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日本のすがた・かたち

2009年06月06日
新嘗祭

HP-113.jpgちはやぶる神の業なる稲の穂の
実り約すは瑞穂のすめらみ

                                                             

梅雨入り前のこの時季、全国で「御田植神事」が行われます。

IT時代には馴染みの薄い儀式ですが、稲作が日本列島を食べさせているという象徴的な行事といえます。

我が国の田植えは農作業であると同時に、大切な祭事であり、豊穣を願って楽人の奏楽をともなって田植えを行うのが習わしです。この儀式の歴史は古く、大阪の住吉神社では1800年前の神功皇后の時代から続いているそうです。

日本の稲作は、長きに亘って弥生時代に始まるとされて来ましたが、近年、縄文中期に属する3500年前から始まったといわれ(岡山県南溝手遺跡や津島岡大遺跡)、また朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からもその痕跡が発見されたことによって、縄文時代中期以前まで遡るとする説も出てきています。稲作が生業であったかどうかは別にしても、縄文時代後・晩期ごろ栽培されていたことはほぼ確実だと推定されるようになってきました。
中国では江西省や湖南省で1万年以上前に遡る稲籾が続々と発見されていますが、古いものは1万2000年前に遡るものも出土しているとのことです。我が国でももっと遡る可能性がでてきています。


私は、世界一美味しいお米が日本に生産されるようになった原因を、気候風土によるものと、今ひとつ、「御田植神事」にまつわる古来から育んできた精神性によるものと見ています。
天皇陛下が毎年「御田植の神事」を行い、五穀豊穣を願い11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」、そして天皇の即位式を「大嘗祭」として執り行う儀式がそれを物語っています。


1万年以上前から脈々と受け継がれてきた稲作は、その食のため、というところと、同時に様々な風習や生活様式、そして農作の文明文化を生みだしてきました。和暦を見ると、気候気象の移り変わりと稲作を中心として生活してきた先人の積み重ねがよく分かります。今日行われている田植の神事は、遠く神代の時代から続く日本人のすがたであり、和の心のかたちのひとつであると思います。


私は今、玄米を食べながら、日本に天皇さんがいなくなったら誰が豊穣を願うことになるだろうかと思ったり、時の総理大臣では天に願いが届きそうもないな、と思ったりしています。

                

2009年06月16日
おおはらえ

HP-119.jpgまれに出る夏越の月に問うはたれ
梅の実を干す陽をや知らせと

                                                             

古来、我が国では6月と12月の晦日(つごもり)に朝廷が広場に百官を集め万民の罪やケガレを祓った大祓(おおはらえ)という神事を行っていました。

現在でも6月は夏越、12月は年越といい、宮中はじめ全国の各神社で行われます。


特に6月の夏越祭(なごしまつり)は水無月祓、夏越祓、荒和(あらにご)の祓とも、名越の祓ともいわれ、茅で丸く作った輪をくぐる神事が行われます。ナゴシとは「和(なごし)」(神慮をやわらげる)の意味から付けられたようで、諸々の和を勧めた先人の智慧を思います。


以前、梅雨空の下で茅の輪をくぐったことがありました。その時、何故か自分の裡に日本なるものを感じたことを覚えています。何故それを日本なるものと思ったのかは定かではありませんが、当時、インド・ネパールの旅から帰ってきてのことだったからかも知れません。


世界中どこで生きていても、人間は常に罪を犯し、それを悔い、そして懺悔せざるを得ない生きもののようです。その生まれながらにして持ち合わせている人間の忌まわしい“業(ごう)”。それをどう処理し解決していくのか。先人は過去の歴史を見ながらその罪ケガレを祓うことにいくつもの解決策を見出してきたと思います。


我が国には一年を通して、折々多種の祓の儀式が各地にあります。

それは教義をもたない“古き良き教え”から生みだされているようです。人はそれを古神道といい、“随神・惟神(かんながら)の道”ともいいますが、私はそれを、渡来仏教に対した宗教的分類の神道とは少し違い、古代縄文前期から育まれてきた”日本なるものの精神性”ではないかと見ています。
いずれにしても、罪ケガレを祓うことを自然界と相談しながら創りだした先人たちは、平安時代にはその祓えの儀礼・儀式を完成させたようです。


現世での利益(りやく)を願い子孫の繁栄を祈ることは、人間がこの世に生れ、苦しみ、そして死んでゆくことの有様を識るものにとって当然の欲求です。多分この欲は世に人間が存在する限りなくなることはないものでしょう。


この時季になると、私は梅干し作りに精をだします。
子どもの頃の父母が毎年作ってきたことに倣って、もう30年余になります。私にとっては梅干しの効用が意外に大きく、20年前、禅寺で教えられた朝の、“ひとつまみ砂糖入り梅干し湯”が、今では私のツミ・ケガレ(二日酔い)を祓う毎日の儀式のようなものになっています。


近い将来、私も先人の仲間入りに相違なく、旨い梅干しづくり位は次に遺せるかも知れないと、稀に出る梅雨の月を眺めては、干すその日を待っています。

(上賀茂神社の茅の輪)                                              

                


                                

2009年06月23日
聖者

HP-204.jpgベナレスの夜明けの河に漕ぎ出でて
精霊流しにうつす面影

                                                             

インドのベナレスで聖者が蓮のツボミを私に差し出しました。


毎年、庭先に蓮がツボミをつけるとその光景を思い出します。
華は泥の中から咲きますが、仏教の華が蓮と思っていた蓮が、インドを旅して、仏教以前の古代から崇められていたことを知りました。

後年、蓮は古代エジプトでも再生のシンボル、甦りの華として好まれ、豊穣の実を現す海石榴華(かいせきりゅうげ・ザクロ)などとともに古くから大切にされ、それが世界中に広まったことも知りました。


サドゥー(サンヤシンとも)はヒンズー教の出家した聖者のことで、晩年に何もかも捨てて家を出て、全国を行脚しては人々に教えを説き、最後はガンジス川のほとりで息絶え、その肉体を焼いた灰がガンジス川にまかれるのを願うといいます。いずれまたこの地に蘇るという輪廻転生の考え方のようです。日本人の死生観とは大きな違いがあることを実感したものでした。
そして聖者の姿に、その地の気候風土が深くかかわっていることを知らされました。


風土とは、その土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称をいいますが、気候と風土はその地域に生きる凡ての生きものにとって最も重要な事象であり、生活する人たちに最も大きな影響を与えるものです。
それは食べものから始まり、生活様式、風習、儀礼から宗教さえもその風土から生みだされているもののといえ、それ故、私はその地の気候風土を学び、先人の歩んできた道を尋ねる必要があると思うようになりました。


文化というものは、生まれつきの能力や行動ではなく、生活をしていく中で身につけ、伝えられる能力や行動のことをさし、そして死を超えて生き続けるものと私は解していますが、その人間が生きてきた地の基礎的環境である風土こそ、文化と呼ぶに相応しいものではないと思っています。


紅い蓮のツボミがもう直ぐふくらみ、蓮華国といわれるような極楽浄土を連想する日が近づいています。
私は毎年、紅い蓮の華を見るたび、顔に白い粉を塗り、笑った口の中に一本の歯しかなかった聖者の、涼しげで憂いに充ちた眼の貌を思い出します。
(インド ベナレスの夜明け)
                                              

                


2009年06月28日
飛騨の口碑

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伝え来る口伝の熱き心根は
文のかげりを解きて放ちぬ

                                                             
西暦712年に編まれた『古事記』は、28歳の青年、稗田阿礼(ヒエダノアレ)が口述したものをもとにして、太安万侶(オオノヤスマロ)が筆記したものといわれています。

稗田阿礼は天武天皇に舎人(とねり)として仕えていた、と『古事記』の序に名がある以外、全くその存在を知る手がかりがありませんでした。
後年、民俗学者の柳田國男や西郷信綱などは「稗田阿礼は女性でアメノウズメを始祖とする女性である」との説を唱え、哲学者梅原猛は「時の権力者の藤原不比等の別名である」と断じています。


私は大分前から『古事記』を読むうち、その後に編纂された『出雲風土記』に注目し、そして飛騨に言い伝えとして残る口碑(こうひ)と出合いました。口碑とは碑に刻みつけたように口から口へ永く世に言い伝わる意味のことで、昔からの言い伝えや伝説のことをいいます。

飛騨に伝わる口碑との出会いは衝撃的ともいえるものでした。
これらとの関わりあいの発端は、20年ほど前、古代出雲大社の巨大木造建築は飛騨の匠集団が造ったのではないか、との疑問を持ってからのことでした。


2000年10月、ニュースで出雲大社に古代の柱が発掘されたと聞くと、直ぐさま現地に飛びました。それは私の中で、様々な仮説に終止符を打ち、木造建築の歴史的意義を確認できることでした。その証拠となる高層建築柱が出てきたのです。

古代の出雲大社は、建築平面図である「金輪御造営差図」として伝わってきたものによると、その高さが48m(15階建てのビルに匹敵)で、一本の柱の太さが3mもあり、9本描かれている柱は、3本の木を金輪(鉄の輪)で1つに束ねてあるといい、また、前面に出ている階段が「引橋長一町」、約109mといわれています。
また、平安時代の書物『口遊(くちずさみ)』がその中で、全国の大きな建物の順として「雲太、和二、京三」と記しています。これは出雲太郎、大和二郎、京都三郎のことで、それぞれ1番出雲大社本殿、2番東大寺大仏殿、3番京都大極殿を指しています。出雲大社は日本で1番の建物と記されているのです。当時、東大寺大仏殿は棟高45mと記録に残っています。


稗田阿礼は「飛騨にあれませるお方」の意味であり超能力者だった、と口碑は伝えています。
そして、今に伝える方によれば、その子孫は飛騨の楢谷に2千数百年住んでいて、現在は近くの三日町にご健在とのことでした。

口碑は、その飛騨に生れた工匠たちが出雲大社を造営した、と伝えていました。
言い伝えは信憑性に欠けると識者間ではいわれますが、それは、数千年に及ぶ口伝者の熱き心根が成せる業を見ることができない見方で、目に見えないものごとを信じられない人たちの言い分なのかも知れません。
口伝は真心を以って次に伝えることが可能です。そしてその真心は伝わります。
私はこの頃、日本人の精神の直なる源は、口伝やかた・かたちにあるのかも知れないと思うようになりました。口伝は、大人が最も良き贈り物として子孫に手渡してきたもののようです。


私は今、『古事記』神話の祖神たちが、生々しくも美しく織りなす一大スペクタルに魅了されています。

(「古代出雲文化展」参照)
                                              


 

 

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