日本のすがた・かたち

2012年01月01日
謹賀新年

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今あることに

あなたと在ることに

“ありがとう”

今年もどうぞよろしく

2012年   元旦


2012年01月03日
お正月さま

HP-0103-3.jpg眼に見えて
仏のかたちそこここに
神のすがたの
無きが不思議や


お寺に行けば本堂に必ず御本尊の仏さまがいます。
神社には祭神の神さまのすがたはありません。


仏教には仏のかたちがあり、神道に神のすがたはありません。
かたちを頼りにした信仰と、見えぬすがたを想像するふたつの信仰を我われ日本人は有しています。

ゆく年に除夜の鐘を打ち、来たる年に見えぬ神のすがたに願いをかける。
私は長いこと、日本列島に住む人々の年末年始の行動を不思議に思わず、子どものころからそのようにしてきました。


今年は思うところがあって、三日前の大晦日に京都知恩院の除夜の大鐘を聴き、その足で隣接の八坂神社に初詣をしました。
その時の同行の士のほとんどは同じような行動のようでした。
待たされたその動かぬ群衆の一人として寒空に立ちながら、なぜ先人はこのような風習を作ってきたのか考えました。

HP-0103-2.jpg一時間以上動かない大衆の中で、我われの先祖はj縄文以前より、目に見えぬものの存在を畏れ、目に見えるものにより我が身のすがたを重ね見たのではないか、と思うに至りました。
そして、二つの眼でものごとを観る智慧を、営々と積み重ねてきた結果の産物ではないか、との考えにも至りました。非現実と現実との融合です。

この列島に暮らすものから、この神仏というすがた・かたちの二つの存在が最も心身を安寧に導くものとして支持され、それが行動となって今日に至っていることに違いはないようです。


それにしても、この寒空の中で佇み発揮される即席の信仰心。
万人に訪れる「お正月さま」。

無理なく先人を敬うようになるお正月さま到来は、列島の気候風土に添って生きている証が目に見える節会のように思います。

(写真 上「知恩院」 下「八坂神社」)


2012年01月29日
建設資材

HP-0129.jpg                                                               建設資材とは、コンクリートや木材などの主要建設材料のことです。

ここに至って、建設資材として使用された砕石が放射能に汚染されていることが判明し、大きく社会問題化してきました。
砕石ばかりでなく、土木建築に使用するコンクリートをはじめブロックやコンクリート二次製品、道路、公園用資材、木材に至るまで、その汚染範囲の広がりが分かってきました。


福島原発事故による放射能汚染範囲のすべての地域に不安は存在します。
目に見えないセシュウムなどの放射能物質が、風雨に流されやがて下水の汚泥として各地の最終処理場で焼却されます。これが焼却汚泥です。

資源リサイクルの観点から、焼却汚泥はセメントに重量比で3パーセント混入され、セメントとして流通します。これが去年の3月11日以降、全国に運ばれた可能性があります。


ウイルスなどと同じで、目に見えないものが一度広がると思いもかけない実害と社会不安を引き起こします。
対処方法はただひとつ、汚染材料を使用しないことです。
建設資材の場合は事前に放射能測定することしかありません。
これから各地で汚染建物が出てくる可能性があります。
そして、誰がその責任を負うのかが問われることになります。

現代社会の構成上、その最終解決はお金になります。となると、国や企業が責任はとっても、最終の始末は電気料金や税金ということになり、国民ということになります。

災害は誰のせいでもない、その災害に遭った時代の遭遇者たる国民が、そのすべての復旧や復興を担うことになるのです。


次代に遺すことができるひとつに教訓があります。
比較にはなりませんが、日本人の災害復興の早さは目を見張るほどのものです。
ただ、この災害によって得た教訓を正確に次代に伝える智慧を発揮することが肝要です。


先人はこの日本列島に棲むようになってから、このような思いで繰り返し、繰り返し次代に伝えてきたはずです。
現代に生きる我われは、その智慧の蓄積の上に生活していることは間違いのない事実です。


仕事柄、放射能汚染対策に追われている昨今、よく海を見ながら、遠く縄文時代から大災害に遭遇したであろう人々に思いを馳せています。


(資料 放射能による環境汚染情報サイトより 「収まらない放射能汚染 関東各地・・・」 )