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和の心は
伏流水のように滔々と流れる瑞々しくも美しいエネルギー

fukuryushui.gif 「和の心」とは何でしょうか。
 私にはいつも「環(わ)の心」という文字が重なります。
 それは、生きとしいけるもののすべてが連鎖しているという、大いなる自然界(宇宙)の運行の環というイメージです。
 我われの祖先は、人間を自然界の一部のものとしてとらえ、小さな生きものだけでなく、雲や風、草木や水や岩石までも皆同一のものという考え方をしてきました。皆で大きな輪を形作っている地球上の同じ仲間という考え方です。そして和は、和(なごむ)という優しく穏やかな人の交わりを連想させます。
 また「和の心」は先人によって永い時間積み重ねられてきた「かた・かたち」にあると思っています。その「かた・かたち」は今日では「道」と名の付くものに息づいています。
 書道、茶道、華道、香道、剣道、柔道、芸道などと称されるものですが、先人は「道」と付く様々な型をつくり、そのひとつひとつの形の中に意味を見て、明日を生きぬく精神力や、生活の糧と術(すべ)を創ってきました。これは優れた日本民族の特質に他なりません。和(なごみ)の生活をするための智慧の結晶といってもいいでしょう。
 昨今は、あらゆる分野で国際化やハイテク化がすすみ、その歪みとして我が国の固有の文化や伝統が失われ、先人が、日本人が持っていた生活の基軸となるような情緒や、もののあわれを感じる心もなくなったといわれます。また事件や事故が起きるたびに心の荒廃や教育の問題をいわれます。
 果たしてそうでしょうか。
 私には、我われ日本人の血潮の中に、もののあわれを感じる心や人を思いやる美(うるわ)しい心が滔々と流れていて、伏流水のように外から見えないだけではないか、と思えるのです。ならば、人を楽しくさせる歌舞音曲と「かた・かたち」で和の心の呼び起こしをしてみよう。伏流水を目に感じる湧水にしてみたい。そう思いました。
 去年の十一月、私は上野の奏楽堂で「和の心にて候」というライブの企画・構成・演出をしました。そのライブの興奮が、旧友との出会いで甦り、その機会がまた巡ってきました。場所は湯のまち熱海です。熱海は私の故郷です。友人やアーチストたちの協力を得て、次代を担う子どもたちにも、日本の良さや素晴らしさを伝えたいと思いました。
 幸い会場となるMOA美術館の温かいご理解を頂き、「和の心にて候in熱海」というイベントを開く運びとなりました。能楽堂でのライブやトーク、茶苑での瑞雲茶会などを通し、日本人で良かった、と肌で感じて頂ければ幸いです。
 錦秋の熱海でお会いできるのを楽しみにしています。

(太田新之介 「和の心にて候in熱海」企画メモより)