日本のすがた・かたち

2010年05月13日
LED

HP-10513.jpg鮮やかな光があるがよしといえ
妙なる灯りの陰も愛しき

                                                            

和蝋燭には匂いがあります。

12月から2月の寒夜に「夜咄(よばなし)」という茶事を催すことがあります。その茶事の主役は灯火で和蝋燭(わろうそく)です。

4時間の茶事に照明として使われる蝋燭の炎は、人の表情を妖艶に変え、黄金の色の妖しさ存在感のある美しさを見せるなど、数々の幻想的な情景を伴った別世界を創出させます。

この情緒は現代生活には望むべくもないものですが、灯りを、という生活が生み出した先人の情感の鋭敏さにはただ驚くばかりです。


現代の灯りの主流はLED(発光ダイオード)になりつつあります。

LEDは自動車を始め、信号機の青、黄、赤の光源や、電光掲示板やIC機器、通信など、光りというものの全般に使われています。


人類が生活を始めた頃からの明かりの変遷は、太陽や月の自然光から火によるもの、篝火、灯火、 和蝋燭から、ガス燈、白熱灯、蛍光灯、LEDなどに変わってきました。それら灯りをみてくると、その時代時代の情緒的変遷を見る思いがします。

省エネや環境に配慮するという時代に遭遇している私は、このLEDに象徴される文明の利器に対抗する術はありませんが、「夜咄の茶事」の和蝋燭などには、この利器では達成できない情緒があると思っています。

和蝋燭の炎が生み出す陰影と匂いには、陰影が人間の精神に与えるものの存在を感じることができます。またそこに神仏を観ることすら可能に思います。

昨今は、はっきりものを言い、自説を押し通すことが善しとされ、人間の器である建築に至っては、凡てがガラス張りのように陰影を失くすことが流行りのようになっています。まるで日焼け美人が健康的であるかのような風潮といえます。人間は一人になって泣けるような暗がりが必要と思うのですが・・・。
現代建築には「陰影礼賛(いんえいらいさん)」というような繊細な日本的情緒を感じさせる空間創りは要らなくなったのかも知れません。


私は今、LEDを使った照明器具を設計しながら、新たに文明の利器が開発され、それが多用されるようになった時、今まであったものの周辺に寄り添っていたはずの情緒や行為がなくなる不安にかられていました。それが先日、飛騨古川町で和蝋燭作りの実演を見ていた時、自分も未だに和蝋燭を使っている不思議さに気付き、これからLEDを私の好む情緒の匂いで包むようにしてみようとの思いに至りました。


湯船に浸かりながら和蝋燭の炎を観ていたら、人間はどのような時代になろうと太陽や月や星がある限り、自然の営みとの接点を失くすことはないだろう・・・。そんな思いが湧いてきました。
多分、先人もそう思ってきたのだろうと。

(飛騨古川町 和蝋燭作り)

                                                                                                                          

                                                                                                                                  

2010年05月23日
旧木器時代

%EF%BC%A8%EF%BC%B0-1023-1.jpg宮村の風に薫れる太虚(そら)の色
匂うが如くの木々のささやき

                                                            

人間(新人類・ホモサピエンス)の歴史を50万年とすれば、石器時代はその99%の49万500年といわれています。

私たち祖先は気の遠くなるほどの永い時間、石を使った暮らしをしてきたことになります。
私はその石器時代の表記に疑問を持ち、折に触れ考えてきたことがあります。

それは太古の日本列島にはまず木器が起こり、それに加えて石器が生まれ、その後に土器が出てきたのではないかと思っていたことでした。

石器時代に既にあった木器は石のように土中に遺ることはなく、腐食して跡形もなくなるため、その痕跡が遺ることはないといわれていましたが、先年、大阪のハサミ山遺蹟から後期旧石器時代といわれる3万年前の住居跡と木組みが出土したことから、私の木器時代への憧憬が深くなりました。もしかしたら、日本列島では木器が最も早い文明の利器だったのではないか、という思いでした。


太古の生活は野山の木々に囲まれ木と共にあったはずで、入手し難い石と違い木器の利用が高度に発達していただろうと考えられます。もちろんそれは海や川周辺の生活にもいえることですが、いずれにしろ日本列島に暮らした祖先たちは、渇いた大地に暮らした他国の人たちとは自ずから食、衣、住居、風習、果ては精神性まで異なるものを創出してきたと想像できます。


私はそれらを「風土」と呼んでいます。
風土は圧倒的なエネルギーで生物に決定的な影響を与えます。
それは皮膚の色から言語、衣食住、宗教に至るあらゆるものの根源となるものです。

和辻哲郎は、「風土」は単なる自然現象ではなく、その中で人間が自己を見出すところの対象であり、文芸、美術、宗教、風習などあらゆる人間生活の表現が見出される人間の「自己了解(じこりょうげ)」の方法である、といっていますが、この日本列島に住んでいる人たちばかりか、凡て地上に住んでいる人たちは、この「風土」によって「自己了解」し、風土こそがあらゆる生き方の根源となっているといって過言ではないと思えます。


森林に囲まれて生活を営んできた日本人は、永く木器時代を過ごしてきた人たちに違いはなく、私はその子孫のひとりに違いはありません。

先日、飛騨一之宮水無神社の御神木の大樹の下で、歴史にいう旧石器時代の表記は世界的な基準であっても、日本には旧木器時代の表記を加えてみたいと思いました。
我が国では、その木器時代が営々と50万年続いているような気がした神社の御神体である位山の麓の祭事と、御神木でした。

(飛騨一之宮 水無神社 御神木)

                                                                                                                          

                                                                                                                                  

2010年05月27日
雨滴聲

HP-10524.jpg雨の声聴けば静かにこだまする
幼きころの母の声とも

                                                            

「雨滴聲(うてきせい)」とは雨垂れの声を聴け、との禅語(碧巌録)で、公案のひとつにあります。

公案とは禅の修行にいう問題集のようなものですが、修行僧が階段を一段一段上るように悟りに至るための設問語となっているものです。


雨が多くなるこの時期に静かに雨音を聴いていると、私はこの言葉を思い出します。30歳の頃に出合った太田洞水(おおたどうすい)老師が好んで揮毫されていた禅語でした。

洞水老師は曹洞宗の禅僧で、当時私の心の師でした。折々に雨垂れの音を聴くと老師の顔が浮かび、「何時も自分自身の声を灯火として行きなさい」、という声が聴こえてきます。

人間は60も過ぎれば、今までやってきたことや生きてきたことの在り様がおぼろげに分かってくるように思います。何をしてきても、その費やしてきた時間の中には、必ず次世代に伝えておきたいと思うことがあるように思います。


先人は営々としてそれを若者に伝え、良きことも悪しきこともそれなりに教え、伝えてきたのでしょう。私もそれに倣い、その良否や是非善悪の選択は若者たちに任せて、これぞ、と思うところを相手の様子を見ながら、「えい!」とばかりに伝えてみるようになりました。


「雨が降るならば雨になりなさい」
老師はそういって、一如の世界を説き、天地一杯に生きている生きとし生けるものを讃えていました。
今ここの相手と、あるいは仕事とひとつになって取り組んでゆくようにとの教えが、「雨滴聲」の一句の示すところのようです。


雨音は人間が出現する前から、この地上で妙なる調べ奏でていたに違いありません。それは草木に和し、葉影に潜む木霊とも……。

今、蓮の葉の上に円い水滴ができて、私の顔を丸く映しています。
そして雨音は、30数年前の雨の声にも、母の声にも聴こえています。