« 2008年12月 | メイン | 2009年02月 »

日本のすがた・かたち

2009年01月01日
朝日

800px-Flag_of_Japan.svg%5B1%5D.png朝日には神を拝みて
夕日には仏を拝む日の本の国


朝日ほど神々しいものはありません。

万物の生成をうながすといわれる朝の光は、あらゆる生物を育て、その細胞を蘇生させ、活力を与えているようです。

地球上で太陽を神とし、その霊性をあがめ信仰してきた民族は数知れません。太陽こそが全ての生物の源であることを誰でもが肌で知っていたと思います。

東が極まる極東の日本では、太古より朝日によって生きものが甦るさまをみて、それを天の神秘としてきました。朝の日の光を礼拝することは人間が宇宙の生物となる瞬間でもありました。
日本人はなぜ朝日を拝むのか、なぜご来光を有難く思うのか。
私は、そこに魂の、心身の浄化があるとみています。

病を得て、様々な治療を試みても治癒しない人が、朝日に向い、心身を光にゆだねだすと劇的な変化を起こすとのことです。また、気の病には朝日が何よりの良薬といわれます。これらは朝日の光の波動による心身の浄め、蘇生が行われた結果だと考えられます。
現代科学は、それを朝日のごく短い波長エネルギーによる治癒作用だ、といっていますが、生物の生成をうながし自然治癒力を高めようとするのは人間の本能のような気がします。

黄昏時はこの世とあの世との渾沌とした時空間。
沈み行く夕日を拝むのは、万物が死に至ることを思惟させる仏の世界。それは西方浄土を思わせるものです。ひるがえって朝日は光輝を発し、東方に万物の霊気の源があることを知らせ、巡る天地運行の中に大いなるものが存在すると教えています。この朝夕の日を拝む日本人の有りようは、いい尽せない深遠さと、妙なる美しさを感じさせるものとなっています。

元旦の朝、わが国には初日を拝み初詣をする習わしがあります。
前夜の除夜で鐘108つを鳴らし、仏教にいう煩悩を払い、一夜明けると、元日は朝日による禊(みそぎ)を受け、神社に参拝し、全く別なる存在の人間に生まれ変わったと思える日本人…。
とくに元日の朝日、初日の出は再生のシンボルのようです。

極東に住む日本人の本能が創り出した儀礼は、朝日を得て天地一体になるものではないかと思うことがあります。白き天空に光輝を描いた日の丸。私は、その国旗を創った民のひとりであることを有難く思い、年越しや正月の儀礼を誇りに思いながら、今、朝日の待つ年の瀬を越えようとしています。


新年明けましておめでとうございます。


2009年01月07日
松を飾る

HP-71.jpg新しき春の光を身に受けて
いにしえ人の居るを知るかな


新しい年が静かに明けました。

世界各地で宗教行事が行われ、新年のお祝いに人々が集います。

私は正月を迎えると、不思議に我が身のよりどころを捜すことがあります。特に神仏や先祖の存在に思いを巡らせます。なぜそうなるかというと、多分、自分の生き方や思い定めにチェック機能が働いて、将来に向けての方向や、その道筋の良否を考えるからだと思います。

そして思考を凝らし、その元をずっとたどって行くと、いつも必ず「死」に行き着きます。人間は有限なるものであり、例外なく必ず死ぬる定めにある私の死に、行き着きます。
そうしてみると、若い頃から私のお正月は「一年の計は元旦にあり」ではなく、「…死にあり」のようで、それは毎年繰り返されるものとなってきました。

有限な人の生を思うことは、裏を返せばいかに生きようかとの問いに繋がるもので、生と死はどちらも表裏一体であり、生死一体でもあるわけです。ここに人間は人間を超えた存在に思いを馳せるのでしょう。そして、人の世に宗教が存在するのは、背後に死があるからだと思うと、人間はいかに真摯に生を全うしようと考えている生きものだろうか、と改めて思います。


初日の出を拝む日本人は、根底に自然と一体になる志向があるように思います。それは宗教というものでは括れない、宗教を超えたもののようです。何事も自然界において起きているもの、人智を超えたところの自然界から起きるもの、との必然性的な考え方が強いようです。

古くから列島に暮らしてきた人たちは、このような考え方を好ましく思ってきた節があり、死への概念が薄く、むしろ死者になる自分がずっと生き続けて子々孫々を見守っていこうと積極的に思ってきた感があります。古代から続く正月の儀礼・儀式を見ると、この視線の先には争いごとはなく、皆で和し、物事を為すことが一番自然の理にかなっているぞ、と教えているようです。


世は声をあげて大不況を叫んでいます。
身近に職を失った人もいて切ない限りですが、これも長い目で見れば一過性のことのように思います。日本国中ががバブルで覆われて狂乱状態のときは共に狂乱し、大不況に陥った昨今は共に陥り、そうしながら日本人は静かに、逞しく生き抜いていきます。不況の時は不況に徹して、今という今を、生きるのがいいのかも知れません。

私の好きな俳句に、「この春も 松を飾れる 有難さ」というのがあります。
この句に託された、生きているという”有難さ観”を保持している限り、日本人の未来に限りない明るさを感じます。
人の心の底にあるものが謝念であれば、あらゆる物事に可能性が広がることはいうまでもありません。感謝の念は、人の中で生きる上で、大きな力となります。
古今東西の先人がそれを立証しています。


今日は7日、正月飾りをはずしながら、不況を脱した後の国のすがたを想像しています。


          

2009年01月15日
和風

HP-74.jpg人に問う
世の良し悪しの理を
答うは常に血の中に在り


和風というと、何かよく分からないものを感じます。

日頃、何気なく使っている言葉の和風は、洋風に対してできた呼称で、その定義はとても曖昧です。
広辞苑によると、我が国在来の風習のことを和風ということになっていますが、元々我が国には和風という概念はなかったようです。

我が国でつくられてきた風習や建築には、和室や和風という分類はなく、あったのは住まいや、集会場といった用途上の分類で、その全てが和室、和風、日本的、日本建築というものでした。分類上の和風が出てきたのはやはり明治以降で、明治維新を境に定着した西洋風に対し使われだした言葉のようです。


和風建築の和室といえば、一般的には和風に作った部屋とか、日本間ということになりますが、この和風という言葉もまた曖昧です。

和室はかつて多様な機能を兼ねた部屋でした。
それは、お産をする分娩室から始まり、遊戯室、勉強部屋 応接室、 居間、 食事室、 集会室、 婚礼場、宴会室、 寝室、 病室、 介護室、 霊安室、 最後の葬儀場など、室礼(いつらい)が入れ替わる毎に、部屋の用途がかわり、まるでひとつの部屋が人の一生を見ていたかのようでした。
また、和室には神仏に関係のない「床の間」という特異な空間があります。かの桂離宮を有名にした、ドイツの建築家ブルーノタウトがこの床の間を評して、『信じられない、世界に類例のない空間』と、驚嘆しています。和室は、その柔軟で、その折々に物事を融通してゆく空間として、和風の原点を最も端的に現わしていたもののひとつかも知れません。

もう何年も前になりますが、ネパールのパタンという古代に栄えた村に、木造の五重の塔の原型があるというので、インド経由で見てきたことがあります。
その塔建築様式が中国に渡った時、中国では洋風だったと思います。いや、洋という海を渡っていないので、ネパ風かも知れませんが、外国から入ってきたものはおしなべて異風文化で、洋風と呼べるものです。その洋風を自国でどのようにしていくのか、それがその国の特質といえます。

現代では法隆寺を日本の世界遺産、和風建築といって、誰も洋風建築とはいいません。これは長い時間が経過すると和風というものにしてしまう、日本の特異な消化能力によるものです。日本人には外来文化を取捨選択しながら和し、和風にすることに長けた特質があるようです。


今まで日本人が積み重ねてきた5万年の歳月は、とても重要なことを示唆しているように思います。私はその歳月そのものを和風と位置付けていますが、和風は気候風土に磨かれた高い精神性や智慧を生み、育み、それを次の世代に遺してきたと思います。
伝来した唐風仏教も日本仏教となり、ユダヤ教も、キリスト教も、そしてイスラムの教えもヒンズーも、それぞれ和風の大きな輪の中で息づいています。

私は和風の建築の仕事をしながら、日本人の血を思い、自分が永い年月の続きの一粒だと思うことがあります。
そして折々、次の世代のために何かお役に立てることがあればいい、と願うことがあります。                                                                    


2009年01月20日
三つの色

HP-75.jpg大和をば色にたとえむ白はかみ
黒はほとけぞ赤はみなもと


日本の色は、と問われたら、白黒赤と答えます。
白はけがれなき気高さ、黒は限りなき荘厳さ、赤は美しき命の源です。

我が国では古来より神々に関わりのある色は白で、けがれなき象徴でした。天皇や神官、巫女などの衣装も白が基調で、侍の時代になると武家の寝衣装は白で、切腹の場面でも白を着ています。
また、白は日本人の死出の衣装として標準化されいますが、古代の棺の中はカラフルで、エジプトのツタンカーメンが有名です。その国の時代の死生観が色に反映されているのがうかがえます。

戦前の日本では黒紋付きが晴れの日の正式な衣装でした。現代では喪服は黒に、となっていますが、これは西洋の風習によるもので、今では英語が地球の標準語になってきているのと、どこか符牒が合っているようです。

茶聖千利休が好んだ茶碗は黒でした。
点てられた抹茶の緑が神秘的に映る黒に勝るものはありません。
黒は他の色彩を見せるには格好の色で、あらゆる色を際立たせ、自らを主とすることはないようです。昭和30年代といわれますが、日本人が自らを主とせず、他の者を立てることが美風として残っていた頃のイメージは、黒のような気がします。
そして深く静かに思惟する仏の道も、墨染の黒のイメージです。

赤は血と太陽です。
太陽はあらゆる生物を生み、育て、そして死滅させる大いなるエネルギーの源です。皇室の菊のご紋章は太陽を現わし、祖神である天照大神(アマテラスオオミカミ)、日いずる国の天子の聖徳太子など、太陽を元とした日本人の価値観が永い時を経て醸成されてきました。
血の赤がもつ生命力と神秘性は、どの民族にも共通したものと思われますが、日本の赤は只の色にとどまらず、白と黒とに相和すことで、深い精神性を発露する色となるようです。

日本の気候風土はこれら三つの色を基調に、青や緑などを和する心の色とし、言語と同じように色のもつ精神性を育んできました。

私は今、日本の色を伝えてきた先人を誇りに思っています。                                                                                      


                         

Three colors

Comparing Japanese three colors to something,
White is God, Black is Buddha, and Red is Mother


When asked about Japanese colors, my answer must be white, black and red.
Because white connotes pure nobleness, black connotes unlimited magnificence and red connotes the origin of beautiful life.

In Japan, white color has been involved Gods and considered a symbol of purity since ancient times. Costumes for the Emperor, Shinto priests and priestesses have been based white color, and samurai warriors had worn white pajamas and white robes when performing hara-kiri.
Though burial outfits for Japanese is white, ancient coffins discovered in the world are colorful and Tutankhamen’s tomb is the most famous. It shows each view of life and death is reflected by several colors.

In pre-World War II Japan, Japanese formally put on black crested kimono for celebration. Today, we usually wear black for funerals, but this thinking have originated from western customs and it seems to have something in common with the condition that English has been becoming the world's standard language.
"千利休 (Sen no Rikyu)" loved black tea bowl.
There is nothing as mysterious as the black one reflecting green color whisked powdered green tea.
Black is perfect color to bring out or highlight every color, and yet, it never makes itself the main.
As this thinking seems to have happened in 30s of Showa period, Japanese virtue is not to make themselves main character but to support others, and I feel this image must be black.
Moreover, meditating Buddhism deeply and silently is also the same image as “墨染め (Sumi zome)” black.

Red is the color of blood and the sun.
The sun is great source of energy i.e., having been creating all things, bringing up, and destroying.
The chrysanthemum seal for Imperial Household shows the sun, Japanese values under the sun such as ancestral “天照大神 (Amaterasu Oomikami)”, “聖徳太子 (shoutoku Taishi)” for Emperor of the Land of the Rising Sun, have been brewed for good long times.
It seems that the red color of blood having a vital force and mysteriousness is common in all ethnic groups. Besides, red for Japanese people is beyond one color and becomes a color showing their deep spirituality with integrating it in white and black.

Japanese climate have been created and developed spirituality in colors based these three colors and added blue and green as colors of “和する心 (Wa suru cocoro)” like Japanese language.

I’m now very proud of our ancestors handing over and taking over Japanese colors.
(訳 あさの まみ)                                                                                                               

                                                                                                                                                                                                                                           

2009年01月31日
ふしん

%E7%94%BB%E5%83%8F%20001.jpg心よき水の中にて喉かわき
水をくれよと君は叫ぶか


家を建てることを「普請(ふしん)をする」といっていました。

30年ほど前まではその言葉が生きていて、子どもの頃は普請や棟上げ、建前(たてまえ)というような建築用語が一般的でした。
今ではこの普請という言葉は死語になり、家を造るから買う、という言葉に変わりました。これは家が規格化され、物品として扱われるようになったためで、住まいが既製品的になったということです。

普請をするということは、普(あまねく)請(こう)ことをするという意味でした。大勢の人の力を請い頼むということで、自分たちの新しい生活を造ってもらうというのと同意語でした。
住まう人間の顔がそれぞれ違うように、建物も違いほとんどが現場一品生産でした。そのため建築するには、一人ではできず、色々な業種の職人たちに委ねる必要がありました。


普請場は、現在の私たちが忘れてしまった、互いに力を合わせるという場所でもありました。そこには互いの顔が見え、建築主も設計、施工者、職方も近所の人たちまでも皆、目的を共有していました。現在の家づくりでは考えられない、人の交流と技の伝達の場にもなっていました。そこには確かに老いが若きに伝える、「息づく伝統」がありました。

またそこには人々の願いがありました。
それは、建てる前には地鎮祭で地を鎮め、上棟式で造りを清め、竣工式で永きを願うという、美しい日本のすがた・かたちでした。太古から伝えてきた祈りのかたちでもありました。


工場でほとんどを製作し、短期間で組み立て完成させることが経済的であることは、世の実情で理解できますが、昨今の経済的な不幸を見るにつけ、何か重要なものを忘れてきたのではないかと思わずにはいられません。
町工場の人たちが集まって人工衛星を打ち上げるニュースは、人が寄り、相和すところの素晴らしさを教えているように思います。「三人寄れば文殊の智慧」の実践のようです。

戦前まで、日本人が永々と繋いできた衣食住の美しき良き仕組みの根っこは、「相和す」思いだったと思われます。個の都合や好悪を優先するのを好まなかった先人の知恵かも知れません。

“あまねくこう”は和を尊ぶ日本人の最も得意とするところです。
若い人たちにそれをどのように伝えられるか、今、それを思いあぐねているところです。


                                                                                                                                                                                                                                                    


 

 

「日本のすがた・かたち」
最近の記事

「日本のすがた・かたち」
コメント

(社)ガールスカウト日本連盟会長 石井直子 on うた:
太田新之介様  ご無沙汰してお
ササやん on 竹の小さじ:
茶杓ですと 銘は、当日つけるん
ささヤン on 楽園:
そうでした。 熱海に行くと、
みりんちゃん on 朝日:
朝日の素晴しさに感謝しつつ新し
みーちゃん on 約束:
ご無沙汰致しておりました。 「

祭事に寄せて

太田新之介プロフィール

太田新之介作品集

所は深川お茶屋の二階、
香が焚かれた四畳半

dodoitsu.jpg

「相逢うて 又 相別る…」
二刻(ふたとき)。
一碗の茶に隠された薄紫の縁(えにし)。

shousetu_title.jpg

新之介メモをスライドショーで

shinosuke_memo.jpg

出演者ブログ

KNOB
「無孔庵-mukooan-」

「新之介組」最近のたより

企画・構成・演出スタッフ
「新之介組」

「カナコの歌舞音曲」

「和の心にて候」グループ

和の心にて候 Movie

Get the Flash Player to see this player.