日本のすがた・かたち

2010年07月05日
南極帰り

HP-10705.jpg地の果ても
生きるいのちのあるものと
知るは恵みの太陽と空

                                                            

先日、南極で越冬した茶籠(ちゃかご)が帰ってきました。


南極でお茶を点てたのは、我が「新之介組」のひとりです。
「新之介組」とは私の主宰する、祭事「和の心にて候」の企画・構成・演出のサポートスタッフです。現在、10名ほどですが夫々普段は別分野で活躍しています。

20代から60代までおりますが、その中のひとりが東京大学大学院に在籍中、第50次南極地域観測隊(越冬隊員)に選ばれ、2009年1月13日からの観測隊に参加。10年2月13日まで1年1カ月間にわたって東オングル島の昭和基地に滞在し、4月帰国しました。


彼は建築学者で、宇宙や南極、北極などの極限建築の研究をしていますが、私が彼に興味を持っているのは、ある意味での極限建築である「茶室」や日本固有の文化のエッセンスである「茶の湯」に関心が高いことです。
彼は私の主宰する祭事の「能楽堂ライブ」や「茶会」に於いて重要な役割を果たしてきました。


「新之介さん、南極でお茶を点てて喫んでみたいので、茶籠を貸して下さい。和服も袴も一式……」
茶籠とはお茶を点てるための茶道具が入っている籠のことをいいますが、彼は私と旅をした時、私が何時も茶籠でお茶を点てて喫んでいることを知ったようでした。

私好みの茶道具は私の分身のようなもので、愛着があるものですが、彼の心意気に感じ、南極にお供させてもらうことになりました。


HP-10705-1.jpg彼が南極で担当したのは、専門分野外の地球物理に関する観測とのことで、GPS(全地球測位システム)などを駆使した、大陸変動の様子や振動、重力の測定だったようです。
ほとんどの作業が屋外で、雪上車や、点在する小屋などに泊まり、海氷の上は安全なルートを探しながらの行進だったとのことです。
激しいブリザードを28回も観測。最大風速47.4メートルも経験したそうです。
彼はきっと、厳しい自然を前にした人間の小ささを感じたことだと思います。
その中での抹茶による喫茶とは粋なこと。

先日、手元に戻った茶籠でお茶を点ててみました。「南極の氷でお湯を沸かしたかったなあ……」などと妄想し、愛しきものたちが無事帰還したことを喜びました。

多分、南極で茶を点てた者は初めてでしょう。永く先人が洗練し、培ってきた文化的行為が、極地で行われたことに深い感慨を覚えました。


この茶籠はまた12点の茶道具を入れて、この八月にイギリスに行くことになっています。
ガールスカウトで活躍している「新之介組」のひとりが彼の地で茶会をするようです。


宗教の儀式や流派の点茶作法によらず、日本のすがた・かたちはこのようにして次代を担う若者たちに静かに、そして深く沁みわたっています。

彼が贈ってくれた南極探検隊の法被を着て、近い内に私も茶会を催したいと思っています。
「上海帰りのリル」に倣って「南極帰りのカゴ」とでも銘打って。

(写真 茶籠  南極でスキーをする村上祐資君 )

                                                                                                                                                                                                                            

2010年07月11日
行雲流水

HP-10711.jpg白雲が去りゆくさまは水の如
長るけき空は妨げもせず

                                                            

人間の苦しみのひとつに別れがあります。

釈尊は「生老病死」の四苦が人間の苦しみの基本にあると教えています。そのいずれにも別れがつきまとっています。生老病死に「別」という文字をつけてみるとそれが理解できます。人間の一生は別れる連続といっても過言でないようです。


“人は老いると幼な子に帰る”といいますが、改めて周りを見渡すと、高齢者が多くなっているせいかその感を強くします。
幼い頃から躾けられた礼儀作法や、集団生活のためのルール習得や規範も老いが進んでくると、待っていました、とばかり身についてきたものが肉体から離れ、別れていくようです。

あれ程努力して習得してきた学問も、身につけてきた一芸も、美しく強靭だった肉体も、老いは一瞬の内に別れを促し、もの心つく前の幼児に戻すかのようです。これは老いてゆくことの別れです。


良寛が詠んだ別れの詩があります。

相逢又相別  相い逢(お)うて 又 相別る       

來去白雲心  来去(きょらい)は 白雲の心    

惟留霜毫跡  惟(ただ) 霜毫(そうごう)の跡を留むるのみ    

人間不可尋  人間(じんかん) 尋ぬべからず              

〈お互いに出会って、またお別れする。そのさまは、去来する白雲の無心さのよう。ただ書きとめた筆の跡だけは残っている。お会いしたくても尋ねられない〉


出合いと別れは苦しみのすがた・かたちともいえます。
人間は古今東西、これから逃れる術はないとしてきたようです。
先哲は、老いからくる別れは自然現象として捉え、それに対応する答を与えていないようで、強いていえば成り行きに任すように教え、諭してきました。


そして先人は、人間の根源的な苦しみ、別れに対応する記述を遺してきました。
万巻の書物に著してきた軌跡をみればそれが理解できます。

凡ての苦しみの源は”我が心中”にあり、己が変わることによってそれが喜びにも換えることができる、とは先人の言葉です。中でも我が国の先人は、その喜びの元は人と「和する」ことだ、と看破しています。


オジさまからジイさまへとまっしぐらの小生は、良寛の詩のように、未だ“相逢又相別”の日々の真っ只中に、ふわふわっ、と漂っています。

                                                                                                                                                                                                                            

2010年07月22日

HP-10722.jpgクロガネは石より出でて熱により
人のためにとすがた変えなむ

                                                            

鉄の原料が高騰しています。

中国をはじめとするアジア諸国の高需要が高騰の原因のようです。
かつてのオイルショックの際の原油価格高騰を思い浮かべます。


鉄の値段の動向は建設物価に直接影響を及ぼし、私も仕事柄困ることになっています。

資源の無い日本の悲哀がこのような時にすがたを現わしますが、自国で産出されない原料は、相手国と協調しながら、また技術力で、鉄鉱石や石油などを使わなくて済むエネルギーを開発する以外にありません。


資源の乏しいことが幸いしてか、我が国では資源産出国と和して協調することに長け、また石油などに代わるエネルギー開発では世界の1、2を争らそう技術国になっていて、現代文明の象徴といわれる自動車と環境保全技術は世界が注目するところです。


地球上のエネルギーの中で、人間にとって一番必要なものは「電気エネルギー」といえます。
私たちが暮らしてゆくために必要なエネルギーの基は電気であり、凡て電気を得るために仕事をし、活動をしているとも考えられます。パソコンも携帯電話も、照明も電子レンジも新幹線も「はやぶさ君」も電気が無くては動きません。


いずれ近い将来、資源の枯渇による電気の生産が不能になることも考えられます。電気エネルギーが無かった時代の生活のことを新たに研究する時が来るかもしれません。


我が国では、自然の中に存在するもの凡てに目を向けることになるでしょう。気候、気象、水、森林、草木、そして海。そして太陽と月。
そして国々は、風土によって生きる術(すべ)を見つけて行くことになると思います。


全国各地で夏祭りや花火大会が始まっています。

夜の濡れ縁でスイカを食べながら、自分は日本に生まれ育ってきて本当に良かった。
そう改めて思う、今日この頃です。