日本のすがた・かたち

2010年08月03日
湯帷子

HP-1083.jpg着ることの床しさ巡る白浴衣
秋立つ頃の夏のまつりに

                                                            

浴衣の起源は平安時代といわれています。

当時の貴族が蒸し風呂に入るとき、水蒸気でやけどしないように着た「湯帷子〔ゆかたびら〕」がはじまりとされています。

帷子〔かたびら〕とは麻の着物のことでが、その時代、綿は高級品とされたため、装束の下着となる薄い着物は麻で作られていたといいます。

江戸時代後期になって、綿の生産量が高まり庶民に普及するとともに、湯帷子の生地も麻から綿に変わり、また、銭湯の普及にともない着用の場が増えたため、略されて「ゆかた」と呼ぶようになったようです。
現在では和のファッションとして外国人にも人気があるようです。


今年の暑い夏は、若い女性の浴衣姿が多く見られ、カラフルな夏の和装は新たなブームとのことです。
戦前までの浴衣の色は、昼間は「白」、夜は「紺」が主流だったようで、白は涼しげで、紺は藍染めのため、虫よけがその理由でした。

私の浴衣は、白地に蚊絣(かがすり)の麻(上布)に絞りの兵児帯、桐下駄が定番で、高校生の頃から好んで着ていました。

日本の夏の浴衣には平和の時間(とき)を感じさせるものがあります。
夏祭りや、花火、夕涼み、風鈴、団扇、蚊取り線香、蚊帳、西瓜、天の川、お盆の迎え火など、夏の風物詩は外気といつも一緒です。
浴衣は外気に似合います。
クーラーの中では似合わない浴衣に、何か日本に住む私たちが忘れてきたものがあるかも知れません。


人間が身にまとう衣服は、時代の背景や思想、歴史をはらんでいます。戦時中には戦時中の浴衣の着方があったはずで、現代のようなニューファッション的感覚で着ていたのではなかったと思います。


お盆や、8月15日の終戦記念日が近くなると、私は、浴衣を着て夏を過ごせる平穏な日本の国の有様を思います。
そして、先人の恩恵に浴し、その上に成り立っている今に感謝しています。

(幕末期のお盆の迎え火)

                                                                                                                                                                                                                            

2010年08月13日
1945

HP-10813.jpg陸と海
空の果てにと戦いて
沈む夕日に何を祈らむ

                                                            

「お前は戦争に行ってないだろう」

20代の頃、中国で転戦してきた人にそう言われたことがあります。
その時は、(終戦の年に生まれたのだから行きたくても行けないんだ……負ける戦争をしたのに)と、内心思ったものでした。

その人は今の人たちは平和に暮らしているが、それは俺たちの犠牲の上に成り立っているのだ、だからもっと戦地に赴いた者を敬い、大事にせよ、と言いたかったようです。


幼い頃に毎日というほど見かけていた傷痍軍人(しょういぐんじん)の姿も疾の昔に消えました。悲惨の一語に尽きる太平洋戦争の痕跡も、広島、長崎に投下された原子爆弾を除き、やがて往時の人々と共に歴史の彼方に消えて行くはずです。
かつての古代ローマ帝国の戦争も、三国志の戦いも、2度の元寇も、悪夢のような第2次世界大戦も、そして昨今の自爆テロも、これから300年先の記録に残る保証はありません。


戦争には勝者はない、と歴史は教えています。

戦争体験は、その国における歴史的な認識において語られ、どちらが勝者か、ということも微妙に判断が分かれることになります。戦争には一方的な勝者は存在せず、その折々の考え方、捉え方ということになりそうです。これは、人間の幸不幸の分かれ道が、その人間の心の有りようで決まって行くことと同じと言えそうです。


若い頃の私は、戦争については教えられることばかりで、自ら考えることができませんでした。その原因のひとつに、人間の実相についての考えがありました。

人間は事故や不幸がある度に、必ず「二度と繰り返さない」と言ってきました。しかし過ちを繰り返して行くのが人間の実の相8すがた)であり、人々は繰り返すことを知っているからこそ願いを込め、その発言になると思っていました。

戦争に遭遇していないものにとっての戦争は、想像以外のなにものでもなく、ただ、生き残った人たちが語り継ぐものでしか体験できません。
それぞれの民族が語り継ぐ戦争と言う「負の遺産」、そして社会の人々が共有する“知”がかたちとなったものの“文化”という「正の遺産」、いずれも次代に伝り語り継いで行くべき「正と負の遺産」といえます。


原子爆弾の出現が、殺戮の兵器に止まらず、まるで恐竜時代に飛来した巨大な隕石のように、人類を滅亡させる可能性を示唆しています。
この抑止力は人類にとっていかなる結果をもたらすのか。
日本人特有の抑止力である、「和を結ぶちから」。
私は、これが発揮される時代がそう遠からず来ると思っています。


終戦記念日を迎えようとする日、私はお盆の迎え火を焚き、先祖や両親をはじめ有縁(うえん)の人たちの御霊に花を供え、過ぎ越し日々を思い起こします。

(今朝 開いた白蓮)

                                                                                                                                                                                                                            

2010年08月18日
多様列島

HP-1018.jpg何もかも
生きる望みとなるものを
今を生きなむ星にまたたく

                                                            

日本列島近海で見つかった海洋生物は約3万4千種とのことです。


未確認の新種を含めると、総種数は約15万6千種に達するとみられるとのことです。
その調査結果を、海洋研究開発機構や東大、京大などのチームがまとめ、8月2日付の米科学誌プロスワンに発表しました。
日本以外の海域で確認された生物種は、オーストラリア近海が約3万3千種、中国が約2万2千種、米カリフォルニア州沿岸が約1万種などとのことでした。


日本列島の豊かな生態系について、チームは、凹凸の多い沿岸地形や太平洋側の沿岸域で黒潮と親潮がぶつかり合うなどの複雑な潮流、流氷の到来する寒冷からサンゴ礁が育つ温暖まである気候の多様さが寄与していると分析しています。そして、さらに約12万2千種が見つかる可能性があると推計しています。


人間を含め、この日本列島に生息する空中、地上、地中、水上、水中生物の多様性はその海洋生物の種の比ではありません。
列島に住むヒト(新人類・ホモサピエンス)も、五万年前から大陸との混血が始まったといわれています。現在の日本人の顔つきを観察してみると、その風貌は多種多様で、いかに世界的混血人種なのか理解できます。


日本列島は複雑な地形の上に多様な気候、そこに棲息する多様な生物。
多様で繊細な精神構造を有するヒトの群れ。世界の人々のお手本にされる生活をしている日本人がそこに住んでいることになります。
そして、列島に棲息する生物には、必須の食物を初め、薬効のある微生物まで凡てのものが具わっているような気がします。
そしてまた、この列島は、世界に稀な平和な国土でもあります。


はっきりしない国の方針も、ねじれ国会も、強い指導者不足も、TVの低俗バラエテイ―番組も、マスコミに扇動される国民性も、果ては自殺者の多さまで、凡そ現代の日本列島に住む人たちの悪しきと思しき行為行動、その何もかもがこの列島の平和の線上にあるものです。

緊張感のない国民と酷評されることもありますが、現代の徴兵制度を持たないこの国の在り方は、過去の戦争から学び、その戦う無益さを立証できる精神を育んできた結果のようです。


私はこの頃、日本列島に住むヒトの多様さは、食や生活風習ばかりか、豊かな心持にまでに及び、世界の国々の手本となる何かを秘めている、と思うようになりました。

私は、大昔より先人が多様に交配してきて、今の今に生きている自分の有難さに、日本人の多様さに、今ようやく気がついてきたようです。


(写真 中日新聞掲載図)

                                                                                                                                                                                                                            

2010年08月27日
やきしめ

HP-10831-1.jpg火の中で炎にもだえ異のものと
太虚は変える美ましすがたに

                                                            

土を火で焼いたものが焼物です。

現在では、日本列島に住んでいた人たちが、地球上で一番早く焼物を作ったといわれています。1988年、青森県の大平山元遺跡で見つかった土器が、科学的な年代測定から 1万6500年前(縄文時代前)のものと言われ、世界最古の土器ということです。

これは、中国や他の国で発見されているものと比較して、群を抜いて古いもので、この列島では発掘がすすむと、さらに古い焼物が発見される可能性があります。


私は30年ほど前から、茶事・茶会を催すために必要な道具を作ることにしていますが、その理由はふたつあります。

ひとつは経済的理由で、茶事を数多く催すには道具が足らないことです。
いまひとつは、茶事の趣向に沿った道具で客をもてなすことです。
これは大変楽しいことで、作った道具の巧拙はともかく、招いた方たちがこの茶事のためにと、喜んでくれることがあります。
後は道具の第一といわれる「床掛けもの」と「茶釜」のひとつもあれば、何とか面白い茶事・茶会を催すことが可能となります。


焼物は土で成形したものを窯で焼くだけの、“焼きしめ”が私の好みです。遣唐使が将来してから発達した、施釉や色のついた焼物も魅力がありますが、土が木による火の洗礼を受けて、段々と土から別なる物体である焼物として生まれ変わってゆく様は神秘的です。

そして、薪からできる灰がそれに降りかかり、想像を超えた色や肌を呈し、別なる物体になることは人智では図れない宇宙の意志のようにも思えます。


火山列島の我が国には、火と水と土と木と金がハイレベルで存在します。人々は縄文草創期からそれらを駆使してモノづくりをしてきたのでしょう。


私は土の焼物を作るたびに、大昔から変わらない先人の営みの永きを思います。

(左・丹波長茶入 右・伊賀瓢茶入 )