ギャラリー珎玄齋 オークション出品履歴

オークション出品 12/18~12/24

 

№ 1040 ミャンマー・緑釉線刻鳥形花入15~16世紀

白釉緑彩陶は「緑のやきもの」と呼ばれ、近年タイ北西部オムコイやチェンラーイ近郊で多く出土した。
産地はミャンマーかタイのペグー近郊とされたが、正確な制作窯と年代が解明されていないため幻の緑彩陶といわれている。
この陶器は、下絵付けではなく上に掛ける釉薬の中に浸み込ませて絵を描くとの説が有力だったが、出土した壺の一部に下絵が描かれていたことから下絵の上に錫を含む鉛釉を掛けていたことが判っている。
錫を含む鉛釉はイスラム陶などに見られる。
白地と緑のやきものは他に類がなく、雅拙味に富んだ文様とともに注目されている。
出土した中では単色の緑釉のものは少ないようだ。

作品説明
時代 15~16世紀
1999年 オムコイ出土品
赤味の強い瓶の器体の上部を鳥形に仕上げ、下部は線刻で文様付けている。
緑釉は上部に行くほど厚く掛け、掛け分けのような雰囲気になっている。
永く土中にあったとは思えないほど緑釉は綺麗に残り、光沢を見せる。
緑釉で彫のあるものは少なく、碗やこの種の花入など10点ほど見ている。
底には窯キズがあり、使用には繕いが必要であるが完品といえる。
実際の用途は水注の可能性もあるが花入とした。
ユニークで希少な茶道具としてもおすすめできる。
洗浄済。

サイズ  口径:5.1  胴径:11.4   高さ:19.4センチ

 

№ 1036 タイ・サワンカローク白濁釉褐彩人物像15~16世紀

サワンカロークは、現在のタイ中部スコータイ県、サワンカローク地方にあった古窯名から呼ばれるタイ陶磁器の名である。
スコータイ王朝の衛星都市として発展し、13世紀ラームカムヘーン王時代に華僑によって、陶磁器技術がもたらされ窯業が盛んとなった。
日本では戦国時代や江戸時代に輸入され、茶人に宋胡録(すんころく)と呼ばれ珍重された。
この地方で作られた焼物は13世紀末から15世紀頃に掛けて焼成され、一部の合子など小品類は16世紀頃まで作られていたといわれる。
作品説明
時代 15~16世紀
オムコイ出土品
白濁釉褐彩の小品類の中でも数の少ない人物像。
愛嬌のある顔で背中が大きく張り出ている。
右手には団扇のようなもの、左手に穴の開いた器を持ち正座の姿をしている。
類品は幾つか見かけたが、大小があり、この像は大の類。
お守りや玩具として作られたといわれるが、造形的に存在感のある作品といえる。
後ろ姿が印象的である。経年変化による風化があるが、良品といえる。
水洗浄済。

サイズ
タテ:7.8  ヨコ:8.1  高さ:10.8センチ

 

C81 タイ出土 中国明・色絵鶏雲花文碗15~16世紀

色絵とは、中国で興った陶磁器の加飾法の中の五彩(日本の色絵・赤絵)磁の一技法。
あらかじめ染付によって釉下に文様の輪郭を描き、施釉焼成ののち、染付の輪郭線に従ってふたたび各種の上絵の具を賦彩する。
絵付文様はていねいで気品の高い表現となる。
この技法は初め明の成化年間(1465~87)に景徳鎮窯で試みられて成立し、明王朝下の歴代の官窯でもつくられた。これを豆彩という。
景徳鎮窯のいわゆる成化の豆彩はその遺品がきわめて少なく、17世紀以降の清朝になってから一躍人気を高め、その声価は今日に至るまで衰えない。
盌、壺、瓶、馬上盃などの小型のものに優品が多い。
清朝官窯では雍正年間(1723~35)に成化の豆彩の倣作のほか、まるで色と色とが競い合うような濃彩の豆彩をつくりだした。
これを闘彩と分類している。
わが国では佐賀の鍋島藩が色鍋島と俗称される精妙な彩磁を豆彩と同じ手法でつくりだしたが、これは中国の豆彩に倣ったものではなく、藩窯の独創とされている。

作品解説
時代 15~16世紀
タイ・オムコイ出土品
薄作りで緊張感の漂う美しい姿の碗は、明代成化期の景徳鎮作品の豆彩と考えられる。
染付の発色も透明感があり、釉薬も均一で、焼成後に赤絵で鶏や花、雲を描いている。
作り、絵付けの作陶技術は高度で品良く、景徳鎮磁器のひとつの到達点が見て取れるようだ。
長く土中にあって赤絵部が少し褪せている。
内側見込み底と高台内に出土時の土を除く際に付けた微細な擦り線がある。
高台内には砂が混入し、当時の焼成法がうかがえる。
口辺に僅かな歪みがあるが完品といえる。
洗浄済。

サイズ 径:13~13.9  高さ:7.1センチ

 

C82 タイ出土 中国明・古染付象形変形大皿17~18世紀

古染付は、中国の明朝末期に景徳鎮窯で焼かれた粗雑な青花磁器。
古染付の呼称は、日本で近代になってからのもので、江戸時代には南京染付といわれていた。
古染付のものは2種に大別されるという。
その一つは碗、皿、鉢などの日常食器であり、造りは薄手で、見込にはいかにも飄逸、軽妙洒脱な絵模様が描かれているのが特色で、この文様に魅力を感じた江戸初期の茶人が、景徳鎮窯に水指、花入、向付、鉢、香合などを注文し作られたのが、粗厚で風韻のある古染付で、いまひとつは明の天啓年間(1621~27)に焼造された優品とみられていた。
近年、タイ西北部より染付や赤絵が発掘され、その量と質により、また田杭窯の調査などにより、古染付系のものは景徳鎮や福建省漳州などから、主として東南アジアに輸出されたもので、日本へ将来された江戸期の古染付類とは別の「東南アジアに渡った古染付」があると考えられるようになった。

作品解説
時代 17~18世紀
1999年 メソート出土品
ユニークな象の形をした大型の古染付変形皿である。
この種のものには他に鶏や、蝉、蝶、紅毛人などがあるが、いずれも雅拙味の溢れるデザインのものだ。
象のデフォルメされた造形は斬新で、現代に於いても新しい。
経年のため僅かな風化や薄いシミがあり、高台周辺と内に出土時に土を取る際に付いた微細な擦り線があるが、欠けもなく良品といえる。
デザインの優れていることもさることながら、この象にどのような料理を盛り付けたのか興味が湧く。
胎土、釉薬、作りなどから景徳鎮民窯作品と考えられる。
洗浄済。

サイズ  タテ:19.5  ヨコ:28.1  高さ:5.0センチ

 

 


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2017年12月17日