長津代表よりメッセージ
長津代表よりメッセージ
11月29日(日)MOA美術館能楽堂ライブを主催する、
和の心にて候グループの長津 喬代表からメッセージを頂きました。
いよいよ祭事に向けて本格的に始動開始のようです。
宜しくお願いいたします。
同じ駅から同じ電車に乗り、同じ学校に3年間通い、その後10年を経て28才で再会したとき、その10年の歳月の空白に驚嘆した。
当時、我々の世代のひとつの“大人”の基準として「禅的なもの」があったように記憶しているが、この点における彼我の差をこれ程痛感させられたことはかつてなかった。彼は猛勉強していた。
美へのエネルギー量は凡夫には及びもつかぬ程であり、書画、篆刻、文章から茶の湯に至るまで凡ゆる才能を天が賦えたのではなかろうか、と打ちひしがれた。
つまり、当時互いに携えていた目に見えぬ刀の切れ味の余りの違いに茫然自失させられたのである。一体、私のこの28年間は何だったのか、と。
その頃の私の目には、彼は遮るものとてないモンゴルの草原を馬でひた走るチンギスハーンのように映っていた。
案の定、岐阜の臨済宗の僧堂である瑞龍寺や伊豆天城の森の植樹祭における両陛下のお野立ち所といった、歴史に残る建築の設計も手がけ、社寺建築家として揺るぎない地歩を築いたが、興味を覚えるのは、むしろそのような表向きのことよりも、何故ひとのこころをギュッと鷲掴みにするようなことに彼のエネルギーが向かうのか、ということである。
彼の言動に接していると、年と共に古い時代や日本に目が向いているように感じられる。日本、日本人の基(もとい)を尋ねる旅をしようとしているのではないか。
それを型・形にしてこの国の文化を表わし、次世代の若人達にそれを伝え、歌舞音曲で多くの人々に楽しんで貰おうとしているのも、日本とは、日本人とはという問いに、あるひとつの答えを見出したせいなのだろう。
同じ年に同じ地に生れ、同じ海を見、同じ空を眺めて育った彼、太田新之介君が見出したであろう、あるひとつの答えに多くの人々が共感を覚えて戴けるよう努めることが、同胞としての役割であろうと肚に決めている。
(2009・5・16)