ</strong>





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

「縄文のビーナス」は美しいすがたでした。

この大型土偶は縄文中期（5000年～4000年前）のものといわれ、1986年に八ヶ岳山麓の長野県茅野市にある棚畑遺蹟から発掘されました。

当時の集落は、広場を中心にして環状に作られていることが分かっていて、この土偶はその広場の中の土坑と呼ばれる小さな穴の中に横たわるように埋められていました。


顔はハート形のお面を被ったような形をして、切れ長のつり上がった目、小さなおちょぼ口などで当時の美人顔を彷彿とさせました。また，耳にはイヤリングをつけたかと思われる小さな穴があけられていました。

腕は左右に広げられて手などは省略されていて、胸は小さくつまみ出されたようにつけられているだけですが、その下に続くお腹とお尻は大きく張り出し、妊娠した女性の様子をよく表していました。
像の全長は27センチ、重量は2.14キロで、頭は頂部が平らに作られ、円形の渦巻き文が見られることから、帽子を被っている姿とも髪型であるともいわれています。文様はこの頭部以外には見られませんが、私はこの紋様にくぎ付けになりました。実物を見て驚いたのです。


この紋様はどこかで見たことがある気がして、早速、調べてみました。

見たことがあったのは縄文人だったというアイヌの民族衣装を纏った古い写真でした。縄文のビーナスの頭に被っているものとアイヌの正装衣装の紋様が重なって見えたのです。
縄文人には文字はなく、アイヌ族も文字をもたないといわれてきましたが、なぜあのような不可思議な紋様があるのか、興味は増すばかりでした。


最近の研究では縄文人は思いのほか高度な生活習慣を身につけていたことが分かってきています。ビーナスの紋様は私の歴史認識に大いなる夢をもたらしてくれることになりました。
そして、我が国の古代文字といわれる『秀真伝』、『カタカムナ文字』などにはいまひとつ信をおくことはできませんが、ここに描かれた紋様（絵文字）は、１万５０００年も前から使われていた古代文字の存在を、圧倒的な説得力をもって知らせてくれたようでした。

像は丁寧に作られていました。表面がよく磨かれて光沢があり、粘土は雲母が混じっているようで金色に輝いていました。神々しい国宝のすがたでした。　


この土偶は私たちの先祖の象であることは間違いありません。そして私たちもまた、後の世の人たちの先祖となります。








　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　









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         <pubDate>Fri, 05 Mar 2010 23:16:36 +0900</pubDate>
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