「大きな私と小さな私」
通信 -004
「大きな私と小さな私」
代表 長津 喬
高校生の頃、夏の甲子園大会の県予選が始まる前の合宿に、かなりの数の先輩がやってきて、我々現役の野球部員に技術と精神両面の指導をしてくれました。
その先輩のひとりから聞かされたのが上記のことばです。
勿論そのときは、野球の上での指導だと受け止め、個人の技倆の向上とチームワークの大切さを言ったものだと解釈していました。
社会人になり、結婚したり子が出来たり部下がつくようになると、このことばがやや違った色相(いろあい)を帯びてくるようになりました。単なる野球の上の意味ではなく、もっと広く深い中身を伴ったものであると。
日々の暮らしの中で、自分(或いは自分の家庭を含めても)の利益、損得を優先して生きるか、会社や地域、この国ということを常にこころに留めて自らをどう生かすかと考えている人間とでは、10年20年の単位で見ると、かなり違った人間性がつくられるような気がします。
善(よ)いとか悪いとかではなく、その人の人生の選択の結果だと思います。どちらの選択をしてもその結果に悔いないことだと思っています。最も悔いる人生とは、大きくも小さくもない私、を選択した人であるような気がしています。常にその挟間で苦悩して時が過ぎて行くように思うのですが…。
立春を迎えました。いま、自分が居る位置も、あとから来る人達の為にすっと渡してやれる年寄りに憧れています。
” 春立ちて やおら腰上げ 冬発ちぬ ”
(2009・2・5)